鶉が叫んで冬が来る

 山鶉(ペルドローグリ)が熟成しましたと知らせをもらって「MuogOT」へ。一年ぶりだな、うずらちゃん。リヨン風ソーセージもサラダも旨かったけど、やはりこの日の主役だけあって、山鶉は見事な仕上がり。ももはコンフィしてから炙り、胸はそのままロースト。細かい肉はフォアグラを混ぜて蒸し焼きに。土鍋の中にはアラで取ったスープで炊いたリゾット。てっちりだって最後の雑炊に味の粋が集まるように、このリゾットも身をくねりたくなるような旨さでした。土の香りと葡萄酒の香りがする肉は言うまでも無し。それより驚倒したのは肝・心臓・砂肝(串焼きにしてある)だった。トリのキモに驚倒とはまた大袈裟な。いえ、誇張に非ず。内臓だから無論苦いのだが、その苦さがおっそろしく気品に富んだもので、山深いために春のおとずれも未だ知らない庵の松の戸に雪の玉水がしたたり落ちる、という風情であった(式子内親王は鶉の肝が好物だったのではないか)。神戸牛のシャトーブリアンがこようが黒鮪の大トロがこようが、少なくとも凜然たる気配においては敵うものではない。内臓ばかりの鶉ちうのはどこかにいないものか。「ひとつとりふたつとりては焼いて喰ふうづらなくなる深草の里」(蜀山人)。前田さんのジビエ料理を食べると冬到来、という実感が湧いてくる。次は年末に鳩を料ってもらうことにする。※ワインではハイリゲンスタインの二〇〇三年というリースリングが良かった。


 その前田さん。鶉の状態を説明するのに「このコ」「このコ」と言う。その口調ととろけんばかりの表情がじつに可笑しい。スティングやクイーンの歌を口ずさみながら「このコ」の羽を毟っていたと聞くと尚更可笑しい。なんでも「弾の当たり所が良かったので内臓が綺麗にのこった」とのこと。


 鶉にしたらどこに当たったとて当たり所が悪かったには違いない。


 それにしても、死してなお「熟成」が求められるとは、このペルドロー氏、余程因果な宿世を負っていたものと見える。当方などは四十年生きてみて、毛ほども成熟したおぼえがない。これが死んだら多少はマシになるのであろうか。一年ほど経って遺族うちそろって開「棺」式をば執り行う。

 「あら、お義父さんたらすっかり脂気が抜けちゃって」「おじいちゃんの内臓、とろっとろだね」「軒に逆さに吊っておいてもう少し放っといたらええのとちがうかしらん」「心臓の串焼きはジャンケンで勝った人のもん、ちうことらしいで」


 なんだかゾクゾクして参りましたので、読書メモはまた次回ということで・・・

 

 感懐一首。

いのちあるものは熟成せざりけり皿のジビエのくれなゐぞ濃き

 

 

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「このコ」です。

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大勢の場合

 鍋の具材は一、二種類にかぎるとは書いたものの、やっぱりひとり酒の場合に限るようである。あ、ふたりでつつく時もこちらのほうが風情がある。「そして櫓のさしむかひ」・・・惚れた同士が炬燵の上いっぱいにすき焼きの具材を広げたのでは様にならない。と反対にそこそこ頭数があって鍋の中は一、二種類というのも具合がわるい。全員が土鍋の湯豆腐をじっとにらんでいる絵面を想像されたし。

 と考えて、『いたぎ家』ご一家(父上母上、アニー、アニーヨメー、タク)をお招きしての鍋の趣向はうどんすき、と決めていた。少なくするときはうんと削りつめるが、多くするならとことん多く、でメリハリをつけたい。よって具材の一覧以下の如し。

○三ツ葉(天然ものだそうな)
○芹(同じく)
○白菜(芯の黄色い種類)
○葱
○菊菜
○菠薐草(湯がいて水にさらす)

○絹さや 

○牛蒡(ささがき)
○海老芋

○百合根
○大黒しめじ
丹波しめじ
○柿の木茸
○平茸
○椎茸
○豆腐
○揚げ
○ひろうす
○生湯葉
○粟麩
○紅葉麩
丹波地鶏(ももとむね)
○蛤
○牡蠣(蛤に牡蠣を重ねるという所に「うんと」の面目躍如)
○車海老(活け)
○焼き穴子

○鱧(穴子に鱧も重ねてしまう)

 薬味はお決まりの七味、山椒に加えて針柚子とすだち。個人的にはこのすだちがないとうどんすきらしい気分が出ない。そう言えば、実家でする時は出し巻きも入っていたような。

 結局うどんは最後に投入、ということはこれはうどんすきではなくちゃんこなのだった(お客の顔ぶれが顔ぶれだけに)。

 肴としては、
○鯖きずし(対馬から送ってもらったもの。さすがに身の締まりかたが違う。魚を釣って送る会社はフラットアワーと言う。代表の銭本さんは日本の漁業資源保護のために精力的に活動なさっている。彼の考えにすこぶる共感したので、ふだん宣伝の類いをしないブログではあるが、あえてここに名をあげる)
○柿膾
○茗荷、生姜、胡瓜の即席しば漬け(各々繊に切り、塩もみしたあとで、梅酢と淡口、それに味醂を一たらしづつ)
○千枚漬け風(あ、昆布入れるの忘れてた!)

 当然酒は清酒が主となる。こちらは出たばっかしの「瑞祥黒松剣菱」と「萬歳楽 劒」を用意、アニーのおもたせは「大治郎よび酒(みず)」。いずれも燗向けの品(「劒」は金沢のおでん屋で鯨馬が必ず頼む)。剣菱の熟成酒らしい香り、大治郎の腰の強さ、萬歳楽の切れ、等の違いをがやがや論評しながら鍋をつつく。本当に充実した休日の夜となった。いたぎ家の皆様、ありがとうございました。

 さて今日は、茸の残りを鍋にして独酌。これはこれで悪くないのである。

 

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晩年の北斎

 あべのハルカス北斎展、噂どおりの大混雑。「チケット購入にたいへん時間がかかる」とHPで警告していたので、事前に購入して行ったけれど、会場に着いてみると「整理券をお配りしています」という状態。結局整理券に指定された入場時間まで一時間半、待たねばならない。この日、朝から動き回って疲れていたのでともかく腰を下ろしたい。

 というわけで、地下街の一杯呑み屋で呑んで待つ。昼に行った大和文華館「柳沢淇園―文雅の士・新奇の画家―」の中々よく出来ている図録を眺めながら冷や酒を呑む。こむずかしそうな本を広げて菊姫山廃純米をぐいぐいあおっている中年ひとり、という絵柄はドスがきいて見えたかもしれませんが、なに、このオッサンの口元を仔細に見てみれば、店内に大音量で流れていた『ヘビーローテーション』を口ずさんでいたのが見えたことでありましょう。

 さて北斎は、すこぶる佳し。夕方のデパ地下並みの混雑の中で見物した人嫌いの人間が言うのであるから、信用して頂きたい。もっともこちらがもっぱら期待していた晩年の肉筆画の一角はさほど混み合ってもいなかったけど。「河骨に鵜」図の、鵜の不逞な表情。「三伏の月の穢になくあら鵜かな」(飯田蛇笏)なんて俳句を想起してみたり。「流水に鴨」図の不可思議な奥行き、というのは画面構成をいうのではなく、「あ、前世でこういう空間にいた気がする」という感覚が呼び覚まされる。「李白観瀑」図の、おかしな形容だが、耳を聾するような圧倒的なしづけさ。「雪中虎」図の、ニルヴァーナ的悦楽等々。一体に、彼岸的な雰囲気が濃厚で(仏教色というわけではない)、そこに新鮮な衝撃を受けた。会期末まであと少し。鯨馬が行った時よりさらに人手は増えているだろう。それでも行く価値のある展覧会だと思います。待ってる時間は、あべチカの呑み屋で菊姫を呑んでいればいいわけだし。

 苦手な絵描きを見直す機会を与えてもらって、たいへん嬉しい。しかしそれはそれとして、杜鵑と狸和尚の画幅を見ると、なんだか蕪村と比較して考えたくなった。

 今、関西ではなぜだか文人画系統の展覧会がやたらに多い。前述の淇園展しかり。鉄斎美術館はまあ《常打ち》としても、逸翁美術館の蕪村展、頴川美術館の南画展(大雅や崋山など)、神戸市博物館では「風流天子」徽宗の絵が見られる(徽宗文人画ではなく院体画とすべきだが)。てわけで、鉄斎の後期展示と逸翁、神戸市博物館を観てから感想まとめます。

○コーネリス・ドヴァール『パースの哲学について本当のことを知りたい人のために』(大沢秀介訳、勁草書房)・・・「本当のこと」もなにも、パースさんには一面識も無いの。記号論が面白い。勉強する必要アリ。
マルクス・シドニウス・ファルクス『ローマ貴族9つの習慣』(ジェリー・トナー解説(という体の、トナーさんの本)、北綾子訳、太田出版
○髙谷好一『世界単位日本 列島の文明生態史』(京都大学学術出版会学術選書)
○田中さをり著者代表『哲学者に会いにゆこう 1・2』(ナカニシヤ出版)
富岡多恵子安藤礼二折口信夫の青春』(ぷねうま舎)
アラン・コルバン編『男らしさの歴史Ⅱ 男らしさの勝利―19世紀』(小倉孝誠訳、藤原書店)・・・抑圧されっぱなしの女もタイヘンだが、男もつらいよ。
矢吹申彦『おとこ料理読本』(平凡社
川村伸秀斎藤昌三 書痴の肖像』(晶文社
○遠山隆淑『妥協の政治学 イギリス議会政治の思想空間』(「選書「風のビブリオ」」、風行社)・・・使えるせりふが沢山ありますよ。たとえば「高貴な感情と合理的な思慮とつまらない虚栄心と卑しむべき愚かさの、共約できない状態での並存」。共約することを目指さず、ただその並存状態の維持をめざす。結論は、むしろ出してはいけないのである。また「政治とは地味な問題を処理する業務(buisiness)である」。退屈さと俗悪さに耐えるしかないのである。
○『老のくりごと 八十以後国文学談儀』・・・島津忠夫著作集別巻4。瑞々しい思考が躍如としている。学者のうつくしい晩年。
木俣元一・小池寿子『中世Ⅲ ロマネスクとゴシックの宇宙』(西洋美術の歴史、中央公論新社)・・・このシリーズ読み上げたと思ったけど、まだ残ってた。
○橋爪伸也『大大阪の時代を歩く 大正~戦前の大阪はこんなにすごかった!』(歴史新書、洋泉社
○大森貴秀, 原田隆史, 坂上貴之『ゲームの面白さとは何だろうか』(慶応義塾大学三田哲学会叢書)

 まだディケンズに取りかかれていない。

 

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うを・しる・もやしもん

 『海月』敬士郎さん夫妻のお誘いを受けて、鈴蘭台『ピエール』へ。途中「すずらん吉田」(酒店)に立ち寄る。ここにあったんですな。アヤシイ感じの立ち飲みコーナーが店の奥にある。こんど行ってみよう。


 『ピエール』さんのスープが旨かった。コンソメなのだが、具がふかひれと夏草(漢方で使う冬虫夏草ですな)で、そこに箱ごとどさっとテーブルに置かれた海胆をスプーンで入れて食べる、という仕立てなのである。なんとなくちまちま入れていると、シェフから「もっとどーんと入れていいのですよ」と託宣がくだる。こうなるともう、フレンチなんだか中華なんだかよう分からんのであるが、ま、敬史郎さんの料理だって中華?と疑うことも多いしな。かめへんかめへん。旨いもんを食って気分がいいから、鷹揚なものである。


 『海月』関連の話題をもうひとつ。敬史郎さん肝煎りによる企画「蜃景樓」。名前の通り、一夜限りの店で場所は元町にある「ヒトトバ」というハコを借りて行ったもの。敬史郎さんは洗い物などに回り、友人の料理人ふたりが腕をふるうという形だった。点心のひとつひとつがまことに美味く、他にも広東式脆皮鶏だの烏賊の紹興酒漬けだの、酒の肴にもってこいの料理もあって、ワインや清酒で堪能しました。次来たらもうこの店は見当たらない、というその風情もいいね。竜宮城か桃源郷で呑んでるみたいである。もっともなんだか次回の企画も立ってるみたいだが。


 シェアキッチン、というこのシステム、若手が挑んだり、中堅以上が実験したりするのにうってつけ。いっちょう儂もやってみるか。どんな店にするかって? 無論《干もの、汁もの、なしもののいっぱい飲み屋》に決まっている。注して言う、ナシモノとは塩辛など発酵系の酒肴のこと。まずは拙宅で「実験」してみます。ご関心のある向きはお問い合わせ下さい。


 家では小鍋の機会が増えた。ひとり者が献立を考えるのを無精してるには非ず。書いたように、汁ものは清酒のアテとして最高で、しかも出汁・具材・薬味の取り合わせで、種類は実際上無限というに均しい。


 となれば、具材は逆に豊富であってはならぬ。それはよくいえば「週末の家庭団欒料理」、はっきりいえば「不見転の貧乏料理」に過ぎなくなってしまう。池波正太郎の戒める如く、一種か二種にとどめておかねばならぬ。というより、その方が実際旨いと思う。


 従って、理想は湯豆腐となる。薬味は葱・おろし山葵・焼き海苔・胡麻・茗荷・擂り生姜・柚子胡椒・山椒佃煮・柚子・梅干・おぼろ昆布の小皿をずらっと並べる。味付けは生醤油の他、塩や胡麻油、練り味噌などで一口ごとに趣向を変える。豆腐は木綿。風雅のようだが、興にのったら二丁食べてしまうのであるから、あまり風雅でもありません。


 その他に気に入ってる仕立てとしては、

○豆腐と蛤・・・池波正太郎の本で覚えたのかな。我が家では剥き身ではなく殻ごと。出汁は昆布と酒。薬味は柚子か山椒。この時の豆腐は絹ごしが好き。
○豚と菠薐草・・・池波さんは「常夜鍋」として紹介してたはず。豚はロース。出汁は昆布。そこに大蒜と生姜を一かけずつ浮かせる。田辺聖子さんの本で、向田邦子発明と紹介して、絶賛していた。たしかにびっくりするくらい旨くなる。
○きのこ・・・きのこだけ。スーパーであるだけのきのこを買ってくる。出汁は鰹と昆布。吸い味薄めで調味。薬味は七味、山椒、柚子。
○鱈と白葱・・・鱈は霜降りして綺麗に掃除しておく。出汁は昆布。ポン酢醤油に紅葉下ろし、でしょうな、これはやっぱり。
○鳥モツと三ツ葉・・・鳥モツは茹でこぼししたあと、薄切りにして水にさらす。出汁は鰹・昆布。酒醤油で吸い味程度に味付け。薬味は山椒、時に胡椒なども面白い。鳥モツの代わりに焼き穴子でも。

 二種類以下、の中での龍虎と称すべきは鯛蕪、および鯨コロと水菜となりますが、両者とも下ごしらえに結構手間がかかるので、どうも「小鍋だて」という雰囲気にはそぐわない気がする。

 さて、最近読んだ本。
○クレイグ・クルナス『明代中国の庭園文化 みのりの場所/場所のみのり』(中野美代子中島健訳、青土社)・・・今回の秀逸。軸は二つあって、一つめは中国庭園論に歴史的視点を導入すること、次に美意識や哲学以外の、経済的視点を導入すること。「経済」とは、庭園で採れる果実・蔬菜等が莫大な収入をもたらした、ということである。ナルホド。今まで、唐山の詩人が何かと言えば「我が庭の畑を耕し水をそそぎ」とうたっているのがも一つぴんと来なかったのだが、あれはポーズ以前に実質的な意味があったんですね。たとえば、柳宗元。この代表的な山水詩人にしたって、「渓居」では

久為簪組束/幸此南夷謫
閒依農圃鄰/偶似山林客
曉耕翻露草/夜榜響溪石
來往不逢人/長歌楚天碧

と農作業にいそしんでいる。あちらの場合、詩人=知識人=官僚=地主であるわけだから、土地は確かに収益の最たる手段なんだな。『図像だらけの中国 明代のヴィジュアル・カルチャー』という新刊も面白そう。とほめた上で、クルナスがさんざん揶揄するところの、ステロタイプの中国庭園論、つまり元型たる桃源郷の地上的再現としての庭園、というイメージにはやっぱりうっとりしてしまう、と告白せざるを得ない。これをしもオリエンタリズムというべきか。
○『旅と日常と』(「フランス・ルネサンス文学集3」、宮下志朗他編訳、白水社)・・・東方トルコへの旅での見聞を綴った『異国風物誌』は晩酌しながら拾い読みするのに最適。でも『アンリ三世治下の日記』となるとそうはいかない。血みどろの話題が多いせいもあるけど、有為転変のおもしろさに、酒の方が疎かになってしまうから。このシリーズ、おすすめです。
石牟礼道子『完本春の城』(藤原書店)・・・石牟礼版「島原の乱戦記」。『椿の海の記』の愛読者としては、農民・漁民たちの幸福な生活があの本くらい書き込まれていたら、反乱に至る心情がもっと切実に迫ってくるのになあ、と思う。
○ウィリアム・マリガン『第一次世界大戦への道 破局は避けられなかったのか  1871〜1914』(赤木完爾・今野茂光訳、、慶應義塾大学出版会)・・・これも今回の秀逸。大戦直前までは誰もがこの平和はまだ続くだろうと思っていて、しかも開戦すると一斉に「やっぱり戦争になると思ってた」と言説が翻るのがおそろしい。心すべきことにこそ。
福田逸『父・福田恆存』(文藝春秋)・・・恆存にチェスタトンを教えたとは自分だ、という文章に一驚。また晩年の恆存の衰老の有様を冷静に描いていく一章もあり。それにしても福田恆存のようなカミソリ型の知性は、老耄すると余計に悲惨なものですな。
中村小山三『小山三ひとり語り』(小学館)・・・小山三丈の語り口は快く、へえという話も多いが、インタヴュアーはもう少し構成や質問に工夫したほうがよかった。
○デイヴィッド・ホワイトハウス『図書館は逃走中』(堀川志野舞訳、早川書房)・・・いじめられっ子。母の死。父からの虐待。友情と別離。障害を持つ女児。出奔。逃走。ヴァガボンドとの邂逅。家族ごっこ。北の古城。父との対決。炎上とハピーエンド。この道具立てについて論うことはしないが、せっかく移動図書館で逃走する男の子、という魅力的な主題なんだから、どういう本を読んでどう成長(ないし退歩)したか、もっとじっくり付き合わせてくれよ。途中挟み込まれる寓話仕立ての章も噴飯物の出来。
○フランシス・ギース『中世ヨーロッパの騎士』(椎野淳訳、講談社学術文庫
タイモン・スクリーチ『江戸の大普請 徳川都市計画の詩学』(森下正昭訳、講談社学術文庫
○マッシモ・モンタナーリ『イタリア料理のアイデンティティ』(正戸あゆみ訳、河出書房新社


 いつになったら岩波文庫新訳の『荒涼館』に取りかかれるのやら・・・。

 

 

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この世の外なら何処へでも

 旧師が講演をするというので、大学へ。先生の語り口は二十年前のままだった。主題は源氏物語「野分」巻の「あくがるる心」をめぐって。「あくがる」(現代語形だと「あこがれる」)、今は「理想的な対象に心惹かれる」という形而下的な使い方が主流となってしまったが、本来はこの語、「魂が自分の身から離れてさまよう」という意味だった。「野分」巻における「あくがる」の用法を精細に観賞していくという流れの講演で、冒頭にドイツロマン派を持ってくるところもF先生らしい。浪漫的な気質、殊に「あくがる」という側面に鋭くひびいていくご自分を、凝っと見つめているという趣であった。
 旧師に引き比べるのはおほけなきことながら、離魂の癖(へき)、鯨馬にも少なしとせず。先生の口調はユーモアを交えたものだったが、所々胸を抉られるような思いがした。
 講演後はせっかく六甲に来たのであるから、『彦六鮓』で呑む。学校へ行く前に、近くの「フクギドウ」で開催中のやちむん展に寄り、登川均さん作の酒器と、鉢を買っていた。『彦六』で無理を言って、その酒器で燗酒を出してもらう。ぐい呑みに注ぐ時の音が魂に滴るようでありました。
 二軒目は先生方と合流して三宮。文学の話をこれだけ語ったのは久々という気がする。

石牟礼道子『花びら供養』(平凡社)・・・渡辺京二編。
河出書房新社編集部編『池澤夏樹、文学全集を編む』(河出書房新社)・・・講演の前日に手に取った本。偶々だが、『源氏』訳を続けている角田光代さんが、先生(解題を書いている)について触れていた文章に出会って何となく嬉しかった。
○内田洋子『十二章のイタリア』(東京創元社)・・・エーコ追悼と本での村おこしを描いた最後の二章が面白い。ヴェネツィアで出版業が盛んだったのは知識として持っていたが(代表的な出版人であるアルド・マヌツィオの伝記を読んだおぼえがある)、リアルト橋のたもとから聖マルコまで書籍の店が続いていたとは知らなんだ。それにしても、ヴェネツィアのことを書いているだけで、「あくがるゝ」心地になるのはなぜでしょうね。
○スティーブン・バックマン『考える花  進化・園芸・生殖戦略』『感じる花 薬効・芸術・ダーウィンの庭』(片岡夏美訳、築地書館)・・・味が薄い。思えばエーコ教授のような超弩級のエンサイクロペディスト(かつ魅惑的な語り手)はほんとに見当たらなくなった。
○マリオ・インフェリーゼ『禁書 グーテンベルクから百科全書まで』(湯上良訳、法政大学出版局
○クラウディア・ブリンカー・フォン・デア・ハイデ『写本の文化誌 ヨーロッパ中世の文学とメディア』(一條麻美子白水社)・・・中世のインクって茨から作ってたんですな。
○マックス・リュティ『ヨーロッパの昔話 その形と本質』(小澤俊夫訳、岩波文庫
池上永一『黙示録』(KADOKAWA)・・・『テンペスト』があまりに面白かったもんだから、「それを越える傑作」とか言われるとかえって不安で避けていた。でも読んでみるとやっぱり凄い。与那城王子という、『テンペスト』の聞得大君みたいな怪物的キャラクターが登場して、「俟ってました!」という感じ。主筋にはあまり絡んでこないのだが、小説家が出したくて仕方ない、という感じがよく伝わってくる。
○藤田正勝『日本文化を読む 五つのキーワード』(岩波新書)・・・西行の「心」・親鸞の「悪」・兼好と鴨長明の「無常」・世阿弥の「花」・芭蕉の「風雅」だそうである。へへえ、恐れ入りました、という感じである。
○浅野秀剛『浮世絵細見』(講談社選書メチエ
○松本郁代『天皇の即位儀礼と神仏』(吉川弘文館
○ブアレム・サンサル『2084世界の終わり』(中村佳子訳、河出書房新社)・・・「2084」は「1984」から一〇〇年後。お分かりのようにオーウェルの『1984年』を先蹤と仰ぐディストピア小説である。破滅的な世界戦争のあと、「徹底的かつ決定的な勝利」(どっかの独裁国家のニューステロップみたいやな」)を収めたある宗教が治めるアビスタンという単一国家が世界を覆い尽くしている(とアビスタンは主張している)。崇拝されるのはヨラー(!)なる神とその「代理人」たるアビ。巧妙かつ容赦ない宗教=政治の監視システムの中で人々の思考は完全に停止。辺境のサナトリウムから帰還したある青年が、世界の真実と自由とを求めて聖なる都へと侵入する―――とまあ、鯨馬はこのオビの紹介に惹かれて読んだのですが、どうもいけない。ディストピア小説は大概退屈なものだけど、この新作も喜ばしき例外とはなれなかった按配である。世界のシステムを説明しよう説明しようとするあまりに、小説としての動きが無くなってしまうのがこのジャンルの欠点で、『2084』もなんだかWikipediaで新作RPGの梗概を読んでるような味気なさが残った。第二に、これははじめの疵とも結びつくのだが、主人公が行動しない。一つだけやってのけるのだが、その後はまるで某朝の連続テレビ紙芝居、じゃなかった、連続テレビ小説のナレーションを聞いてるがごとき進行で、とはつまり、結局は紙芝居なのである。そして第三にこれだけ枚数を使って世界の解説をしてる割には、それが生々しく迫ってこない。むしろ、徹底した寓話、ないしは神話的な方向性を狙うべきではなかったか(ブッツァーティや『シルトの岸辺』のジュリアン・グラック)。作者はアルジェリア政府の厳しい監視下にあって創作活動を続けているそう。その勇気には敬服の他ないけれど、『服従』を嗣ぐ作品とは到底申しかねます(ウエルベックがオビでそう推薦しているのだが)。しかし、今や《世界》を描くには宗教はやっぱり不可欠の主題なんだなあ、とそれだけが妙にリアルに実感できた。いっちょオレが書くか。

 

2084 世界の終わり

2084 世界の終わり

 

 

 

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肉名月

 名月の夜、大学の後輩で連句の連衆でもある里女さんの誘いで焼肉へ。風雅にシマチョウを炙り、優美にハラミを噛みしめたりする。酒の途中で店の外に出て空を仰ぐと、主役は真っ白に照り映えておりました。ビルの合間の明月(と書きたい)には独特の風情があって、これはこれでいいもんですね。


 名月や腥(なまぐさ)き話の出る気配   碧村


 新聞書評欄の下に、『丸山健二全集』の広告が出ていた。全100巻というのも尋常ではないが、「全巻書き下ろし」とあるのに目を剥いた。旧作全てに手を入れるということだろうか。小説家として健全な情熱かどうかは分からないが、とんでもないことが始まった、という気がする。

 なんだか、今回は新聞書評で取り上げられた本が多い。以前は大新聞なぞより小回りがきくこちらこそが先手を打ってやる、と意気込んでいたものだが(しかし何の「先手」だというのだ)、今やそうした衒気(覇気)も無し。坦々と記す。

○玉置標本『捕まえて、食べる』(新潮社)・・・巫山戯てんだか真面目なんだか。ま、ともあれホンオフェ(発酵させたエイの刺身)まで作るのはすごい。
○アンジェラ・アッカーマン、ベッカ・パグリッシ『場面設定類語辞典』(滝本杏奈訳、フィルムアート社)・・・これも初めはシニカルなジョークだろうと思っていたところ、どうもそうでもないようなので、気味悪くなる。ま、読む方は冗談と思って読み飛ばせばいいのですけど。アメリカの風俗研究としての価値の方が高いのではないか。
○槇佐知子『「医心方」事始 日本最古の医学全書』(藤原書店)・・・言うまでもない、『医心方』全訳(これぞ偉業!)を成し遂げた著者による入門編。
○ステーィヴン・キング『死の舞踏 恐怖についての10章』(安野玲訳、ちくま文庫)・・・単行本は出た時に読んだ。文庫版には長大な序文が付き、さらに翻訳・映画・ヴィデオの「書誌」情報も充実している。キングはこういう時、実に健全に思考をすすめる(先輩同僚の作家たちに手紙を出して、直接疑問点を質したりしている)。それがまたキング一流の無愛想な文体で書かれるのだから、なにかこう、嬉しくなってしまうんですな。「よ、百鬼屋!」と声を掛けたくなる。
野口冨士男『感触的昭和文壇史』(講談社文芸文庫)・・・素人にとっては面白い読み物であるが、これもキング著同様、一行辺りの、というか行間の情報量がすごいんだろうな。風呂でちびちび読み進めている。
小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』(岩波文庫)・・・解説を谷川俊太郎が書いている。ナルホド。
小林信彦『わがクラシック・スターたち』(文藝春秋)・・・「本音を申せば」シリーズ最新刊。いやあ、文章枯れたなあ。それでいてひとり合点なとこは全然消えてないのが偉い。言うまでもなくこれは褒めているのです。
古井由吉楽天の日々』(キノブックス)・・・古井さんの文体も老来益々古井節。どことなく不気味なユーモアが随所で噴出する。
冨田恭彦『カント哲学の奇妙な歪み 『純粋理性批判』を読む』(岩波現代全書)・・・『純粋理性批判』を読む必要が出来した。カッコよく「十年ぶりに読み返す必要が・・・」と書きたい所だが、字義通りの「積んどく」。で、竹田青嗣さんの『超解読!はじめてのカント『純粋理性批判』』(講談社現代新書、こちらは再読。おっそろしく明快に全篇を「解読」しています)を地図代わりに、それに新しい副読本として選んだのがこの本。「物自体」のアイデアがどこから来たのか?など、がっちがちに見えるカント哲学の中の「遊び」を衝いていく。重箱の隅をつついてるんではなく、そこに新たな問題を発掘し、提示してくれている。
福田和也『鏡花、水上、万太郎』(キノブックス)・・・久々の文芸批評なのだそうな。ふうん。
合田正人『入門ユダヤ思想』(ちくま新書)・・・ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、という読後感。ちぎられているのは主題。
○栗山善四郎『江戸料理大全   将軍も愛した当代一の老舗料亭300年受け継がれる八百善の献立、調理技術から歴史まで』(誠文堂新光社)・・・何度も書いているが、屈指の政治都市だった以上、京都より大坂よりも江戸のほうが正餐に当たる料理は進化していたはずである。それと、後発都市ならではの野鄙な部分(「いき」とはそれへの居直り以外の何物と言えるか)との奇妙な混合が、おそらく「江戸料理」固有の魅力である。この本で改めてそれを実感した。素材・調理法・盛り付け・器の趣味、全部を引っくるめて「京料理」でも「茶懐石」でもない江戸料理らしさがある。刺戟された向きは、臨川書店から翻刻で出ている『料理通』(江戸時代の八百善主人が執筆した献立&レシピ集)に就いて見られるべし。鯨馬も一度拙宅にて「素人包丁・江戸料理の会」をしようと真剣に考えている。

 大物二点は「見逃し」。アンガス・フレッチャーの『アレゴリー』(白水社)と西田耕三『啓蒙の江戸』(ぺりかん社)である。飲み歩いてるバヤイではありません。

 

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奇襲のキッシュ

 まだまだ中華フィーヴァーが止まらない。先週木曜日には、海月夫妻と住吉『自然派中華クイジン』さんへ。

 敬士郎さんの覚え書きを拝借して、献立を記す。
・鯨の椒麻ソース、秋鮭雲呑のみぞれソース、よだれ鶏、シャコの香味醤油、叉焼肉、牡蠣のベーコン巻金砂粉、海老と枝豆の紹興酒漬け
・子持ち鮎の揚げ物ハイビスカスソース
・秋刀魚のトウチ蒸し
・豚足と冬瓜の白湯煮込み
・牛すじ入り麻婆豆腐
・ライチをお肉で巻き込んだ黒酢酢豚
・鱧と湯葉と松茸のあんかけ炒飯
・南瓜と金木犀の焼きアイス〜ココナッツアイスのせ、ピオーネとクリームチーズのゴマ団子、杏仁豆腐梨のソース、無花果のアイス

 敬士郎さんの「解説」を聞きつつ、芝田シェフの料理を愉しむ(一体に野菜の使いかたが上手で感心した)。イチローの解説付きでメジャーリーグの試合を観戦するようなものか。または中村元さんのガイドで水族館を見て回るようなものか。友人と話しながらの食事はいいもんである。

 二軒目、敬士郎さんが連れて行ってくれたバーも良かった。神戸駅近くなのでまた行けるね、ここは。


 土曜は呑み友だちの誕生日ディナーを『海月』さんで。

・前菜盛り合わせ(海鮮ユッケが旨かった。卵黄を紹興酒に漬けるというのが面白い)
・バターナッツかぼちゃと干し貝柱のスープ
・揚げ物(松茸と鱧の春巻、オクラの花で麻婆茄子を巻いたもの)
・足赤海老のチリソース
・アコウの姿蒸し
・秋刀魚の燻製のアクアパッツァ
・鴨とクレソンの炒め物
・キッシュ

 このキッシュが一種の傑作であって、というのもオッサンふたりでもあり、「デザートは抜き、それでどこかに誕生日祝いの要素を」と敬士郎さんに注文していたのだが、正直どうなるんだろうと思っていたところに、このキッシュが出てきたのである。中身は上海蟹の身のほぐしたもの。吊り橋型(?)にメッセージをぶら下げた蝋燭を灯して登場。風伊氏も「これ、面白いわー」と大満足だった。洒落た趣向である。


 偶然の機会に恵まれ、この日、敬士郎さん夫妻との次回のお出かけ予定も決まる。


 という感じですこぶる気持ちよく食事と酒を堪能したのでしたが、食中一度風伊氏と言い合いになった。○○、とこちらの名をあげて、「影響で、少しは意識高い系になれた気がする」。


 ファシストとか破廉恥漢とか言われるならともかく(幸いどちらでも無い、と思う)、「意識高い系」とは当方の人としての体面に関わる、前言撤回ありたし、と反論したのである。


 「エコ」だの「ビオ」だの「オーガニック」だの「手づくり」だのということば(咒文?)を見ると、何かひどく禍々しい、邪悪なものを目にしたように、えづきたくなる(そう言えば、『エコエコアザラク』てマンガがありました)人間に「意識高い系」とは手ひどい侮辱ではないか。


 一体に虚弱体質の方であって、「反戦」「護憲」と聞くと頭痛目眩に襲われ、「市場原理」「スキルアップ」と聞くと蕁麻疹が出て、「愛国」「保守」と耳にすれば途端に腹を下してしまうのである。カラダ弱いネン。


 では如何なるものならアレルギー反応出でざるや、との風伊氏の問にしばし黙考して曰く、「『濡れ手で粟』。」なりとぞ。

 

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