南部ひとり旅(2)狂人・ミロク・シャカ・天使

 実際、翌朝はすかっと目覚めたのだった。ホテルの朝食もおいしく頂いた。ご当地料理の代表格であるせんべい汁というのがたいへんよろしい。鶏や昆布でしっかりとった出汁に大根人参葱牛蒡、そこに南部せんべいがぬめっとてろっと浮かんでいて、これなら二日酔いでもするする喉を通るはず・・・昨夜はもっと酒に慾かいておいてもよかったかな。


 このホテルは近くの銭湯と連繋していて、割安の料金で入れる(ホテルの部屋のタオルを持っていく)。朝湯は近所のおっさん連中でいっぱいだった。八戸は人口あたりの銭湯の数が全国一らしい。鯨馬が思うに、銭湯の多さは昨晩見た、どの居酒屋も大賑わいという町の気風とかなり密接に関連しているはずである。


 銭湯を出て、海の方角へ歩き出す。昨晩「一時間はかかるぞぅ」と言われのだが、こちらとしてはむしろ「一時間で行けるねや」と気軽に考える(方向音痴でも迷いようのない一本道ではある)。金無垢の陽光が目路いっぱいに降り注いでるような日に歩かない手はない。


 道草もくわずぶらぶら歩いて、着いたのが十一時前。広大な船着き場には時間柄当然ながら人影はなく、ただただウミネコがにゃあみゃあと喧しい。ギャングのような獰悪な目つきの海鳥のあいだをすり抜けるようにして岸壁をぶらぶら。滅茶苦茶にでかい。日曜のには国内有数の規模の朝市が開かれるのだそうな。ちょうど明日は日曜。予定に入れておこう。


 陸奥湊駅の市場内食堂はもう仕舞っている。近くの有名店は通りがてらのぞくと、ホタテ丼やイクラ丼など。当方苦手な海鮮丼系統の店らしいのでここは敬遠して、港の突端にあるうどん屋に入った。何の風情もない仮普請のようなところだが、大音量の演歌が流れるなか、漁業関係者らしいオッサンアンチャンに混じって、ともかくも熱いうどんをすするのは悪くなかった。


 気温も低くなく空も綺麗に晴れた中だから、あちこちにあった「津波が来たらすぐに避難して下さい」の看板にはよけいリツゼンとする。八戸は幸い死者が無かった(と前夜聞いた)そうだが、全体にのっぺりした土地だから、高波が押し寄せたら被害の甚大は目に見えている。東北の傷は少しも癒えていないのだ。


 電車で市内まで戻る。夕刻まではまだ充分時間がある。名高い合掌土偶を収蔵する縄文館行きのバスは今しがた出たところ。歩き回るには半端で、さりとて酒を呑みだしたらあっという間に日が暮れてしまうだろう。


 と、バス停の近くにあった安藤昌益資料館に入ってみた。恩師も一時昌益の思想を研究していたことがある。十年ほど前の設立というだけに和本や書簡の現物は無かったものの、昌益の名が確認できる藩の日録(町医者であった昌益に藩士の手当を命じた記録)や安藤家の宗門改帳の複製などを手に取った見ることが出来る。つい歩けば昌益の住まいや講義した寺に行き当たる町でこういう資料を見ると、発見者狩野亨吉によってすら初めは狂人としか思われなかった「忘れられた思想家」が、にわかに江戸の八戸を闊歩する活きた人間として迫ってくる。


 また、NHKの特集番組を放映していて(ゲストは井上ひさしと安永寿延)、期待せずに見始めたもののこれが結構面白かった。昌益の特異な思想の根がどこにあるか、を謎ときしたものである。番組の仮説はこうだ。

南部藩は地味が肥沃でないこと、またヤマセなどの悪条件のために水田での稲作が難しく、焼畑による畑作が主流だった。
○地力を回復させるために、休耕地にしておくと日当たりのよくなった焼畑地には、蕨や葛などがまず繁茂する。
○これらの強靱な根茎を掘り返して食料と出来るのは牙を持つ猪だけである。
○よって猪が大繁殖する。
○増えすぎた猪はやがて畑の作物までも食べつくし、結果「猪ケガジ(=飢饉)」によって数千人が飢え死にした。


 悲惨な状況を目の当たりにした昌益は、「生態系の中に位置を占める存在としての人間」という観点を獲得したのである、というわけである。あの神秘的で晦渋深遠な思想が清新なものに見えてくるではないか。ヴィデオの後は、資料室に収める関係書のあちこちを拾い読みして小半時。ソファとお茶があればもっとゆっくりしていたかった。と、当方はそれなりに愉しんでいたのだが、江戸の思想を考究していたようなすれっからし一人を相手に「解説」せねばならなかった学芸員の方は(解説は辞退したのだが)さぞやりにくかったことであろう。


 資料館を出て、地元資本の百貨店に入る。予想以上に魚売り場が凄い。ほとんど港の市場の一角がここに突出しているという趣である。カレイや海藻やツブ貝などを見て「嗚呼」「おぅ」と悶絶するが、ホテルではどうしようもない。血の涙をこぼしながら通り過ぎ、すっかり気に入った南部せんべいのコーナーへ。こちらは予想どころか、目を疑うほどの品揃えである。「海老・海苔入り」というやつを買って、ペットボトルのお茶うけにしながらしばらく小憩。そのあとはも少し街歩き。


 「本のまち・八戸」をPRしているらしい。目抜き通りのまん中に立派な構えの八戸ブックセンターがある。中も瀟洒なつくり。大都市の大型書店とは違って、何でもかんでもともかく沢山、というのではなく、色んな分野の人が自分で設定したテーマで選んだ書目を並べたり、読書会の部屋を設けたりしている。本好きとして、衷心より敬意を表します。実際こちらが「おや、こんな本あったんだ」というものも数冊見つけた(こうして荷物が増えてゆくのだ)。


 これで弾みがついてしまい、自ら禁としていた古本屋へ足が向いてしまう。東北の民間信仰についての冊子などを買う(こうして荷物が増えてゆくのだ)。


 ホテルに戻り、朝の銭湯で体をほぐすと丁度夕刻。今回は目を付けていたミロク横丁の店へ。さすがに「前沖」(八戸の海で採れた、ということ)の鯖の刺身は脂のこまやかなのりが絶品だったし、フジツボやとしろ(鮑の肝の塩辛)も酒の肴としては抜群。何よりも自分以外の客がみな地元の方で(といっても十人も入れば満員)、鯨馬には半分ほどしか理解出来ない南部ことばで賑やかに話し、景気よくコップ酒をあおっているという光景が頼もしい。こういうところであんまり長居するのはよくないな。


 ミロク横丁ではもう一軒で鯖や貝を焼いたので数杯。次はホテル近くで見つけておいたおでん屋に入る。芥川龍之介の作品名と同じ、ということはおでん屋としては頗る面妖な店名で、なんだか「極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら」お釈迦様がお歩きになっているのかとも思ったが、カウンターの中は南部美人のママさん、にっこり微笑んで迎えてくれたのだった。観光客があまり来ない店らしい。周囲ままたもや常連とおぼしき方々。「こんなとこ、何しに来た」と口々に詰問されつつ(はにかみというより、半ば以上本気で呆れてる様子)、滅法いい気分で熱燗をぐいぐいやる。


 あまり心持ちがよいので、おでん屋の後もう一軒。ここでは地元の看護師と仲良くなる。さすがに南部の人間は肌が綺麗で、そしてそしてこれが重要なのだが、若い娘でもよく呑みますな、しかし。母親が「イサバのカッチャ」だったというから、生え抜きの八戸っ子である。注して言う、「イサバのカッチャ」とは「魚市場の仲買のオバチャン」の意。なんでもカラスガレイの担当だったそうで、毎日弁当にどでーんと鰈の切り身が入ってるのは、多感な高校生時代、凄く嫌だったが、スジコ担当のカッチャと仲が良かったので、時折物々交換で手に入れたスジコが弁当にどでーんと入ってることもあって、それは凄く嬉しかった、という。なんだか哀切なような豪奢なような話であった。


 例の「なんでこんなとこに来た」というやつをかまされ、こちらも毎回同様に「一月に青森市で遊んで楽しかったから」と答え。ここで昨夜からの疑問が氷解した。


 「アオモリ」の名前をきくと、皆さん一様に「ふーん」と「はーん」の中間のような相槌で、片付かぬような表情のままそそくさと盃を乾すのである。慎み深い南部人はそれ以上語らなかったが、よく呑みよくしゃべりよく笑う、「津軽と八戸と一緒にしてもらっては困る」と一刀両断してのけた。文化も気質もまるで異なる、驚いたのはことばも別らしくて「津軽人が本気で話し出すと全く分からない(津軽は早口なのだそうだ)」。高慢ちきで小ずるい津軽の人間は大嫌い、とここまで明快だといっそ気持ちいい。「次来る時も、だから八戸に来ればいい」「でも来ても何にもないしなあ」と実に可愛らしいのである。

 

【ランキングに参加しています。下記バナーをぽちっ。とクリックしていただけると嬉しう存じます!!】

 

<a href=にほんブログ村 料理ブログ 一人暮らし料理へ

にほんブログ村 グルメブログへにほんブログ村 グルメブログ 食べ歩き飲み歩きへ

にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

南部ひとり旅(1)聖地巡礼

 今回は八戸中心の旅なのに、三沢ではなく青森空港発着で予定を組んでしまったところに、当方の無知があらわれていた。空港からバスで青森市まで。そこから電車を乗り継いでいくと、八戸での昼食は無理そうである。ならば二月ぶりの青森で食べていきますか。


 と市場が並ぶ古川町の食堂で昼食。時間が出来たのでゆっくりビール・清酒を飲む。蛸・縞鰺・鮪・生鮭の刺身も天ぷらも旨かった。小鉢の鰊の麹漬けがまた清酒によくあう。


 さて青森駅からは青い森鉄道で八戸まで。ちょうど中間という見当の野辺地あたりではまだ真っ白な雪が高く積もっている。八戸はそこでJR線に乗り換えて二駅目が本八戸。こちらが市の中心部に当たるらしい。ただ駅前は商人宿くらいで、繁華街からは離れている(といっても五分も歩けば着く)。


 ホテルに荷物を置いてから街歩き。呑み屋横丁の多いことで有名らしいが、横丁に限らず人口規模に比して居酒屋の数は多いようである。こういう町、つまり飲み助の多いところは信を置ける。お目当ての店はすぐに見つかった。黒ずんだ格子窓が夕暮れのなかでいい風情。向かいのコンビニに入り、開店の六時に暖簾がかかるのを待ってさっと飛び込んだ。


 というのは予約を取らない家だからである。『ばんや』。今や全国的な有名店と言っていいんだろうな。翌日も翌々日も、地元の方に『ばんや』で呑んだというと、決まって「あそこは入りにくいからねえ」ということばが返ってきた。実際、見る間に広くない店内はいっぱいになっていた。


 当方はというと、ネットやグルメ本ではなく種村季弘さんの文章に描かれたこの店がイメージの中でいわば聖化されていて、八戸に行くならここ、と決めていたのである。『食物漫遊記』『日本漫遊記』参照。『ばんや』のために八戸を滞在地に選んだといった方が正確なのかもしれない。


 拭き込まれて黒光りするカウンターの上に大鉢が並び、その後ろの壁に本日の魚が書かれている。厨房には中年男性ひとり、カウンターでは白髪の女性(女主人?)と細っこい若者が客の応対をしていて、この女性がまた、『ばんや』のような店にはこういう人以外にはあり得ない、という容貌物腰の方で、この雰囲気だけでも呑める。


 でも肴は頼みます。お通しは子和え(野菜に鱈の子をまぶしたもの。郷土料理)。大ぶりの大根・人参が品良い味付け。あとは鮎並の造りと煮物(蕗・蕨・身欠鰊)、烏賊の共和え、馬肉と牛蒡の煮込み、焼き鰯を頼む。尤物はこの鰯で、大羽のやつが二尾付いている。腹をほじるとぼろりん、という感じであぶらがこぼれてくる。そのあぶらに包まれているのは無論のこと高雅な苦みのはらわた。


 こんな肴で清酒のすすまない方がおかしい。種村大人も「鳩正宗という地酒にうつつをぬかした」と書いている。ここは底に藍で二重丸を描いた利き酒用の大ぶりの汲み出しに盛りきりで出す。東北の地酒は種々あったが、折角だから青森のだけを頼んでいった。えーと、八仙を四銘柄、そのあとで豊盃を呑み稲生(いなおい)をいただき、杉玉というのも頼み、田酒を呑んだのはおぼえている。焼き鰯の頃には燗酒の徳利を傾けていた。なにせ「うつつをぬか」すまでだから、これくらいは当然というところ。肴もしっかり胃の腑におさめていたせいか、乱れることもなし。これは主観ではなく、二軒目に連れて行かれたバーでも、極上稀品のバーボンを呑んでいたから確かである。連れて行った方が先に酔ってたような。これは『ばんや』で隣に座ったおっさん二人組、といっては失礼か、さる金融機関の部長次長という立派な仕事をされてるお二人で、「よく飲むなあ」「ではついでにもう一軒」と誘われたのだった。


 そのバーでも当たるべからざる勢いで呑んでおりますと、「明日の予定は決まったか」「車が必要なら出すぞ」とまでの親切・・・ではあるが、このままずぶずぶご厚意に甘えたのでは、気儘なひとり旅の本旨からはどこまでもズレていってしまう。丁重にご辞退して、その日はそそくさとホテルのベッドにもぐりこんだのだった。


 週末で賑わってはいたのだろうが、帰る途中、酒客の姿がやたらと多い。それも観光客ではなくいかにも地元の人間らしいのが、くだをまくのでもなくふらふらするわけでもなく、しかし店から店へと巡っているという雰囲気である。明日の夜も明後日の夜もこの町にいる(いられる)のである、と思うと、しびれるような快感が身ぬちを突き抜けた。

 

 

【ランキングに参加しています。下記バナーをぽちっ。とクリックしていただけると嬉しう存じます!!】

 

<a href=にほんブログ村 料理ブログ 一人暮らし料理へ

にほんブログ村 グルメブログへにほんブログ村 グルメブログ 食べ歩き飲み歩きへ

にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

たてよこななめ

 誕生祝いのメッセージを下さった方々、この場を借りて改めて感謝申し上げます。張龍・風意のお二人、素敵なプレゼントをありがとう。


 過日はこれまた思いがけない贈り物も。うらうらと晴れた昼、『かね正』で下地を入れていつものように『ふみ』に向い、ボート選手の品評に耳を傾けながら(鯨馬自身は致しません)、ぽつねんとかつ陶然と(一軒目の熱燗がだいぶ効いてきた)呑んでおりますと、見たような風体のゴツい兄ちゃんが。


 店をたたんで以来、ずっと会ってなかった某氏だったのでした。「知った顔に遭遇するのが億劫でこちら方面にはあまり出てなかった」とのこと。久々に見るのが当方如きでは申し訳無き仕儀であるが、いっぱい機嫌で緩みの出た表情にこの程度なら気の置けることもないと安心したようで、結局は『ふみ』を含めて都合三軒ほたえ回ることになる。最終は兵庫駅前の『原酒店』だったので、呑んだことも呑んだが、ずいぶん歩きもした。翌朝ぴりっともこなかったのはそのためか。。

 では最近の本。
○ジム・ホルト『世界はなぜ「ある」のか? 実存をめぐる科学・哲学的探索』(寺町朋子訳、早川書房)…文庫化の広告でタイトルに惹かれて単行本を読んだ。物理学・神学・数学・哲学と色んなジャンルの専門家が考えていることが要領よく紹介されていて(著者がインタビューに行っている)面白い。アップダイクにも会って話を聞いている。へえ、アップダイク。単なる勘だけど、ステーィヴン・キングやチャイナ・ミエヴィルならこのテーマにそれほど興味を持たないのではないか。逆説的だが、超自然の物語の紡ぎ手こそ自ら地盤を掘り返すことはしないはず(小説家としてどちらのタイプが上かという問題ではない)。無論結論が出るわけはないけど、たまには世界は何故始まったのか(「どのように」、ではなく)、首をひねってみるのも愉快です。「ある」と「ない」とは本当に対になる概念なのか?とか色んなことを考える。
○高橋真理子『重力波 発見!』(新潮選書)…前書のサブテキストとして。
○R.L.スティーヴンスン、ロイド・オズボーン『引き潮』(駒月雅子訳、国書刊行会)…スティーヴンスン最晩年の作。アトウォーターという宣教師がブキミ。ジョン・ファウルズ『魔術師』のコンチスを思わせる。カリブや太平洋でひたすら堕落していく白人という風情もいいなあ。グレアム・グリーンも影響を受けたのではないか。
○八木沢敬『「論理」を分析する』(岩波現代全書)…今回も面白かった。八木沢さんなら「世界はなぜ「ある」のか?」にどう答えるんだろうなあ。次は「数」の本になるそうである。楽しみ。
大隅和雄『日本文化史講義』(吉川弘文館
○吉田敦彦『女神信仰と日本神話』(青土社
○倉聖哲・実方葉子・ 野地耕一郎編『典雅と奇想 明末清初の中国絵画』(東京美術)…図録だが、充実している。どの画家も(どの文人も、と言うべきか)個性がきついねえ。泉屋博古館は行ったことがないが、これだけの優品があるなら行ってみたい。
○秋山總『聖遺物崇敬の心性史』(講談社選書メチエ
○山本芳久『トマス・アクィナス 理性と神秘』(岩波新書)…いい入門書。トマスなんて素人では歯が立たないのは分かりきっているから、こういう本は貴重である。おざなりの伝記+学説概要ではなく、存分にテキストを引用して、トマスのいわば論証=思考のパタンを実地に示してくれるのが特に有り難い。それ以外にも、物凄い量の著述をものしたあげく(しゃべるスピードで書かないと説明が付かないほどらしい)、執筆を途絶してしまったとか、現世をとことん肯定していたとか、知らないことだらけで一気に読み上げてしまう。時折ひびく護教的な口調がやや耳障りだけど。
○石野裕子『物語フィンランドの歴史 北欧先進国「バルト海の乙女」の800年 』(中公新書
保阪正康『定本後藤田正晴』(ちくま文庫
○君塚直隆『ベル・エポックの国際政治 エドワード七世と古典外交の時代』(中央公論新社)…超抑圧的な両親のもとで長年皇太子のまま即位できなかったのは可哀相、と思う反面、母ヴィクトリア女王の懸念もまた宜なるかな、とも思う。
○東より子『国学曼荼羅 宣長前後の神典解釈』(ぺりかん社
○横田文良・辻調理師専門学校『中国の食文化研究』(ジャパンクッキングセンター)…「北京編」「天津編」「山東編」と三冊ある。もっと出してよ!
○古谷暢基・平川美鶴『和ハーブ図鑑』(素材図書)
○スティーヴン・レ『食と健康の一億年史』(大沢章子訳、亜紀書房)…数々のダイエット流派が激しく対立するアメリカって国自体がやっぱり異様である。
○福田浩・松藤庄平『完本大江戸料理帖』(「とんぼの本」、講談社)…加賀料理と京料理の縁は誰でもいうけど、肌合いからいけばむしろ江戸料理の方に近しいのではないか。それにしても、いい器だなあ。

 

 

【ランキングに参加しています。下記バナーをぽちっ。とクリックしていただけると嬉しう存じます!!】

 

<a href=にほんブログ村 料理ブログ 一人暮らし料理へ

にほんブログ村 グルメブログへにほんブログ村 グルメブログ 食べ歩き飲み歩きへ

にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

贋作・雛料理

 好きな季節が終わった途端に花粉症が始まって気分までどんより。元々メランコリイが昂じる時分ではあるし。家にメンはおらんがせめて桃の節句にかこつけた料理を作って自ら慰めるべし。


 ただし今年は仕入れの都合上(出勤だった)、古式には遠く、すなわち題して「贋作・ひな料理」。


○ばらずし … の代わりに押し寿司。最近買ったばかりの木型を使いたくてしかたなかっただけのことだけど。鯛や針魚(さより)のきずしが一等相応しいのだが、上述の理由でいかなご(家で釜揚げにした)を用いた。他はすし具(牛蒡・椎茸旨煮)・そぼろ玉子・蓮根甘酢・独活の梅酢漬・兵庫えんどう。

○蛤の清汁 … の代わりに蜆の味噌椀。吸い口に粉山椒は蛤と同じ。

○小鰈の焼き物 … の代わりに鰆の幽庵。酒・味醂・醤油の漬け地に柚子をしぼり込む。木の芽焼きのほうが季節感出たかな? 鰈の可憐な風情には欠けるものの(結構身の厚い鰆でした)、漢字を想いうかべ早春の気分にひたる。

○菜の花の辛子和え … の代わりに黄ニラと新若布の辛子酢味噌。今しか出回らない黄ニラの香りを大事にして、辛子は抑えめにする。

 おあとタラの芽の天ぷらと、本日ご開帳の新沢庵は別段ひな祭と関係なし。あ、そうそう、

○白酒 … の代わりに黒松剣菱。もっとも白酒なんぞ呑んだことはありませんが。


 召しませと雛(ひいな)さゝめく昼座鋪 碧村

 

f:id:pisces0307:20180303181933j:plain

f:id:pisces0307:20180303183335j:plain

f:id:pisces0307:20180303184452j:plain

f:id:pisces0307:20180303190231j:plain

f:id:pisces0307:20180303192122j:plain

【ランキングに参加しています。下記バナーをぽちっ。とクリックしていただけると嬉しう存じます!!】

 

<a href=にほんブログ村 料理ブログ 一人暮らし料理へ

にほんブログ村 グルメブログへにほんブログ村 グルメブログ 食べ歩き飲み歩きへ

にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

 

加賀を夢見る

 東京方面と外国からの観光客で殷賑を極める金沢に足を向けることが少なくなった。大好きな町が熱鬧の巷と化したのは見るにしのびない。それでも、というよりだからこそ、お茶を啜ったり布団にもぐりこんだりしぼんやりしてると、長町を流れるせせらぎの音や貧血したような陽に鈍く輝く土塀の色の記憶がプルーストよろしく噴き上がってきて、どうにも遣る瀬ない気分になることがある。


 記憶とはつまるところ言葉なのだから、暴れ奔る思いを馴致するには金沢を叙した文章を読むという方策がありうる。そして鏡花にしても犀星にしても、故郷に対して錯節する感情を抱え続けた書き手だったから、こちらの蟠りを解きほぐすにはまことに都合がいい。


 そして風土の個性は食において最も明瞭に出るのだから、加賀の山海の幸を憑代として祀ることで荒ぶる心を宥め鎮めよう。簡単にいえば、金沢の伝統食を自宅で再現して堪能しようというわけで、ここら辺からいつもの当ブログらしくなってくる。


 蕪ずし、治部煮に鯛の唐蒸し。もちろんいずれも名品で、ことによく出来た蕪ずしで一ぱいやる(この時は冷やがよい)のはこたえられません。だけどこの組合せでは着いたばかりの旅行客が駅前の食堂でメシ喰ってるみたいでぞっとしない。鯨馬個人の趣味としてももう少しクラシックな風情を大事にしたい。具体的にいうと、出来れば近代以前の金沢の料理にできうる限り近づいていきたい。


 何か参考書は無いかと探していたところ、偶然図書館で見かけた一冊をきっかけに、次々と文献が集まってきた。この、本は本を呼ぶという現象、面白いですね。面白がってるからどんどん書庫が窮屈になっていくのだが。


 まずは現時点で入手できた書目を掲げます。

(1)陶智子『加賀百万石の味文化』(集英社新書) ※図書館で見かけたのはこれ。
(2)陶智子・綿貫豊昭『包丁侍舟木伝内 加賀百万石のお抱え料理人』(平凡社
(3)大友信子他編『加賀藩料理人舟木伝内編著集』(桂書房)
(4)陶智子・綿貫豊昭他編著『〈加賀料理〉考』(桂書房)
(5)青木悦子『金沢・加賀・能登・四季の郷土料理』(北國新聞社出版局)
(6)『日本の食生活全集17 石川の食事』(農山漁村文化協会)※5と6は元々持っていた。現代の料理を主として取り上げているから、この二冊はまあ、サブテキストというところ。

 3のあとがきで、舟木伝内の他の著述や他の加賀藩料理人の書き物も翻刻し、いずれは加賀料理の大事典を編みたいとあったけれど、これは諸々の事情で実現できないみたいですね。じつに残念。それでもこれだけ参考文献が集まるというのは、さすが百万石の貫禄というところか。


 で、この後は最近読んだ本。エッ、再現した加賀料理の記事はどうなるの?と怒る方もいらっしゃるかもしれませんが、まだまだ読み込む必要もあるし段取りもあるしこちらも色々あって忙しいのよ。今回は、ま、所信表明というココロ。まるでお通しにお猪口一ぱいだけで店から「もう看板です」といわれるようなものだが(いってるのはこちらなわけだが)、春が闌けないうちには報告できるでしょう。遅まきの雛まつり料理くらいの按配で。

鶴岡真弓・松村一男『図説ケルトの歴史  文化・美術・神話をよむ』(ふくろうの本、河出書房新社)・・・別のケルト史を読んだ時にも浪漫主義的なケルト観(「薄明の神話的世界」的な)が厳しく斥けられていた。この本でもそう。充分に理由のあることなのだけど、ちょっと淋しい。
○加藤博二『森林官が語る山の不思議』(河出書房新社
○ジョゼフ・ミッチェル『港の底』(上野元美訳、柏書房)・・・充実した短篇集。
○中村るい『ギリシャ美術史入門』(三元社)
白柳秀湖『親分子分〔侠客〕の盛衰史 町奴・火消・札差=旦那・博徒=義賊』(義と仁叢書8、国書刊行会)・・・それにしてもなんちう叢書だ。
○船木亨『現代思想史入門』(ちくま新書
平野重光竹内栖鳳 芸苑余話』(京都新聞社
オクタビオ・パス『孤独の迷宮 メキシコの文化と歴史』(高山智博他訳、叢書ウニベルシタス、法政大学出版局
池内紀『散歩本を散歩する』(交通新聞社
に教えられたのが、
○ニコラ・ブーヴィエ『ブーヴィエの世界』(高山啓編訳、みすず書房)・・・これは今回の秀逸。大出来。チャトウィンに並ぶ紀行作家と称されるのも頷ける。これは全著作からエッセンスを集めた抄訳だが、絶対全集出しても売れますよ。出してくれよう、みすずさん。
東浩紀監修『現代日本の批評 1975~2001』(講談社)・・・内容はどうでもいいが、座談会の出席者同士で「あずまん」とか呼ぶのはよしてくれよ。呑んでた酒が途端にマズくなったではないか。金返せ。
○信原信幸編『心の哲学  新時代の心の科学をめぐる哲学の問い』(新曜社
ニキータ・ブロットマン『刑務所の読書クラブ  教授が囚人たちと10の古典文学を読んだら』(川添節子訳、原書房)・・・囚人たち(殺人犯も含まれる)に読ませるのに、『変身』や『ジキルとハイド』や『ロリータ』を選ぶっちゅうのもどうかと思ったが、でもまあ、俺が著者の立場でも『自負と偏見』や『晩夏』や『フィネガンズ・ウェイク』を選ぶ勇気はないわな、と思い直す。最後、出所した元囚人たちに会いに行くと、みな読書になんか見向きもしなくなってたというオチが付く。逆にいえば塀の中はそれだけ暇を持て余すものなのだろう。「本を読んでる時間などないわ!」とぼやいてるあなた、入獄されることをおすすめします。
山川静夫山川静夫文楽思い出ばなし』(岩波書店
○古畑徹『渤海国とは何か(歴史文化ライブラリー、吉川弘文館
飯倉洋一校訂代表『前期読本怪談集』(江戸怪談文芸名作選、国書刊行会)・・・怪談だがちっとも怖くない(それを言うなら近世の怪談本はどれもちっとも怖くない。随筆・聞き書きに出て来る事件記事のほうが余程コワイ)。それが妙に面白いというのが不思議。江戸の連中、どういうつもりでこういう類いの本読んでたんだろうか。
○髙島和哉『ベンサムの言語論 功利主義プラグマティズム』(慶應義塾大学出版会)
○マイケル・ディラン・フォスター『日本妖怪考  百鬼夜行から水木しげるまで』(廣田龍平訳、森話社
○デヴィッド・コンクリン『コンクリンさん、大江戸を食べつくす』(仁木めぐみ訳、亜紀書房)・・・人形町界隈に住みたくなった。上方でこういう、とはつまり昔の風情と人気(じんき)を残しつつ、都心にもほど近く、近所で一通りの買い物が出来る町ってどこになるのか。京都だろうか、やっぱし。
○秋山總『天才と凡才の時代 ルネサンス芸術家奇譚』(芸術新聞社)

 

 

 

ブーヴィエの世界

ブーヴィエの世界

 

 

【ランキングに参加しています。下記バナーをぽちっ。とクリックしていただけると嬉しう存じます!!】

 

<a href=にほんブログ村 料理ブログ 一人暮らし料理へ

にほんブログ村 グルメブログへにほんブログ村 グルメブログ 食べ歩き飲み歩きへ

にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

 

 

初午プラスワン

 初午の膳の下ごしらえは前日に済ませたおいたというのに、友人の誘いで三宮へ。向こうは誕生日前日。普段「メシ喰わせろ」と強要している相手なので、ここぞとばかりに焼肉をおごらされた。

 で、お稲荷様にゴメンナサイして本日、つまり初午翌日に改めてこしらえる。行事食だから例年と特段変わりはなく、

○稲荷鮨・・・寒いので蒸しずしにした。具は牛蒡・椎茸(以上は煮て)・蓮根(甘酢)。
○若菜辛子和え・・・今回はやや贅沢してまだまだ高い菜の花を使う。稲荷信仰の盛んだった江戸なら当然小松菜。甘味は一切使わず。淡口に調味した出汁に浸して絞ってから、改めて溶き芥子をからめる。
○お煮染め・・・牛蒡・こんにゃく・蓮根・人参・小芋・蕗。濃い目に引いた出汁に酒・淡口で味付け。しっかり煮染めたほうが感じが出る。でもやっぱり現代風に具を小さく切ってしまった。これも大ぶりなほうが古風でいいと思う。

 一杯呑む(呑み続ける)のにはやや寂しい。ということで、

○独活の真砂和え・・・酒でほぐした明太子に和え、黒ごまをまぶす。
○茶碗蒸し・・・かしわ・百合根・三ツ葉・柚子。酒の対手だからうんと薄味に。といっても、茶碗蒸しは飯のオカズにはならんだろうが。
○蛤・・・国産のものが安かった。剥き身にして、滴ったつゆと酒をからめ、昆布の上で蒸す。たっぷり柚子をしぼります。

 最後の二種は蒸しずしを作るついでと思いついた品。初午は呑める料理が多くてよろしいな。それにしてもやっぱり松本行史さんの胡桃材の弁当箱は本当にこうした料理によくうつる。次は桃の節句か。娘なぞいないけど、肴のためなら出費も手間もいとうところでなし。

f:id:pisces0307:20180208192429j:plain

【ランキングに参加しています。下記バナーをぽちっ。とクリックしていただけると嬉しう存じます!!】

 

<a href=にほんブログ村 料理ブログ 一人暮らし料理へ

にほんブログ村 グルメブログへにほんブログ村 グルメブログ 食べ歩き飲み歩きへ

にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

 

 

アーダに首ったけ

 じつはここんところナボコフの『アーダ』(若島正訳)がめっぽう面白く、ずっぽりハマってしまっているのだが、さて書評書けるかなあ。とりあえずは溜まった本を整理しておきます。

 
○松浦弘明『イタリア・ルネサンス美術館』(東京堂出版)・・・ふと思ったが、VRでスクロヴェーニ礼拝堂のジョットを追体験させてくれるプログラムはないものか。
○旅の文化研究書編『楽しむ』(「旅の民俗」シリーズ3、現代書館)
林望『いつも食べたい!』(ちくま文庫
中野三敏『和本の海へ』(岩波新書
シュテファン・ツヴァイクスタンダール』(青柳瑞穂役、新潮文庫
星新一『あれこれ好奇心』(角川書店
嵐山光三郎文人悪妻』(新潮文庫
鹿島茂『かの悪名高き』(筑摩書房)・・・バルザックの小説世界の登場人物みたいなエグい連中ごろごろ。
小倉紀蔵『朝鮮思想全史』(ちくま新書)・・・「霊性」というキーワードがぴんと来ないが、姜在彦『朝鮮儒教の二千年』(講談社学術文庫)と並ぶこのテーマのスタンダードとなるに違いない。辺境こそ正統にこだわるという文明論/精神史的構造が興味深い。
○添谷育志『背教者の肖像 ローマ皇帝ユリアヌスをめぐる言説の探究』(ナカニシヤ出版)・・・書名に惹かれたのだが、なんじゃこれは。
○ダイアン・クック他『心に響く樹々の物語』(日経BPマーケティング)・・・素晴らしい写真集。地球上でいちばん長命な木、なんてのも出て来る。見てると惚(ほう)っとなってくる。
シオドア・スタージョン『「ウィジェット」と「ワジェット」とボフ』(若島正編、「奇想コレクション」、河出書房新社
ローズマリーサリヴァンスターリンの娘 「クレムリンの皇女」スヴェトラーナの生涯 』上下(染谷徹訳、白水社)・・・アメリカに亡命するまでがやはり圧倒的に面白い。家族すら冷酷に使い捨てるスターリンの恐ろしさよ。オソロシイ台詞をひとつ「お前はスターリンではない。この私だってスターリンではないのだ」(父の権力を笠に着る息子にスターリンが発した)。
○ロジェ・グルニエ『書物の宮殿』(宮下志朗訳、岩波書店
○松崎欣一『杉田玄白晩年の世界 『鷧斎日録』を読む』(慶應義塾大学出版会)・・・医師としての収入が結構あるのに驚く。「売れっ子」だったんだろうな。俳句・漢詩も沢山遺している。「紫陽花や五百羅漢の後向」「慾知らぬ人馬鹿らしき師走哉」など、江戸座風の句があるのが面白い。
○ドリンダ・ウートラム『啓蒙』(逸見修二・吉岡亮訳、叢書ウニベルシタス、法政大学出版局
○スティーヴン・マンフォード『哲学がわかる 形而上学』(秋庭剛史・北村直彰訳、岩波書店
○スティーヴン・マンフォード『哲学がわかる 因果性』(塩野直之・谷川卓訳、岩波書店
○トーマス・ピンク『哲学がわかる 自由意志』(戸田剛文他訳、岩波書店
加藤政洋『モダン京都 〈逸楽〉の空間文化誌』(ナカニシヤ出版)
ナサニエル・ホーソーン『ラパチーニの娘 ナサニエル・ホーソーン短編集』(阿野文朗訳、松柏社
鹿島茂『東京時間旅行』(作品社)・・・このテーマの本、あと何冊か出るようである。大阪とか神戸とかでも、ローカリズムに陥らず、こういう書き方で書いてくれた本があるといいのだが。
○エセル・M.マンロー, ロセイ・レイノルズ, サキ『サキの思い出 評伝と短篇』(花輪涼子訳、彩流社)・・・動物好きで悪戯好きで、とサキ自身がクローヴィス(サキの小説のメインキャラクター)そっくり白水社Uブックスで出ている和爾桃子訳のサキ・シリーズには未訳の作品も結構入ってるらしくて楽しみ。なんてったって、小学校以来、こんな作家になりたいなと思っていた、いわば憧れの人だからな。
沓掛良彦『古代西洋万華鏡』(法政大学出版局)・・・京都大学学術出版会の西洋古典叢書から出てる『ギリシア詞華集』の紹介本。著者が何度も何度も繰り返すとおり、詩的価値のある作品はほとんどないけど、その分風俗資料として気軽に楽しめます。
○上野勝之『王朝貴族の葬送儀礼と仏事』(日記で読む日本史10、臨川書店)
○小倉ヒラク『発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ』(木楽舎)・・・ちゃんと文化人類学してるのが愉快。山口昌男の『文化と両義性』(名著です)やレヴィ=ストロースの名前が出て来るんだから。鮒寿司山口昌男。わはは。
渡辺保『歌舞伎 型の真髄』(KADOKAWA)
○岩崎周一『ハプスブルク帝国』(講談社現代新書

 

 

 

 

 

【ランキングに参加しています。下記バナーをぽちっ。とクリックしていただけると嬉しう存じます!!】

 

<a href=にほんブログ村 料理ブログ 一人暮らし料理へ

にほんブログ村 グルメブログへにほんブログ村 グルメブログ 食べ歩き飲み歩きへ

にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ