双魚書房通信(20)~少年は歴史を動かした 『エドガルド・モルターラ誘拐事件』

 山本夏彦曰く、「人生は些事から成る」。とすれば歴史もまた些事により動く、と言ってよいかどうか。

 そうかも知れない、と本書を読み終えた人の多くは思うだろう。舞台は一九世紀のイタリアはボローニャ。ある夜、ある一家のアパートに、複数名の警察官が突然おとずれた。おびえる両親に警察官は告げる―あなたの息子さんを我々の保護下におかねばなりません。

 両親から日常的に虐待を受けていたのか、と思うのは二一世紀の日本人だからである。この一家はユダヤ人で、当然問題の男の子、エドガルド・モルターラもユダヤ人(だから、もちろん、というより、つまりはユダヤ教徒)。そのエドガルドはキリスト教の洗礼を施されたらしい。よって彼をモルターラの家で育てさせるわけにはゆかない。

 ここら辺、ユダヤ人問題が身近でない人間には分かりづらい。当時の法律では、ユダヤ人の子どもが洗礼を受けた時は(時には両親の知らない状況であっても!)、「善良なる」キリスト教徒を「邪悪なる」ユダヤ教徒から引き離すことが認められていたそうな。ちなみにこの事件がおこったボローニャカトリックの首領たるローマ教皇領。

 当然両親は抗議し、狼狽し、愁訴するが、多少時間かせぎが出来た程度で、結局エドガルドは連れ去られてしまう。

 いくら二百年前のこととはいえ、アメリカ独立とフランス革命を歴たあとのヨーロッパでしょ、と思うが、一九世紀でもユダヤ人の扱いは相当にひどかったらしい。ゲットーに強制収容されるのは無論のこと、さすがに外出には黄いろの星を付ける義務はなくなっていたものの(後年ヒトラーが復活させたやつだ)、謝肉祭には屈辱的な恰好で町を歩かされ、住民から嘲弄され罵られゴミなんぞを投げつけられる風習があった。えげつないのは神聖な安息日たる土曜日にミサに出ること(!)を強要されたという慣習である。いささか品下る譬えながら、これは毎週同性愛者が異性相手のセックスを強要される(逆もまた真なり)ようなものではないか。

 ヨーロッパのユダヤ差別の根深さをうかがわせるのは、教皇がおおむねユダヤ人を保護する姿勢をとっていたこと。ヒューマニズム、なんてものでは当然ないので、キリスト殺しの罪深き民族に寛大な心で接するのこそ(そして彼らを忌まわしきユダヤ教から愛にあふれた真実の宗教たるカトリックに導くことこそ)が真のキリスト教徒にふさわしい態度と考えられたから、らしい。やれやれ。

 ともかく、イタリア、特に教皇お膝元のローマ在住のユダヤ人は独特のコネクションをヴァチカンに持っていた。両親の訴えをきいたユダヤ人コミュニティははたらきかけを開始する。

 不運だったのは時の教皇がピウス九世だったことだ。敬虔で真摯なキリスト者であったことは間違いなかろうが、同じくらい確実に頑迷不霊でもあった。合理主義・自由主義進歩主義を頑なに嫌忌し、回勅ではこれらを並べ立ててすべて否定した。

 「エドガルド問題」でも妥協するはずがない。ルネサンス期、あるいはロココ時代の教皇だったら、あるいはと想像がふくらむところである。ミュンヘン一揆のあと、ヒトラーがもし処刑されていたら、と仮定してみるように。

 ただこの教皇さま、強気一方というのではなくて、それどころか「お前(エドガルド)のために私は集中砲火をあびている」と愚痴る始末。

 それというのも、やっぱりアメリカ独立とフランス革命後、正確にはナポレオン戦争後のヨーロッパだからであって、ピウス七世がいくら力み返ろうと、英仏はすでに引き返しようのないくらい近代的国民国家への道を歩み始めていたのである。世俗国家からしてみれば、教会の統治など受け容れられるはずがない。事件を奇貨として、今で言うネガティヴ・キャンペーンを国際的に展開する。

 イタリアはまだ四分五裂の状態だったけれど(なにせ中央に教皇領がでん、と構えているくらいだ)、皆様高校の教科書でご存じサルデーニャ王のヴィットーリオ・エマヌエーレ二世と宰相カヴールは、イタリア統一を目論んでいる最中。ひそかにフランスと款を通じて教皇庁に圧力をかけてくる。

 そう、エドガルドの「保護」=「連れ去り」は図らずもイタリア統一という大きな大きな歴史のうねりを呼び起こす蝶の羽ばたきとなったのだった。

 それだけなら、最初に記した「些事が大事を成す」の感銘だけにとどまる。本当にすごいのは、この一連の国際世論の動きのなかで両親の嘆きがやがて藻屑のごとく押し流され、そして無視されていくという過程である。「大事は些事を圧しつぶす」のである。

 まだ、ある。肝腎のエドガルド。カトリックの坊主ども薫育よろしきを得て(もしくは洗脳の巧妙さにより)、髄までのキリスト教徒となっていたのだった。これをしも皮肉というなかれ。評者は人間の真実(あるいは悲惨)に感動した。日本語にはこういう時に使える「もののあはれ」という精密な表現がある。

 エドガルドの死を叙してこのノンフィクションは終わる。『パルムの僧院』の愛読者なら、あの放胆なロマンのプレストによる終幕に似た感銘をおぼえることだろう。

 いささか文章の騒々しいのが残念。それでも奇にして妙なる材料を歴史の波間から掬い上げてくれたことには感謝しないと。

 

エドガルド・モルターラ誘拐事件 少年の数奇な運命とイタリア統一

エドガルド・モルターラ誘拐事件 少年の数奇な運命とイタリア統一

 

 

 

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オヤジ殺しエッシャー地獄

 あべのハルカス美術館エッシャー展。初日はそう混んでいなかったが、前の北斎展のように段々評判が広がって最後はとんでもない行列となるかもしれない。それくらい充実した展覧だった。ご興味のある方はお早めにどうぞ。

 

 無限階段の塔にしても手を描く手にしても、画面の細部や質感よりも構図とか、もっと言えばアイデアの面白さが記憶に残っている人が多いのではないか(鯨馬は完全にその類)。正直ネットの画像で充分なのではと思いながら見て回ったのだが、やっぱり版画だけあって、描線の切れ味や伸びゆきかたが大層面白かった。こればっかりは実物を間近で見なければ分からない。エッシャーはハルカスに限る。

 

 多く出品されていた風景画も見応えがあった。大部分がイタリア旅行で印象に残った風景を描いたもの。基本は克明な描写であるにも関わらず、なんだか超現実の中に迷い込んだような雰囲気が横溢するのが愉快。キリコの憂愁やマグリット形而上学は無いけれども、自然の神秘にうたれて茫然と立ちすくむような、ロマン主義的な資質の持ち主だったのかもしれない。そう考えると、結晶の形状への熱中も、エッシャー流の自然哲学だとすんなり納得がゆくのだ。

 

 もっとも偏執的な線をみっちり描き込む画家の作品を何十点と見て回るのはかなりのトラヴァーユであって、近視のみならず老眼とみに進んでいる身としては、眼鏡をかけたり外したり近づいたり遠ざかったり肩を揉んだり腰を伸ばしたり、大騒ぎの体だった。

 

 天王寺界隈では知っている店がないので、難波まで日本橋を通ってぶらぶら。相変わらずごみごみした所だな。道頓堀のおそるべき喧噪も皆様ご存じの通り。疲れ眼中年は逃げ込むようにして『今井』へ入る。小海老の天ぷらでビールを呑み、板わさとぬたで酒を一合。このぬたがよく出来ていて、さえずりのしつこさを殺しつつ活かしつつという酢味噌の按配が、大阪、それもミナミで昼酒をやってるという気分にしてくれる。給仕のおばはんの物腰、店の静かさ、また然り。

 

 最後に「丁稚うどんひとつ」と注文すると、「夜泣きうどんやね」と笑われた。「お店(たな)の子ども衆(し)」が主人番頭の目を盗んで夜泣きうどんを呼び止めている場面からの連想で間違えておぼえていたのか。ともあれ、看板のキツネよりはこちらの方が好みに合う(ぬる燗のアテにもなるのではないか)。

 

 蕩然たる気分で店を出(酔ってない)、日本橋文楽劇場へ。今回は第二部、中将姫雪責めと、『女殺油地獄』の二幕。

 

 近松浄瑠璃を見るのは十年ぶりくらいになる。実を言うと、少し敬遠の気味合いがあった。歌舞伎ではなく人形浄瑠璃を見にきたんだから、なるべくそれらしい味わいの演目がいい。「日本の沙翁」はその点、人物造型・心理描写の冴えやいかにも無理のない物語の構成に鼻白むのではないか、と偏見を持っている(偏見だとは承知している)。その点、『油地獄』は誰もが言うとおり「無軌道な生きかたの若者」による「衝動的な殺人」が題材なのだから、ある意味気張らずに見物できるだろうと踏んだのだ。

 

 油まみれの殺しの場の酸鼻はともかくも、ほとんど儚げなくらいの脆さ、あえていえば愛嬌すら漂わせる与兵衛のキャラクターに瞠目した。義父・実母に殴る蹴るの暴行は、《孝》第一の江戸時代の見物客にはすこぶる衝撃的だったろうが、今の目から見れば、非道暴虐という程のものではなく、単に甘えているだけである(それが分かっているから徳兵衛も勘当は出来なかったのだ)。現に「徳庵堤の段」で伯父に打擲されたあと、悄気返るあたり、上方でいう典型的なアカンタレであり、年齢や社会的地位が上の人間は「しゃーないなーもー」と構ってしまうタイプである。ヤンキーの往々にして人なつこい(という類型表現)が如し。やっぱり芝居は見物してみなきゃね(本日は感心ばかりしております)。

 

 「徳庵堤」ではお吉にきちんと挨拶出来ているし、ともかくも朸荷うて商いにも出てるのだ(売り上げはナイナイしてるにしても)。不良とか悪とかではなくて、先のことを考えられない気弱な人間が「どうにかなる」と殺ってしまったのではないか。注して言う、「先を考えられない」とは向こう見ずに非ず。面倒なもの鬱陶しいものを直視するのが厭で、だから見ないという意味である。

 

 しかし、与兵衛という若者の「性格」を論じたいのではなかった。「河内屋内」での気の滅入るような言い争いを見ていて、ふと、「これはつまり、あれだな、システムの問題だな」という感触を得た。カウンセリングのひとつの立場に、システムズ・アプローチ

というのがある。本人の心理自体を取り上げて問題化するのではなく、《家族》というシステムのなかで誰のどういう発言・行動がどういう反応を呼びさまし、その反応がどのように連鎖するかに注目する。この技法だと、たとえば息子の引きこもりに対して、夫婦間でのことばのやり取りに介入することもある。

 

 当然徳兵衛やお沢に落ち度があるわけではないのだが、この家族、《与兵衛の素行を改める》ことに焦点をおいてどうにもならない状況が続いてきたんやろうなあ、とため息が出た。

 

 近松がそんなことを考えて書いた訳ではもちろん無い。近松に近代性を見いだした、と言いたいのでもない。このどうしようもない現実のぬるっとした不気味な手触りが、なんで浄瑠璃のようないわば様式と修辞の飽和点のような言語で表現可能だったのかなあ、となんとも不可思議なのである。※ま、近松作はテキスト・クリティックと演出のことを考えなきゃなんとも言えないわけですが。

 

 ついでに、この日は『今井』の煮染め弁当を買っていった。高野豆腐・かまぼこ・兵庫豌豆の煮物に、牛蒡・揚げ茄子・椎茸・南瓜・生麩の煮物、これにぬたと出し巻きとこんにゃく辛煮、焼きシシトウ、ご飯はきのこめし。演し物はともかく、サーヴィスに関しては、当方文楽劇場にまったく信用をおいていないのです。

 

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片月見

 「災害並みの猛暑」だって冷房の効いた部屋でソファに寝っ転がってりゃ本は読めるし、厳冬といえども床暖房に寝っ転がって(どのみち寝転ぶ)読書するのはむしろならではの愉悦。

 

 だから灯火親しむなんて他人行儀な口実を作らなくてもいつだって本は読めるのである・・・なんて憎まれ口をきく必要はなくて、やっぱり秋はよいですな。十一月から事情で日曜は出勤となったが、まあそこは忙中閑ありの心持ちでゆこう。

 

 では十月の本。

 

筒井功『賤民と差別の起源 イチからエタへ』(河出書房新社

筒井功『村の奇譚 里の遺風』(河出書房新社)・・・著者は三角寛のサンカ「研究」が純然たる創作だと実証した在野の研究家。手弁当であちこちを調査して回る情熱がすごい。後の本ではその成果がふんだんに紹介されていて、ミツクリという《漂泊の民》が平成の世にもまだ残っていることに驚愕。モトデのかかった本である。

南條竹則『英語とは何か』(集英社インターナショナル新書)・・・南條さんもこういうのを書くのか、といささか憮然として手に取ったが、諄々と、冷静に現代における英語の位置を説いていて、ナルホドと思った。先入観はよろしくないな。

安村敏信『江戸絵画の非常識 近世絵画の定説をくつがえす』(「日本文化私の最新講義」、敬文舎)

○前田専學『インド的思考』(春秋社)・・・素人にも分かりやすいインド思想の見取り図。

小野俊太郎ハムレットと海賊 海洋国家イギリスのシェイクスピア』(松柏社

川本三郎『「それでもなお」の文学』(春秋社)・・・あまりにノンシャランな語り口に怯むのはこちらが円熟には程遠いからか。

釈徹宗『落語に花咲く仏教 宗教と芸能は共振する』(朝日選書)・・・関山和夫のあと、この方面の研究がどうなってたのか分からなかったので、面白く読んだ。レトリック研究の面から見て真宗の節談説経は興味深い。

池内恵シーア派スンニ派 中東大混迷を解く』(新潮選書)・・・なんでもかんでも宗派の対立に還元してはいけない、という警告の後に、しかし宗派の問題の根深さも解かれる。この著者の二枚腰に注目。

○デヴェンドラ・P・ヴァーマ『ゴシックの炎 イギリスにおけるゴシック小説の歴史  その起源、開花、崩壊と影響の残滓』(大場厚志他訳、松柏社)・・・これだけ懇切な副題あるから内容紹介はもうよろしか。啓蒙時代に抑圧されたヌミノーゼ(“神秘的な感じ”)への希求がゴシック小説を生んだ、とするテーゼは特に奇とするに足らず。ただ、ラドクリフ夫人やウォルポールとルイスの作の肌合いの違いを説くところに価値あり。大学院の時、別のゴシック小説研究書の読書会をしてたことを思い出す。

橋本治『落語世界文学全集 おいぼれハムレット』(河出書房新社)・・・橋本ファンとしてはも少し食い足りない。バーレスクを得手としてないのかな。

酒井健『ゴシックとは何か 大聖堂の精神史』(ちくま学芸文庫)・・・明晰な本。あとがきにケン・フォレットにはまっていたと書いているのが嬉しい。

○大庭公『江戸団扇』(中公文庫)

○オルトゥタイ『ハンガリー民話集』(徳永康元他訳、岩波文庫)・・・この「民話」シリーズ、ロシアもイタリアのも愛読してますが、出来ればインドネシアとかモンゴルとかも欲しい。

○薄井恭一『随筆味めぐり』(柴田書店

○アニエス・ジアール『愛の日本史 創世神話から現代の寓話まで』(谷川渥訳、国書刊行会

渡辺京二『私の世界文学案内 物語の隠れた小径へ』(ちくま学芸文庫)・・・骨太の文章で、作品の真髄をぐいぐい描き出す(無論著者の意見に賛成するかどうかは別)。たとえばこれだけ簡潔な『戦争と平和』論は他にないのではないか。

○ギャヴィン・フランシス『人体の冒険者たち 解剖図に描ききれないからだの話』(鎌田彷月訳、みすず書房)・・・頭の先から足の裏まで。医者として世界中を駆け巡ってきた著者がケッタイな・哀切な・悲惨な・滑稽なエピソードを才筆で紹介する。なかなかの書き手、と見た。

○溝井裕一『水族館の文化史 ひと・動物・モノがおりなす魔術的世界』(勉誠出版)・・・19世紀までの話はアクアリストでなくとも無条件に愉しめる。ただ水族館の現況となると・・・。環境保護活動というのがどうにもブルジョワ趣味に思えて仕方が無い。

○三枝聖『虫から死亡推定時刻はわかるのか?法昆虫学の話』(築地書館)・・・個々のエピソードよりも、自虐ネタがあちこちで噴出する文章の方を愉しめる本。

ミルチャ・エリアーデポルトガル日記』(奥田倫明他訳、作品社)・・・今月の白眉か。第二次世界大戦前夜の世界。成心ない読者から見て、エリアーデは明らかに躁状態にある。繰り返し自作の小説がいかに素晴らしいか、延々語られる。その一方で愛妻の死に直面して、極端に塞ぎ込む日々の記述が続く。人間的悲惨。またもう一つの読みどころは当時のルーマニアが抱えていた複雑怪奇な政情である。周到な解説が備わっているのでその背景もよく分かる。

ギドン・クレーメルクレーメル青春譜 二つの世界の間で』(臼井伸二訳、アルファベータ)

○黒川正剛『魔女・怪物・天変地異  近代的精神はどこから生まれたか』(筑摩選書)

○高橋義人『悪魔の神話学』(岩波書店

○『ブルクハルト文化史講演集』(新井靖一訳、筑摩書房)・・・碩学の閑談、という趣(でも内容は充実している)。面白かったので、『ギリシア文化史』も買ってしまった。Amazon恐るべし。

岡田喜秋『定本 日本の秘境』(ヤマケイ文庫)

○石川理夫『温泉の日本史 記紀の古湯、武将の隠し湯、温泉番付』(中公新書

 

 なお、この項を書いてる最中に、津軽出身の作家長部日出雄氏逝去の報を知った(十八日永眠)。こちらが青森を旅していた日で有る。氏の故郷である弘前への見参はまだ叶っていないが、津軽の風土から生い育ったと思われる独特の幻想性を持った、個性的な小説家の死を悼む。

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磯の小石のように~青森再々々訪(3)~

 二日目の晩だけは予約していたのだった。ほけーっと歩きながら感じの良さそうな店に入るのこそ無論醍醐味なのだが、限られた日数の旅行者としては、どうしても保険をかけたくなる。

 

 「あそこも混むよ」と言われていたとおり、本町の『磯じま』は変哲もない住宅街のなかながら、大賑わい。観光客半分、地元半分というところか。店の構えは尋常。出来ますもの、の書き出しが圧巻だった。造りから焼き物から煮魚から、ホワイトボードにびっしりと書かれている(冬だともっと多いのではないか)。こうなると気合いが入りますね。ビールはお通し(キノコの風味がじつに濃厚)の段階でくっと空けて、すぐさま青森地酒にうつる。

 

 頼みしものは何々ぞ。鰺のたたきに帆立、たつ(鱈白子)の刺身、ソイの塩焼き、活け蛸天ぷら、もずくに浜汁。あ、そうそう「お浸しの盛り合わせ」というのもあつらえた。数種の青菜を湯がいたものが、別皿のポン酢醤油と共に出て来る。やっぱりミズ(東北独特の山菜)が一等旨かったな。これは応用できそうな趣向である。下ごしらえした菜と数種のかけ汁を出せば、食べる方も色々組合わせが楽しめそう。

 

 青森だから、わざわざ魚を褒めるのも気が利かない話で、当方としてはこの浸し物やもずくに喜んだおぼえがある。一体に小綺麗にまとめたりせず、どーんと量が出て来る店で、このもずく一品だけでも充分二合は呑める。皆さん油断しておられるやもしれませんが、サカナは結構実質がある食いもの。ちょっとダレたな、という時に山菜やら海藻をひと口やると、ずいぶん気分が変わるものです。

 

 最後の浜汁も書いておかねばならぬ。蟹身・魚・海老・貝、それに葱・海藻が入った潮仕立ての汁で、言うまでもないことながら、この汁が盃を重ねてやや粘った口には絶好のアテとなる。「後で雑炊に出来ますよ」というおばちゃんのすすめも断り、清澄豊潤な汁と地酒とを交互に愉しんでいた。普段の倍は食べていたから、なんぼ呑んでも酔わないのである。

 

 ひとつ残念だったのは、ホクトくんだかマサトくんだかユーマくん(もう忘れたわい)に逢えなかったことである。今晩は『磯じま』、と口にすると、立ち飲み屋はひとしきり「あれは友人の息子」「ボクシング始めたんだよな」「いや、ボクシングはもうやめたはず」「ともかくよろしく言っといてくれ」と盛り上がったのだった。この六月にホクト乃至マサト乃至ユーマくんが辞めたのを知ったのはだから鯨馬が初めてということになる。そう、この晩も早速新改商店に報告に参じたのでした。色気より呑み気。我ながら精励恪勤であります。

 

 最終日は二時に空港行きのバスに乗ればよい。しっかり食べた効験で、目覚めた時、アタマには雲の一片だにかからず(昨日とはえらい違いだ)。昼からは飯がてらどこかでゆったり呑んでいるだけで時間になる。どこか午前中のんびり出来るところはないか。

 

 前日古本屋で見つけた、種村季弘さんの『不思議な石のはなし』を面白く読んでいたせいか(贔屓の書き手の未知の本を、それも旅先の、しかも古本屋で発掘する程胸躍る体験があろうか)(それにしてもまだ種村さんの本で読んでないものがあったとは)、青森県立郷土館の展示ポスターが目に付いた。「コロコロ・STONE あおもり石ものがたり」という。はて米朝一門の誰かが『質屋蔵』するんやろか。

 

 冗談はともかく、《樹》から始まった旅の締め括りに《石》とは出来すぎなくらいである。それに、『コナンアウトキャスト』や『ドラゴンクエストビルダーズ』など、素材・建築系のゲームにはお世話になってる身だしね。朝食を済ませて早速郷土館へ向かう。戦前には銀行だった建物だそうで、中々しっかりした造り。殊に階段が立派で、大理石・流紋岩(蛇紋岩?)を贅沢に使った中に、洒落たエンブレムがあしらってある。

 

 展示も面白かったなあ。六甲の山麓に住んでいるとどこもかしこも風化した花崗岩ばかりで(もっとも地面が見える場所はほとんどないが)、何をみても珍しく見物できる。二時間近くはいたでしょうか。特に珪化木というのがよかった。いわば木の化石で、形状はそのままにただ成分は岩石のそれに置き換わっている。出来るのに何万年かかるのか。その時の長さとともに、人間のあずかり知らない地下で、ひっそりと木のエレメントが石のエレメントへと転身をとげているのを想うと、何かこう頭が惚っとしてくる感じさえする。いいねえ、石。と『ブラタモリ』のように呟きながら駅へ戻る。

 

 こじつけるのではないけれど、最後は《水》。海の側のA―FACTORYなる今出来の施設で友人の土産をもとめ、小憩。モダンで小洒落た物産館は、何億年前だかの岩石にほうっとしているような人間には甚だ相応しくない。しかしここの従業員の女の子はみんな美人なのである。実は初日にそれを確認しておる。色気より呑み気ではないのか。ハイ、ちゃんとフィッシュアンドチップスを摘まみながらビールを呑んでおりました。

※新改商店はバスの出る二時から。

 窓のすぐ前は陸奥湾。その奥に下北半島の山なみが、晴れた秋空の下にくっきりと見える。下北半島も外ヶ浜も鰺ヶ沢も、それどころか弘前にだってまだ足を踏み入れてないのだ。当分は青森から抜け出せそうにない。

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青い森の紅い森~青森再々々訪(2)~

 翌朝は惚れ惚れするような宿酔。ホテルの朝飯も、炒り卵と味噌汁とコーヒーというアヴァンギャルドな組合せですませる。それどころではないのだが、なんか腹に入れとかないと途中でぶっ倒れるだろうから。

 

 ゾンビの如きカラダを引きずって、駅前のバス乗り場に向かうと、えーっ、三十分前だというのになんじゃこの行列は。

 

 係員に訊ねてみたら、「この時期は連日こんなもんです」とのお答え。紅葉時分の奥入瀬行きであってみれば、是非もなし。ただ新改商店で「今は大渋滞でなかなかクルマが動かんよ」と聞いていたのを思い合わせ、奥入瀬の渓流まで行くのは止めにした。満員のバスの中、渋滞につかまってしまったんでは、我が身の惨状でどうなろうやも知れぬ。

 

 ということで、八甲田山の紅葉を見に行くことにした(バスは同じ。途中で降りる)。蛙と閉所と高所がなによりコワイ人間が、なんだってまたロープウェーなんぞに乗ろうとしたのか。宿酔の効験あらたかと言うべし。

 

 一月に来た時は雪に埋もれていた八甲田のスキー場も、今は紅・黄・茶・紫・緑が一面に渾然と輝いている。酔眼瞠目。これは下からの眺めで、ロープウェーになると、眼下は無論のこと、前も後ろも左右も鮮やかな橅の紅葉一色である。霞のかかったアタマでも、この迫力に押されて、駄句二つ、すんなり出た。

 

 燦然と沈黙(しゞま)廣げよ橅もみぢ

 うつそみは紅葉の谷に捨て果てぬ 碧村

 

 山頂の駅では一時間ほど時間がある。登山靴でなくても回れる短かいコースがあるらしいので、歩き出した。この辺りからそろそろ宿酔も醒めてきたか。

 

 観光客の大方は、駅の展望台で満足しているらしく、また本格的な山登りの方はさっさと別のコースに行っちゃうわけで、ここでも鯨馬は独り、客観的にはとぼとぼと・・・しかし内心はこの状況を悦んでいたのですね。さすがにこの標高では橅は一本も見ず、ただエゾトドマツに笹ばかり、そこに急にガスが流れ込んで前後の路の先は白い闇。どこまでも文化に馴致されきったような上方の風土に暮らしていると、こういう非人間的な風景に出くわすことは滅多にない。薄手のセーターでは震え上がるような冷気も宿酔の身にはかえって心地よく、半時間あまり「八甲田山死の彷徨」を愉しんでおりました。

 

 ロープウェー駅に戻って、自販機を見るとおしるこだけ売り切れていたのが可笑しかった。みんな考えることは同じなんですな。

 

 町に戻り、残りのアルコール(アセトアルデヒド?)を吹っ飛ばすべく、古川の「まちなか温泉」へ。確か三回目である。駅から五分という距離で、しかも三百五十円也で本格的な温泉に入れるのだから、足が向かざるを得ない。

 

 この日、露天風呂には小ぶりの林檎がぷかぷか浮いていた。柚子とは違って格別香るわけではないが、なんとなく嬉しい。そっと観察していると、此方同様、ええ年したオッサンも人目を気にしい気にしい、林檎で遊んでいた。

 

 すっかり元気になったぞう。と一度伺った、これも古川の裏通りにある天ぷらやで昼食。周囲はサラリーマンが日替わり定食を掻き込む中、天ぷらで悠々とビールを呑む。凄く旨いというのではないが、海老は海老、鱚は鱚(うーん、鱚よりもっと魚の味が濃かったな)の味がするのがよろしい。次来たら、前の水槽に活けてあるすっぽんをつぶしてもらうべいか、いやその前に中々旨そうなあの日替わり定食を頼んでみなきゃ。と千々に思い乱れながらビールを呑み続ける。

 

 午後の陽を浴びながら、ぷらぷら歩く。見かけた古本屋に入ってみると、以前雪の中をたどり着いた「らせん堂」が移転していたのだった。天井高く入り口は明るく、神戸でも少ないいい雰囲気の古本屋。御主人に挨拶して数冊を買い求める。

 

 この後、夜店通りの小洒落たカフェでハーブティーなんぞを啜りながら古書の頁を繰る・・・のだったら絵になりますが、そこはまあ、このブログのことですから、夕景まで新改さんでハイボールをきゅっきゅきゅっきゅとやっておりました。

 

 呑み屋には集中的に通え!薬味はとことん使え!RPGの宝箱と素材は残らず拾え!というのが我が家の家訓であります。

 

 夜の食事以降は次回。

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ミュゼめぐり~青森再々々訪(1)~

四度目の青森。訪れた回数なら金沢の方が断然上だが、半年の間にこれだけ行った地方は他にない。

 

 前とその前は八戸だった。今回は青森市。二回目となる。いつものことながら、何もしない為に何もない時期を選んで行った。

 

 機内のアナウンスでは神戸より四、五度は気温が低いとのこと。空港を出てみると、その実感はない。バスの中で日射しを浴びていると暑いほどだし、なにより紅葉の色づき具合が予想よりも大分低い。

 

 この暖かさのために、町に着いてすぐ向かった棟方志功記念館までは歩いて行けた。当方、記念館はおろか棟方志功の作品を碌に見たことがない。人柄と画風(まともに見てなくても漠然とイメージはあるよね、志功くらいになれば)から、何となく生命力鑽仰、大地讃頌、中学の文化祭、と連想が働いて食指が動かなかったのですな。

 

 期待もしていなかっただけに、いくつかの作品を愉しめたのは収穫である。意外と静謐な画面のものが多い、という印象。花札に想を得た組み絵など、題材からいっても当然ながら紋様の自己展開といった趣もあって、マニエリスムということばも浮かぶが、そこまで冷ややかに凝然としているわけではない。その、はみ出たものがこの版画家の《魂の領分》であって、好き嫌いはこの部分の評価に係る、ということなのだろう。

 

 いくつかある公園を辿りながら戻る。大きく育った樹木が多くて、気がせいせいする。かなりのんびり歩いていたので新町に着く頃にはもう昼時分。恰度見かけた蕎麦屋に入る。カフェ風のつくりは落ち着かないが、「蕎麦前セット」があるのは嬉しい。蕎麦味噌や板わさなどでビールと酒一合を呑んでせいろ一枚。蕎麦はともかく、昼酒としても足りないくらいでとどめておいたのは、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」も見物する予定だったからである。

 

 前回、駅前で天丼を食いながら店の亭主に聞いたところ、ねぶたの時期は一念以上前から宿が押さえられているので、特に一人だと宿泊も難しい、とのことだった。ま、そりゃそうだろうな、食いもん屋だってどこも満杯だろうし、とナマでの見物は敬遠し、代わりに「ワ・ラッセ」に見に来たのである(ここは、今年賞をとったねぶたを展示してある)。ご存じの極彩色が館内いっぱいに広がって、負け惜しみで言うのではないが、これだけでもかなりの見応え。ほほぅ、やはり優勝したのは迫力が違うね、などと一端のねぶた評論家気取りでぐるぐると見て回る。北斎に波濤を描いた板絵があるが、あれを立体化したのが気に入った。北斎だと深淵に引きずり込まれそうなコズミックな感覚に襲われるのに対し、こちらはどことなく柔媚に生めかしい。

 

 ねぶたが横に大きく展開するようになったのは、戦後電柱と電線の下を通ることが多くなってからだそうな。古式が断絶した、ということにはなる。なるが、鯨馬の考えではこれはもっけの幸いというもの。歌舞伎の舞台そのままのあの色使いと構図は丈が高いより、こうしてぐうっと押さえ込まれたような空間の方が映えるはずである。

 

 目の法楽にはなったものの、実物でない悲しさ、ねぶた囃子の響きと跳人(ハネト)の踊りは望むべくもない。やっぱり混雑を堪えてでも八月に来るべきか。八戸も三社大祭もあるしな。

 

 さて、時間はまだたっぷりある。といって大鰐や浅虫に伸すほどの余裕はない(車を運転するならともかく)。ねぶたの家は流石に平日でもそれなりの観光客が入っていたので、次はフツーの観光客がまあ行かないであろうと思われる青森森林博物館に足を向けた。

 

 新町(表通り)のある駅の西側とは正反対の方面で、途中は偏窟でさえ気が滅入りそうな裏びれた町を通り抜ける。案の定観光客は当方ただ一人。意外だったのは、随分愉しめるところだったこと。元は営林局だったという明治建築は、何となく《校長先生歩き》をしたくなるようないいたたずまいで、もちろん他に誰もいないのであるから、建物のうちは閑寂を極めている。これは神戸に住んでいて滅多に恵まれない境地なので、まずそれが嬉しい。

 

 その上、根っからの樹木好きときている(なんなら《木違い》と呼んでもらって結構)。名産のヒバ材の家具が並んだ部屋は言うまでもなく、学校の理科室のような展示で青森の森林相をじっくり勉強するのも嬉しい。

 

 建物の前の庭は、さほどの大きさも風情もないけれど、一本一本に名札が下がっているのが博物館らしい。おかげで、こちらは「ヒッコリー!!」とか「とねりこっ!!」とかすっかりコーフンしてほっつき歩いておりました。もっとも、木ならなんでもいい訳ではなく、落葉広葉樹に好みは偏している。だから、アカマツとかヒノキとかが出て来ると「あっち行け、しっしっ」という気持ちになるのも致し方なし。

 

 ゆっくり見物を終えると、あたかもぴったり。というのは市内唯一(とはネットの情報)の《昼からやってる立ち飲みや》が開店する時刻になっていた。あれだけ酒好きの多い町にして、一軒だけというのも不審。ともあれ前回来た時はこの貴重な店で「臨時休業します」の看板にKOされてヘナヘナとなった記憶があるだけに、今度は口開けから「おうっ、おかみ、入るぞっ」とばかりに、ぴしっと、ずいーっと、入っていきたい。

 

 ・・・えっと、あの予約してないんですけど、ひとり、大丈夫すか。

 

 驚くことに、二時早々から、カウンターの半分以上が埋まっていたのであった。もちろん当方を除いてみな常連。胡乱なヤツが来たと一瞥をくれるのは予想通り。そこからこれまたお定まりの「どこから」「神戸から」「ひとり旅で」「青森なんかに何をしにきた」のやり取りがある。率直に言えば贔屓の当方にしてなお青森が所謂観光向けの風趣に富んだ町とは言い難いくらいだから、向こうはケッタイなやっちゃということでこわばりが解けるのだろう、経験からいえばここからはすっと馴染んでいけることが多い。

 

 馴染みすぎたせいか、呑んでるとチェックインの時刻をとうに過ぎてしまっていた。

 

 夜は立ち飲み屋で教えてもらった「ふくろう」へ。街歩きのときにいい感じと思っていたお店の名前を出すと「あそこはオヤジがきむずかしい」「中々入れないよ」「一見さんは断られるのでは」と口々に言われて困惑しているこちらに女主人が助け船を出してくれたのである。

 

 お通しは鰺の天ぷら(二尾、軽い味)。そのあとミズダコとケンサキの造りを頼み、「ぼくはやっぱりニシン好き」なる面妖な名前の酒肴で呑んだ。ニシンの麹漬けと雲丹和えと、あとなれずしだったかな、の三種盛りで、酒に合うのは言うまでもない。こちらでは「切り込み」と称する麹漬けはどの店でも出すものだが、ここのはアミノ酸全開の逸品で、旨い旨いと酒をお代わりしていたら、店名どおり、というかややブルドッグに似た顔つきの店主がすっと、ソウダガツオの造りを出してくれた。

 

 二軒目は「新改商店」、つまりは昼間の立ち飲み屋。まさしく立錐の余地がないくらいの繁盛ぶりで、店中に津軽弁がわんわんと響いていた。

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素人包丁~ひとり月見の巻

 親譲りといふのでもない偏窟で小供の時から損ばかりしてゐる。わざわざ前夜に観月料理をつくって見ようと思いついたのもそのせい。

 

 別に損はしてないか。日本の料理はなんといっても季感が要なのだから、そして月と花とは風物のなかの両横綱といってもいいものなのだから、膳組をかんがえるのには恰好の日なのだった。

 

 旧暦では仲秋。「冷ややか」なんて季語もあるが、実際には少し歩くと汗ばむほど。しかしまあ、この夏の暑さは異常だったから、このくらいの気温でも例年よりむしろ秋の到来が実感できる、とも言える。主題は《侘びた風情》としましょう。茶事では十一月がワビサビ懐石の時候に当たるが、それのはやどりと参ります。

 

 献立は以下の如し。

 

○膾・・・鯖のきずし。鯛や鰹を用いないのがワビサビなのである。今回も野崎洋光さんのやり方に倣って、まず砂糖で〆る(水分だけを抜く)、その後で塩をする。これだと魚の肌が荒れずに綺麗に仕上がる。つまは茗荷と胡瓜の細打ち。すり生姜と山葵大根で食べる。今回はミツカンの「山吹」なる粕酢を使用。色同様に、ずいぶん旨味のつよい酢だった。翌々日の弁当は鯖の棒寿司で決まり(なんで翌々日かというと、一日かけて鯖と飯とを熟らすのです)。

○椀・・・鱧と松茸。どこがワビサビやねん。どう見ても秋のお椀の王道ではないか。という良心(?)の批難も聞こえてはいたのだが、膾で鯖を使った以上、船場汁にも出来ないし(これこそ侘びた風情の最たるものなのだけど)、精進の組合せは思いつかないし・・・と苦渋の決断だったのです。鱧は定石のままに、丁寧に葛粉をまぶし、塩湯で湯がいておく。松茸は蒸し焼きにして裂く。出汁は羅臼昆布と本枯節の一番出汁。それに鱧のアラからとった出汁を合わせる。あまりにも旨味が強いから、水でのばして丁度良い。味付けは淡口醤油すら不要なくらい(塩をぱらっ、と程度)。松茸はメキシコ産にして八百五十円也。メキシカンなマッタケてゆーのもどうなんだろう(京は嵯峨野名産のチリソースと言うが如し)と思いつつも、岩手産二万七千円なんぞという方々には手が出るはずもなく、淡路の鱧とメヒコの松茸、というよう分からん大一番で椀をこしらえたのだった。マッタケの香りはしたか、と問いなさるか。ええ、それはしましたとも。少なくとも上方噺『百年目』で、閉め切った遊山船で花見に出かけた芸者が言うような、「へえ、なんや咲いてるようなカザがしました」というくらいには。

 頑張って稼いで、岩手でも広島でも京都産でもむしゃむしゃ食い倒すような身分になろう、と固く決意する。

 あ、吸口は柚子(元町ファーム)。まだ青いぶん、香りが高い。上にオクラを刻んでゆがいたのを留める。

○焼物・・・これも鴨の鍬焼きやら甘鯛の若狭焼きでは豪奢に過ぎる、ということで蛤の松前焼き。殻から外した身を、酒で湿した昆布の上で焼く。味付け不要。酢橘を滴滴とたらす。

○炊合・・・新小芋・蓮根・茄子・万願寺・胡麻入り生麩。蓮根は加賀のもの。茄子は色よく仕上げるには一度揚げるのがよいけど、とにもかくにもワビサビゆえ、所々皮をむいたあと、胡麻油をさっと塗って、グリルで焼き目をつける。仕上げはむろん新柚子の皮をおろしかける。我ながら上出来。

○八寸(もどき)・・・正格の茶料理だったら、焼き目をつけた栗(山)と蟹の子の塩辛(海)とでもする所。これではあんまり愛想がないので、山=栗と柿の辛子和え、海=蟹の菊膾とした。

山=少し前に思いついて、一度作ってみたかった(本で読んだのではないと思う)。栗は渋皮までとって湯がく。多少身割れしても構いません。むしろその方が風情がでる。柿は角に切ってちょっぴりの味醂を掛け回しておく。甘味を殺すために味醂にはリキュールのビターズ(なけりゃチンザノでも)をしのばしておく。衣は白和えと基本同じ。水切りした木綿豆腐をよくよく擂って、淡口と酒で調味、辛子を加える。ワビサビのため、黒胡麻も少し入れて擂った。

海=蟹は渡り蟹。蒸し上げて、身をほぐす。わたの部分は別にして、それだけで食べる。菊は八戸の市場で求めた菊海苔を使った。ゆがいたあとさっと冷水にさらす。柚子をしぼったのに淡口と昆布出汁を混ぜる。蟹と菊は出会いのものですな。瀟洒な肴となりました。

○酒肴(飯は食わないから、どうせ皆酒肴なのだが)・・・蟹みそ、鮒寿司、からすみの粕漬け(『播州地酒ひの』から買ったのを漬けた)

○香の物・・・花丸胡瓜のぬか漬け、茗荷の梅酢漬け、ひね沢庵(かなり塩をきかせて漬けたので、九月まででも充分保つ)

 

 一応は懐石仕立てだったので、「幻の地酒」てな感じは合わんかと思い、酒は萬歳楽のひやおろしと、菊正の特別純米(これは燗酒用)。六時頃から作り始め、ちびちびやっているうちに十二時を越えていたことに気づき、慌てる。そういや肝腎のお月様を見てない。ベランダに出てみると、今宵の主役は雲の波間を漂いながら、それでも澄み照っておりました。

 

 菊なます輪廻の果てのけふの月   碧村

 

 

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