鳥獣大会

 一月はよう食べに出た。勤務先の事情で、連休が少ない月だったから、溜まったストレスを外食で発散する形となった。と言っても炭水化物に興味はないので、カツ丼大盛り!とか新規ラーメン店発見!なんてことにはならない。熱燗大盛り!とか新規漬け物開発!とかだったら食指が動くのですけれど。

 

 心に残った品々は、

 

○和え物二種(玄斎)……ひと品めは八寸のうち。青菜(嫁菜?芹?)を、荏胡麻を擂ったので和えている。香気が何よりの御馳走。ふた品めは河内鴨の皮のところを、牛蒡・人参・キャベツなどと、酢味噌で。童画のような彩りも愉しい。冷酒がすすみました。日本料理の店では、「椀さし」のような《花形》以外のこういう品にこそ料理人のセンス乃至エッセンスが顕れる、と鯨馬は思う。

○鴨のコンフィとハム(ロンロヌマン)……前田シェフのお店。『アードベックハイボールバー』『モゴット』と前ちゃんの料理を追いかけ、ついに草津にまでのしてしまいました(お慕い申し上げております)。もっとも神戸から新快速で一時間半。座ってればいいわけですから、草津はけして遠くない。さてハムは熟成を抑えてあでやかな香りと舌触り。コンフィあくまでも力強く、一緒に煮込まれた白インゲンも、変な形容ですが勇壮な味わいでよろしい。思い通りのキッチンで、思うような食材を用いてニコニコ料理しているシェフを見られるのがまた嬉しい。あ、ソムリエの奥様の選択もよろしかったな。セバスチャン・マニェンなる醸造家のアリゴテのブルゴーニュが気に入りました。

○葉にんにくのパスタ、人参のムース(AeB)……パスタはオレキエッテ。ソースに白味噌を使ってると中田シェフに聞いたような。それで菜の花などを和えているから茶料理のような瀟洒な口当たりで、そこに葉にんにくが小気味いいパンチをかませてくる。土佐ではこの野菜を擂ったものでハマチやカンパチを食べさせるが(旨い)、魚でなく野菜を和えても洒落た一鉢が出来るのでは、とひらめく。これから色々菜が出て来る時季なので、試してみるつもり。人参のムースはメインコースのあと、ドルチェの前に出された。甘味に移るまえの、言ってみたらインタルードに当たるひと品なのだけれど、これがまたすこぶる充実の味で、上に滴々とたらしたオリーヴ油の爽やかな香りと相俟って、ずっとこれで呑んでいたいと思わせる上等の出来でした。

ジビエのコース(TN)……こちらは初見参。全品ジビエで構成された限定二十食のコースと聞いては予約せずにいられない。「ジビエキターッ!」もしくは野田秀樹風に「野獣降臨ー!」というところ。猪のリエット(胡椒風味を効かせたサブレに挟んで)も、雉のテリーヌも(あんぽ柿を混ぜたマスタードで食べさせるという趣向)堪能した後で、御大登場という恰好でヒグマのロースト。人生初のヒグマを噛みしめるに、筋っぽくもなく、かといってとろける食感でもなく、ぎりぎりまで抵抗を示した後、しゃくっと崩れるような不思議な食感で、血の香りをさせながら喉をすべっていく感覚が妙になまめかしい。「二歳の牝なのでロースト」「年取った牡だと煮込みにでもしないと食べられない」と聞いて納得するくらい、柔媚な味わいなのである。それでもさすがは森の王者、いや女王か、だけあって脂のとこをしゃくしゃくやってますと、甘味の影から、むぉふぉっ。という感じで土と木の実と草の混じった香りが立ち上がる。やっぱキムンカムイ、すげぇわ、と品の無い表現で呟いておりますと、ヒグマの皿に次いで真鴨が来た。絶頂の上に重ねてメインが来る按配、さながらブルックナーマーラー交響曲の如し。抱き身のなめらかな味わいは普通に旨いとして、圧巻(書いていても段々興奮してくる)は腿やせせり身などを叩いたポルペッタ、つまり肉団子。芳烈にして濃醇。これに内臓をつぶして作ったサルミソースをつけて頬張ると堪えられません。なんだか自分がヒグマになって鴨に食らいついているようで、心中では何度か吠え声をあげておりました。肉に埋まった散弾を噛み当てると、その錯覚は一段と濃くなるのでした。

○肴・鮨(鮨三心)……ここも初見参。「お寒い中をいらしたので」と蛤の清汁(具なし)から始まる肴も良かったし、肝腎の鮨が旨かった。鰤なんて魚、鮨に合うわけがないと思い込んでたのに、千枚漬けで巻いて柚を振ると不思議や、見事に食べさせる品になってしまうんですね。他にもミソをふんだんに混ぜた捲き海老の握りなど、一体によく工夫がされているのが分かる。建物の風情もよし。予約の取りにくいのは当然でしょうね。

 

 さて二月は和風ジビエから始まります。久々の金沢旅は明日から。

 

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雪の城~弘前初見参(2)~

 

『たむら』の御主人には岩木山へバスが出ているとも聞いていた。雪の岩木神社も魅力的だったけど、まあいっぺんに見尽くすことはないわな。また来ることは間違いないし。と考えて二日目は朝から市内の散策。

 

 最初はやっぱりお城かな。せっかくだから観光客の少ない、早い時間に見物しよう。

 

 しかしこれは前半は当たっていたが、後半に関しては見込み違いであった。客の少なかったのは確かだが(当方と、老夫婦のみ)、早かろうと昼時であろうと、ずっと客はいないのである。

 

 それもそのはずで、当然のことながら一面の雪。可愛らしい天守が白一色に埋もれ、そこに朝日が射してきらきら輝く眺めは、なんというか実にめでたいものだったけど、なにせ歩くのが困難なほどの雪。以前連句独吟を試みたとき、名残の花の句に、

 

 住み着けば堀あをあをと花の城

 

と詠んだが、「あをあを」どころかお濠も暗い水の色にことごとく凍てついているのだった。いや、雪や氷自体に閉口したのではありませんよ。むしろ雀躍する気分だったのだが、案内板に「道路」「池」と書いている、その境目の検討がまったくつかない。雀躍したまま池にハマるのも如何なものか。小一時間ほど堀端をめぐって退散した。広場では自衛隊の面々が重機を使って除雪作業をしていた。

 

 お城の北側にある染め物工房で、藍のストールを買う。これは自分用。白のシャツに映えそう。

 

 お城から色々と迂回しながらいったん駅の方角へもどる。住宅地では二度コケました。狭い道を車が何度も走ると雪が圧し固められてつるつるになってしまう。

 

 駅から二十分ほど歩いて『三忠食堂』に到着。昨日の一ぱい呑み屋の客に教えてもらった店。なんでも津軽蕎麦の名店で、あるらしい。寡聞にしてそういうものがるとはしらなんだ。客の話と、食堂の御主人にうかがったところをまとめると、

 ①蕎麦のつなぎには大豆を使う(呉汁なのかな?)

 ②打ったあと一晩ねかせる(茹でたあとだったかもしれない)

 ③出汁は鰯の焼き干しでとる

という独特の作り方である。たしかに、蕎麦はもにゃっと柔らかかった。ま、「優しい味」といったところか。賞すべきはこの出汁で、煮干しではなく焼き干しのほうがきれいな出汁がひけるとのこと。なるほど清澄で香りがよい。その邪魔をしないように、津軽蕎麦には砂糖などの甘味も用いないらしい(普通の鳥なんばん等には使う)。まん中にストーヴがごうごうと燃えているいい按配に古びた店で、こういう話をききながらのんびり蕎麦をすする気分は悪くないものだった。

 

 食堂からもどる道に津軽塗などを扱う器やがある。これも『たむら』で聞いてきた。重厚華麗な津軽塗の色彩は、冬の長い雪国なればこそ映えるんだろうな。いい感じの店だったが、ここでは買い物はせず。

 

 さて昼からはどう致そうか。青森のねぶた館がよかったのを思い出し、もう一度城の傍にあるねぷた観光館に足を向ける。入り口ではねぷた囃子の実演。いってみれば、青森のコン・ブリオに対するにこれはセリオーソとでも形容したくなる調子。殿様のお膝元であったかららしい。そういや、ねぶ(ぷ)たにしても、当地のものはより古拙の味わいを濃く残しているように思われる。

 

 実演の最後は、見物客一同で「ハネト」のまねび。鯨馬も団体客に交じって跳ねてみた。手をかざし腰をくねらす踊りとはちがって、原始的なよろこびが直に身ぬちを突き上げてくる感じ。汗を飛ばして集団でハネたら熱狂忘我の境に到ること疑いなし。

 

 最後が津軽三味線の生演奏。ツアーの団体は解せぬことにどこかに消えてしまっている。次の観光地へ向かう時間となったのか。定刻に座っていたのは当方ひとりであった。

 

 旅先ではしばしば出くわす、少なからず気まずい場面。しかしこういうこともよくあるのだろうか、二人の演奏者は坦々と弾き始めてくれたので助かった。

 

 青森好きが恥ずかしいことに、津軽三味線はこれが初めて。つい目の前で弾かれるとちょっと凄いような迫力である。とりわ高校生の女の子がきまじめな表情で弾いている、その風情がよかった(女子高校生に興奮しているわけではありません)。

 

 それにしても津軽塗ねぷたの色彩、囃子や津軽三味線の豪壮な響き、いわゆる「東北」のイメージをことごとく覆すような何かが青森の文化にはある。その何かは、簡単に「縄文性」と言って片付けたくない気がする。ゆっくり考えてみたい気がする。

 

 青森の青森性とは何であるかという大問題はそれとして、猛烈に腹が空きました。昼食はかけ蕎麦一杯で、しかもその前後に散々歩き回ったのだからこれは当然のこと。

 

 今から店を探して歩くのも情けない気分になりそうだし・・・とまったく期待せずに観光館に併設されている食堂に入った。

 

 これが嬉しい誤算だったのですね。名前は思い出せませんが、「青森の郷土料理尽くし」みたいな定食で、

・かやき(味噌と玉子を帆立の殻の上で焼く)

・八戸(八戸!)さばの令燻

・けの汁(けの汁!)

・はたはたの煮付け(たっぷりの海藻が副えてある)

・いくら醤油漬け

・にしんの切り込み(麹漬け)

・一升漬け(唐辛子の麹・醤油漬け)

・漬け物(大根浅漬け、蕪の甘酢漬け、長芋の梅酢漬け)

という豪華版である。容易に想像できるはずですが、これみんな酒の肴にぴったり。ビールのあと、これらのアテで酒を三合、ちびちびやって極楽にいった心持ちでありました。また、横を見ると屋根に分厚く雪が積もった上に、時折日の光が射すかと思えば小雪が舞うという眺めですからな。酒がすすむだけでなく、一句詠みたくなる。

 

 津軽晴れと名づけむ昼の雪見酒  碧村

 

 そこからまた雪道をよちよち戻り、ホテルの温泉につかるとさすがに「う゛ぁ~~~」となんとも形容しがたい音が喉をもれた。で、夜まで一眠り。

 

 この日の晩飯は『ふじ』だったかな。昨日とは趣が変わって、関西弁でいうところの「しゅーっとした」店。頂いたのは、

・牡蠣豆腐の揚げ出し(津軽塗の椀)

・平目の昆布締め(平目は青森の県魚)

・鮟鱇のとも和え(これが尤物!部分部分で食感が変わり、こってりしていてしかも清爽。冷酒も燗酒も、なんぼでもイケます)

・なまこ酢

・白子天ぷら

じゃっぱ汁

・かに雑炊

 浮かれて雑炊なんぞを頼んでるところ、我ながら浅間しい。総じて器の趣味もよく、料理も端正なものだったが、どれも無闇に量が多かったのが津軽流儀というところか。

 

 最終日は簡略に記す。最勝院の五重塔(東北では珍しいらしい)を見物したあと、城の南西に広がる禅林街へ。すべて曹洞宗の寺院であり、見事に雰囲気が統一されている。それにしても曹洞の寺は雪に似合うなあ。法華や真宗ではこうはいかない。と妙なところで感心する。

 

 昼飯はイトーヨーカ堂のイートインコーナーで。スーパーの惣菜を買ってきて呑む。初日の書家が言うには「あそこの惣菜、結構郷土色あるわよ」。仰せのままに、と参上したわけである。ま、いちど旅先のスーパーで買い物⇒食事というのをやってみたかったのでもありますが。この時に買ったのは、

・わらびのおひたし

・いかげそのミンチ揚げ(「いがめんち」である)

・ほたてのとも和え

・サメのおろし和え

・真鱈子の漬け込み

 本当は人参の子和えや蕗のいためたのやさもだし(キノコ)等も買いたかったのであるが、オッサンひとりがテーブルにそこまでおかずを広げるのも異なものか、と多少の遠慮がはたらいた。カップ酒とビールをのみながらわらびをつついてるだけでも充分異な光景だったろうけれど。

 

 次回の弘前旅行では、残りの惣菜をコンプするつもりであります(結局は人眼を気にしてない)。

 

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雪明かり~弘前初見参(1)~

 遅くなりましたが、新年のご挨拶を申し上げます。

 

  己亥(つちのとゐ)

ぼたん雪ふるあめつちのおともせでふすゐの床にむすぶはつ夢

まつすぐに駆けくる気負いの武者武者といさましく喰うぼたん鍋かな

蝶は舞ひもみぢかつ散る花の宴小萩も咲いて福よコイコイ

 

 

 とは言っても大晦日から三日まで出勤だったので、本当に正月気分を実感したのは松も取れたあとだった。弘前にのんびり小旅行を愉しんできた。

 

 青森、八戸、弘前。こう並べるといかにも肌合いの異なる町どうし。京都・大阪・神戸に引き比べるのは幾分身びいきの気味合いがあるから、ここはひとつ、江戸時代の三ヶ津(江戸・京都・大坂)のような顔合わせと景気よく譬えておこう。

 

 青森はなんといっても県庁所在地で、政治都市という性格が濃い。八戸は工業都市という貌もあるけれどやはり漁師町(のうんと大きなやつ)だろう。弘前は言うまでもなく城下町。五度目の青森旅にしてようやく足が向いた。ねぷた弘前城の花見など、絵に描いたような観光都市というイメージがあって、いささか気ぶっせいだったことによる。その先入観をいい具合に打ち砕いてくれないかというのが、今回の旅の、あえて言えば主題だった。

 

 一月初頭の青森なのだから雪は今さら言うまでもない。本番はこれからとしても、駅前からしてすでに真っ白。寒気さえあてがっておけば上機嫌な人間はこの段階で大方「気ぶっせい」のことを忘れていた。

 

 着いたのが時分どきだったのでホテルに荷物を預けてそのまま昼飯の店へ。『たむら』という鮨や。昼はお決まりのにぎりだけらしい。結果的にはこれで丁度良かったのである。

 

 冬の津軽に来て魚を褒めるのも気の利かない話だが、実際どれも旨かった。鮃・帆立・鮪・しま海老・くえ・トロ・車海老・こはだ・海胆に巻物と玉子。蕪の羹、茶碗蒸し、味噌椀(新海苔)と汁物が三種出るのも嬉しい。

 

 食事のあとは「どちらから」「ご旅行の目的は」と、お定まりの会話。「けの汁を食べるのが目的のひとつ」と言うと、御主人がカウンターの反対側で花やかに酒・会話を楽しんでいた二人連れのご婦人に訊ねてくださった。御主人は山口の出身で、郷土料理のことはあまり詳しくないのだそうな。

 

 それはともかく、ちんねりひとり酒で旅情を満喫しているところに正直言って少々有難迷惑な・・・と思っていると、オバサマの一人が「ならあの店ね」と大きくうなずき、観光地図に店の所在と電話番号を書き入れる途中ではたと手を止め、「今からご予定なければ一緒にどう、今ちょうど店を開ける時間だから」とのお誘い。

 

 ゆっくり燗酒三合を呑み終えて今はもう二時である。「開ける時間」とはまた面妖な。なんでもその居酒屋は、店主が高齢のため、一四時から二十時まで「しか」開けないのだという。

 

 俄然面白くなってきた。それにまた、さっきからひっきりなしに色んな情報を詰め込んでくれているこのオバサマ、明らかに充実したお仕事をなさってきた感じの、頭のはたらきのさわやかな方で、こういうオバサマはたいへん好もしい。書道や俳句もするとかで、当方も連句宗匠なんぞをすることがあります、と申し上げると「あらーっ、たいへんな人をご案内することになっちゃったわね」と一段音声が高まるのであった。

 

 『たむら』から歩いて十分少々。旅行者はまず見つけられない場所に次の店はあり、しかも旅行者はまず入ろうとしないたたずまいの店だった。女性の店主は御年八十一。当たり前だが生粋の津軽ことばで、笑顔の素敵なばあちゃんである。

 

 何はともあれと、まずはけの汁。つづめて言えば具だくさんの味噌汁なのですが、わらび・ぜんまい・蕗・根曲がり竹は、春に採ったのを塩漬けにして、それを塩出しして使う。他には凍み豆腐・牛蒡・人参。出汁は焼き干しでとる。地味な見かけと裏腹にむやみに手間のかかった、豪奢な汁ものなのである。「鍋一杯に炊いて、何度も火を入れて煮詰まったくらいがまたおいしい」「これがあればおかず少なくて済むから昔は女が喜んで作った」と、店主と、オバサマコンビが代わる代わるに教えてくださる。

 

 あまり気分がよいので、けの汁をお代わりしたあと、オバサマコンビが帰ったあとも(有難う御座いました)腰を据えて呑むことにした。なまこ酢を頼むと、上方とは反対に青なまこが出て来たのが面白く、また昆布を切り込んで漬けているのも初めて見た。冷や酒をがぶがぶあおっておりますと、「これはどうだ」「ほれこれも食え」(というニュアンスの津軽弁)とほっけのいずしや真鱈の子の漬け込み(酒でゆるめて、その中に沢庵や昆布を切り混ぜている)、新沢庵などがどしこどしこと出て来る。

 

 ここの店主もよくしゃべる人だったが、夕方くらいからぽつぽつ入ってきた常連のオッサン連中がまた綺麗さっぱりと無口だったの

がやけに可笑しかった。中にひとりひどく切れっぱなれのいい口調のオッサンは、夫人が東京の下町出身なんだとか。

 

 ここでも「神戸から」「鰊の切り込みとか発酵したのが好き」と自己紹介すると、「青森の魚のなれずしは旨いだろう、琵琶湖の鮒ずしなんて食えたものではない」と来た。上方ぜい六として(そして『いたぎ家』の客として)やわか一言なかるべき。霊妙にして風雅なあの味をひとしきり称揚し、反論する。こういうときはジメジメいってはいけないので、音吐朗々と正面から言い掛けるのがよろしい。『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の歌合戦のような心意気である。そしてもちろん最後には「それにしてもよく呑むな」「弘前来たらまた必ずここに来いよ」となる。土手町にあるホテルにチェックインするころには日はとっぷりと暮れてしまっていた。

 

 なので、ホテル内の温泉に浸かったらすぐ晩飯という感じ。夜気にさらされてしゃりしゃり固まり始めた雪道をそろりそろりと歩いていると、酔いもふっとんでしまう。

 

 『あば』という居酒屋も、昼間に教えてもらったところ。槍烏賊の姿造りが旨かった。透き通った身は槍烏賊なので艶に優しく可憐な甘味があって、しかも食べてるそばからみるみる身が乳白色に変じていくのがなんとなくあわれをもよおすね、とか御主人に笑いながら酒をお代わりを頼んでるようなヤツの後生心など無論あてにはならない。

 

 ここの御主人もまた、はじめは取りつく島もないようだが、黙然と(内心は発酵食品に雀躍しながら)杯を重ねているこちらに「こういうのもちょっといけます」と一品を出してくれる。身欠き鰊の酢味噌なんかも、無骨なようで洒落てたなあ。まして町の通りは雪で白くなってる上は冷たい空がぴんと張り詰めているのを想像していると、昼からの酒はなかなか止まらない。「気ぶっせい」とか莫迦を言っていたのはどこの誰であったか。

 

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器の方円

 梅田阪急「暮らしのギャラリー」での飯茶碗・湯呑み展に行ってきた。時間をかけて選んだ結果が、つくも窯・十場天伸さんの飯椀と小代焼ふもと窯・井上尚之さんの湯呑みというので、我ながら可笑しい。いつも『いたぎ家』で手に取るものばかりなのだ。アニーの薫染、かくの如し。あと一つは前野直史さんの六方皿。片身替りに釉がかかっていて桃山時代の小袖のよう。大ぶりの焼肴などは映えるだろうなあ。真魚鰹の幽庵なぞいいだろうなあ、とひとしきり空想を逞しくする。

 

 大阪に、しかも買い物に出ることは滅多とないので梅田から天満へと向かう。『烏盞堂』なる器屋に行ってみたかった。インスタグラムで知った店。

 

 お目当ては安洞雅彦氏作の向付。全て織部である。普通の大きさの織部だと素人では中々使いこなせないが、このシリーズは豆向で、掌に乗るほどの大きさ。これなら何とかなりそうである。ただし種類が多い。二百ほどあったのではないか。驚いたことに、この全てに本歌があるのだそうな。

 

 資料あつめが大変でしょうねと言うと、安洞さんは本屋・古本屋では「織部」と文字の入った本を全部買っていくとのこと。本歌の器は、形・模様でどこのミュゼ(寺社・店)の所蔵か、すぐに分かるらしい。

 

 うーんと唸るしかない。

 

 店主の佐々木さんが振る舞って下さった薄茶を頂きながら、こういった話を色々伺う。店売りよりは飲食店への卸が中心で、それも単に器を売るだけでは無く、料理との組合せをアドバイスしたり、時には料理のアイデアを出すこともあるそうな。某鮨やの付け台を設計したこともあるという。食の綜合プロデュース業といったところか。

 

 織部の向付を大量に仕入れることからも分かるだろうが、佐々木さんの好みはややクラシックの方(どうでもいいことながら、当方の趣味に近い)。「クラフト系」には距離を置いている。民芸全盛の時代にあってこういう見方は面白いな、と午前中に民芸作家の器を買ってきた人間は思う。

 

 散々迷ったあげく、二つに決めた。すると佐々木さん、「古いものはお好きですか」と、塗りのお盆をおまけに付けてくれた。なんだか海老で鯛を釣ったような。いやこれは安洞氏に失礼だな。

 

 和食、特に鮨(ご当人曰く「わたしのライフワーク」)が好きな佐々木さんはインスタグラムに旨そうな店を沢山投稿している。この日の夜も佐々木さんが上げていた鮨やで予約していたのだった。

 

 「あ、『川口』さんね、愉しめると思いますよ」。

 

 こう聞くと、期待が一層高まるというもの。なので、『烏盞堂』を出た後、かなり空腹だったけど、昼は天神橋筋蕎麦屋で軽く済ませた。

 

 さらにコンディションを良くするため、谷六の大阪古書会館まで歩き、《全大阪》の古書市をのぞく。由良君美の見たことがない本があって、これは掘り出し物だった。それにしても、和本はほんとに出なくなったなあ。

 

 谷六から空堀商店街を抜け、熊野街道を南へさしてずいーっと。上町というと当方にとっては「おっさんの見舞いに行くところ」というイメージで、あまり意識したことはなかったが、そこここに落ち着いた住宅街が残っていて気分良く歩ける(ついでに言えば、「おばはんの見舞いに行くところ」は今里である)。

 

 さて、『川口(かわくち)』さんですが、「愉しめ」ました。店構えも、雰囲気も、御主人の男ぶりも、よろしい。肴・鮨も奇を衒わずかつ清新。厚岸の新若芽を魚の出汁で炊いたのなど、洒落ている。さえずりのぬたも、大阪の鮨屋らしくていい。ノドグロ(炙り)もこの店で食べたのが一等旨かった。

 

 そうそう、器も趣味のいいのを使ってましたよ。『烏盞堂』主人が仰るとおりで、「器は料理を盛り込んでこそ活きる」のです。

 

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煤払ひ

 年内は連休が無いので、本年の読書メモは多分これが最後。

 

 

カール・シュミット『陸と海 世界史的な考察』(中山元訳、日経BPクラシックス)・・・版元の名前で言うのではないが、ビジネス人が読んでもあれこれヒントを得られるのではないか(ただしこのシリーズ、誤植が多くて気になる)。地中海を内海として、真の「海型」とは異なることを強調する。とすれば日本海東シナ海、そして江戸・大坂を結ぶ南海路だって大洋型とは言い難い。近世日本は「鎖国」というより内海型の文明と見るべきなのだ。海への「実存的選択」をした同じ島国の英国とどこで、どう道を違えていったのか。すぐ隣に陸生王朝の強大なのがあったせいか。生松敬三・前野光弘訳よりはるかに読みやすい。中山さんだから当然といえば東南なのだが。それにしても、『資本論』、ウェーバー『プロ倫』からシュミットまで一人の人間が訳すとは。呉越同舟というべきか。両極は一致する、と見るのが正しいのか。

○ヤーン・モーンハウプト『東西ベルリン動物園大戦争』(赤坂桃子訳、CCCメディアハウス)・・・動物よりはるかに強烈な“動物園人”の群像劇ノンフィクション。西ベルリン、つまり封鎖された街の住民はこれほど動物園に執着するものなのだ。『卵をめぐる祖父の戦争』(名品です)のデイヴィッド・ベニオフあたりなら、この題材で洒落たスパイ小説を書けそう。

○大槻真一郎『西欧中世宝石誌の世界 アルベルトゥス・マグヌス『鉱物書』を読む』(八坂書房

池内紀『ドイツ職人紀行』(東京堂出版)・・・池内さんで、「ドイツ」で「職人」で「紀行」なんだから、面白くならない訳ないよねー。

岩下尚史『名妓の資格  細書・新柳夜咄』(雄山閣

イングリッド・ローランド, ノア・チャーニー『「芸術」をつくった男』(北沢あかね訳、柏書房)・・・『列伝』のヴァザーリの伝記。絵も描き建築もした、というくらいの知識しかなかったが、いやチョコマカとまめに動いてますな。なにせルネサンス期だから教皇はじめとするパトロンの機嫌も取り結ばねばならないし。第三部の章題でもある「センプレ・イン・モート(絶えず動く)」そのままの生涯。あとブファルマッコという、抜群に器量のある、でも真面目に仕事をせずに人をおちょくったり遊蕩したりで人生を終えた画家のエピソードがまことに哀れ深い。惻々たる思いでヴァザーリは彼の生涯を叙した、と観る著者の推測はおそらく正しい。

○ヨゼフ・クロウトヴォル『中欧詩学』(石川達夫訳、叢書ウニベルシタス、法政大学出版局

○ヘイドン・ホワイト『メタヒストリー  一九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像力』(大澤俊朗他訳、作品社)・・・原書は拾い読みのみ。邦訳でようやっと通読。ノースラップ・フライ以上の大ホラ吹きがいようとは(これ、必ずしも貶下するに非ず)。いかにもアメリカの学者、という感じがする。当方は文芸批評の一冊として読みました。

○工藤好美『叙事詩と叙情詩』(南雲堂)

池上俊一フィレンツェ 比類ない文化都市の歴史』(岩波新書)・・・「京都嫌い」があれだけ受けたのだから、フィレンツェ嫌い、を謳った一冊があってもいいのに。いかがわしいヴェネツィア贔屓としては、そう思う。

○ジェームズ・フランクリン『「蓋然性」の探求  古代の推論術から確率論の誕生まで』(南條郁子訳、みすず書房)・・・数学的明証性に対する蓋然性ということであれば、人事百般の“論理”はこれに該当する。読みながら、つねに文学研究の方法が念頭にあった。

丸山健二『真文学の夜明け』(柏艪舎(星雲社発売))・・・すさまじくパンチ力のある阿呆陀羅経と言おうか(貶下して言うに非ず)。同じ趣旨を繰り返されてもともかく最後まで読ませるものなあ。文学はともかく文章、と言い切るのも納得。『白鯨』好きというのは意外であった。

○古田徹也『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ

高橋睦郎『つい昨日のこと 私のギリシア』(思潮社)・・・典雅な詩集。

ジャン・グロンダン『解釈学』(末松壽他訳、白水社文庫クセジュ)・・・二三箇所、ふむふむと感心した覚えがあるが、酒を呑みながらだったので、メモしていない。

○エリック・ホブズボーム『20世紀の歴史 上下』(大井由紀訳、ちくま学芸文庫

アントニー・D・スミス『ナショナリズムとは何か』(庄司信訳、ちくま学芸文庫)・・・文庫オリジナル。

 あと、本の本が三冊。

○宇田智子『市場のことば、本の声』(晶文社

林哲夫他『本の虫の本』(創元社

青木正美文藝春秋作家原稿流出始末記』(本の雑誌社

 

 

「芸術」をつくった男

「芸術」をつくった男

 

 

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双魚書房通信(20)~少年は歴史を動かした 『エドガルド・モルターラ誘拐事件』

 山本夏彦曰く、「人生は些事から成る」。とすれば歴史もまた些事により動く、と言ってよいかどうか。

 そうかも知れない、と本書を読み終えた人の多くは思うだろう。舞台は一九世紀のイタリアはボローニャ。ある夜、ある一家のアパートに、複数名の警察官が突然おとずれた。おびえる両親に警察官は告げる―あなたの息子さんを我々の保護下におかねばなりません。

 両親から日常的に虐待を受けていたのか、と思うのは二一世紀の日本人だからである。この一家はユダヤ人で、当然問題の男の子、エドガルド・モルターラもユダヤ人(だから、もちろん、というより、つまりはユダヤ教徒)。そのエドガルドはキリスト教の洗礼を施されたらしい。よって彼をモルターラの家で育てさせるわけにはゆかない。

 ここら辺、ユダヤ人問題が身近でない人間には分かりづらい。当時の法律では、ユダヤ人の子どもが洗礼を受けた時は(時には両親の知らない状況であっても!)、「善良なる」キリスト教徒を「邪悪なる」ユダヤ教徒から引き離すことが認められていたそうな。ちなみにこの事件がおこったボローニャカトリックの首領たるローマ教皇領。

 当然両親は抗議し、狼狽し、愁訴するが、多少時間かせぎが出来た程度で、結局エドガルドは連れ去られてしまう。

 いくら二百年前のこととはいえ、アメリカ独立とフランス革命を歴たあとのヨーロッパでしょ、と思うが、一九世紀でもユダヤ人の扱いは相当にひどかったらしい。ゲットーに強制収容されるのは無論のこと、さすがに外出には黄いろの星を付ける義務はなくなっていたものの(後年ヒトラーが復活させたやつだ)、謝肉祭には屈辱的な恰好で町を歩かされ、住民から嘲弄され罵られゴミなんぞを投げつけられる風習があった。えげつないのは神聖な安息日たる土曜日にミサに出ること(!)を強要されたという慣習である。いささか品下る譬えながら、これは毎週同性愛者が異性相手のセックスを強要される(逆もまた真なり)ようなものではないか。

 ヨーロッパのユダヤ差別の根深さをうかがわせるのは、教皇がおおむねユダヤ人を保護する姿勢をとっていたこと。ヒューマニズム、なんてものでは当然ないので、キリスト殺しの罪深き民族に寛大な心で接するのこそ(そして彼らを忌まわしきユダヤ教から愛にあふれた真実の宗教たるカトリックに導くことこそ)が真のキリスト教徒にふさわしい態度と考えられたから、らしい。やれやれ。

 ともかく、イタリア、特に教皇お膝元のローマ在住のユダヤ人は独特のコネクションをヴァチカンに持っていた。両親の訴えをきいたユダヤ人コミュニティははたらきかけを開始する。

 不運だったのは時の教皇がピウス九世だったことだ。敬虔で真摯なキリスト者であったことは間違いなかろうが、同じくらい確実に頑迷不霊でもあった。合理主義・自由主義進歩主義を頑なに嫌忌し、回勅ではこれらを並べ立ててすべて否定した。

 「エドガルド問題」でも妥協するはずがない。ルネサンス期、あるいはロココ時代の教皇だったら、あるいはと想像がふくらむところである。ミュンヘン一揆のあと、ヒトラーがもし処刑されていたら、と仮定してみるように。

 ただこの教皇さま、強気一方というのではなくて、それどころか「お前(エドガルド)のために私は集中砲火をあびている」と愚痴る始末。

 それというのも、やっぱりアメリカ独立とフランス革命後、正確にはナポレオン戦争後のヨーロッパだからであって、ピウス七世がいくら力み返ろうと、英仏はすでに引き返しようのないくらい近代的国民国家への道を歩み始めていたのである。世俗国家からしてみれば、教会の統治など受け容れられるはずがない。事件を奇貨として、今で言うネガティヴ・キャンペーンを国際的に展開する。

 イタリアはまだ四分五裂の状態だったけれど(なにせ中央に教皇領がでん、と構えているくらいだ)、皆様高校の教科書でご存じサルデーニャ王のヴィットーリオ・エマヌエーレ二世と宰相カヴールは、イタリア統一を目論んでいる最中。ひそかにフランスと款を通じて教皇庁に圧力をかけてくる。

 そう、エドガルドの「保護」=「連れ去り」は図らずもイタリア統一という大きな大きな歴史のうねりを呼び起こす蝶の羽ばたきとなったのだった。

 それだけなら、最初に記した「些事が大事を成す」の感銘だけにとどまる。本当にすごいのは、この一連の国際世論の動きのなかで両親の嘆きがやがて藻屑のごとく押し流され、そして無視されていくという過程である。「大事は些事を圧しつぶす」のである。

 まだ、ある。肝腎のエドガルド。カトリックの坊主ども薫育よろしきを得て(もしくは洗脳の巧妙さにより)、髄までのキリスト教徒となっていたのだった。これをしも皮肉というなかれ。評者は人間の真実(あるいは悲惨)に感動した。日本語にはこういう時に使える「もののあはれ」という精密な表現がある。

 エドガルドの死を叙してこのノンフィクションは終わる。『パルムの僧院』の愛読者なら、あの放胆なロマンのプレストによる終幕に似た感銘をおぼえることだろう。

 いささか文章の騒々しいのが残念。それでも奇にして妙なる材料を歴史の波間から掬い上げてくれたことには感謝しないと。

 

エドガルド・モルターラ誘拐事件 少年の数奇な運命とイタリア統一

エドガルド・モルターラ誘拐事件 少年の数奇な運命とイタリア統一

 

 

 

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オヤジ殺しエッシャー地獄

 あべのハルカス美術館エッシャー展。初日はそう混んでいなかったが、前の北斎展のように段々評判が広がって最後はとんでもない行列となるかもしれない。それくらい充実した展覧だった。ご興味のある方はお早めにどうぞ。

 

 無限階段の塔にしても手を描く手にしても、画面の細部や質感よりも構図とか、もっと言えばアイデアの面白さが記憶に残っている人が多いのではないか(鯨馬は完全にその類)。正直ネットの画像で充分なのではと思いながら見て回ったのだが、やっぱり版画だけあって、描線の切れ味や伸びゆきかたが大層面白かった。こればっかりは実物を間近で見なければ分からない。エッシャーはハルカスに限る。

 

 多く出品されていた風景画も見応えがあった。大部分がイタリア旅行で印象に残った風景を描いたもの。基本は克明な描写であるにも関わらず、なんだか超現実の中に迷い込んだような雰囲気が横溢するのが愉快。キリコの憂愁やマグリット形而上学は無いけれども、自然の神秘にうたれて茫然と立ちすくむような、ロマン主義的な資質の持ち主だったのかもしれない。そう考えると、結晶の形状への熱中も、エッシャー流の自然哲学だとすんなり納得がゆくのだ。

 

 もっとも偏執的な線をみっちり描き込む画家の作品を何十点と見て回るのはかなりのトラヴァーユであって、近視のみならず老眼とみに進んでいる身としては、眼鏡をかけたり外したり近づいたり遠ざかったり肩を揉んだり腰を伸ばしたり、大騒ぎの体だった。

 

 天王寺界隈では知っている店がないので、難波まで日本橋を通ってぶらぶら。相変わらずごみごみした所だな。道頓堀のおそるべき喧噪も皆様ご存じの通り。疲れ眼中年は逃げ込むようにして『今井』へ入る。小海老の天ぷらでビールを呑み、板わさとぬたで酒を一合。このぬたがよく出来ていて、さえずりのしつこさを殺しつつ活かしつつという酢味噌の按配が、大阪、それもミナミで昼酒をやってるという気分にしてくれる。給仕のおばはんの物腰、店の静かさ、また然り。

 

 最後に「丁稚うどんひとつ」と注文すると、「夜泣きうどんやね」と笑われた。「お店(たな)の子ども衆(し)」が主人番頭の目を盗んで夜泣きうどんを呼び止めている場面からの連想で間違えておぼえていたのか。ともあれ、看板のキツネよりはこちらの方が好みに合う(ぬる燗のアテにもなるのではないか)。

 

 蕩然たる気分で店を出(酔ってない)、日本橋文楽劇場へ。今回は第二部、中将姫雪責めと、『女殺油地獄』の二幕。

 

 近松浄瑠璃を見るのは十年ぶりくらいになる。実を言うと、少し敬遠の気味合いがあった。歌舞伎ではなく人形浄瑠璃を見にきたんだから、なるべくそれらしい味わいの演目がいい。「日本の沙翁」はその点、人物造型・心理描写の冴えやいかにも無理のない物語の構成に鼻白むのではないか、と偏見を持っている(偏見だとは承知している)。その点、『油地獄』は誰もが言うとおり「無軌道な生きかたの若者」による「衝動的な殺人」が題材なのだから、ある意味気張らずに見物できるだろうと踏んだのだ。

 

 油まみれの殺しの場の酸鼻はともかくも、ほとんど儚げなくらいの脆さ、あえていえば愛嬌すら漂わせる与兵衛のキャラクターに瞠目した。義父・実母に殴る蹴るの暴行は、《孝》第一の江戸時代の見物客にはすこぶる衝撃的だったろうが、今の目から見れば、非道暴虐という程のものではなく、単に甘えているだけである(それが分かっているから徳兵衛も勘当は出来なかったのだ)。現に「徳庵堤の段」で伯父に打擲されたあと、悄気返るあたり、上方でいう典型的なアカンタレであり、年齢や社会的地位が上の人間は「しゃーないなーもー」と構ってしまうタイプである。ヤンキーの往々にして人なつこい(という類型表現)が如し。やっぱり芝居は見物してみなきゃね(本日は感心ばかりしております)。

 

 「徳庵堤」ではお吉にきちんと挨拶出来ているし、ともかくも朸荷うて商いにも出てるのだ(売り上げはナイナイしてるにしても)。不良とか悪とかではなくて、先のことを考えられない気弱な人間が「どうにかなる」と殺ってしまったのではないか。注して言う、「先を考えられない」とは向こう見ずに非ず。面倒なもの鬱陶しいものを直視するのが厭で、だから見ないという意味である。

 

 しかし、与兵衛という若者の「性格」を論じたいのではなかった。「河内屋内」での気の滅入るような言い争いを見ていて、ふと、「これはつまり、あれだな、システムの問題だな」という感触を得た。カウンセリングのひとつの立場に、システムズ・アプローチ

というのがある。本人の心理自体を取り上げて問題化するのではなく、《家族》というシステムのなかで誰のどういう発言・行動がどういう反応を呼びさまし、その反応がどのように連鎖するかに注目する。この技法だと、たとえば息子の引きこもりに対して、夫婦間でのことばのやり取りに介入することもある。

 

 当然徳兵衛やお沢に落ち度があるわけではないのだが、この家族、《与兵衛の素行を改める》ことに焦点をおいてどうにもならない状況が続いてきたんやろうなあ、とため息が出た。

 

 近松がそんなことを考えて書いた訳ではもちろん無い。近松に近代性を見いだした、と言いたいのでもない。このどうしようもない現実のぬるっとした不気味な手触りが、なんで浄瑠璃のようないわば様式と修辞の飽和点のような言語で表現可能だったのかなあ、となんとも不可思議なのである。※ま、近松作はテキスト・クリティックと演出のことを考えなきゃなんとも言えないわけですが。

 

 ついでに、この日は『今井』の煮染め弁当を買っていった。高野豆腐・かまぼこ・兵庫豌豆の煮物に、牛蒡・揚げ茄子・椎茸・南瓜・生麩の煮物、これにぬたと出し巻きとこんにゃく辛煮、焼きシシトウ、ご飯はきのこめし。演し物はともかく、サーヴィスに関しては、当方文楽劇場にまったく信用をおいていないのです。

 

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