ハイジン同盟

 酒の席でのふとした一言から拙宅で連句を興行することになった。さるにても酒席から始まる物事の多い人生であることよ。

 

 連衆は当然ながら呑み友だちばかり。芭蕉翁の戒め(「俳諧では酒三盃を過ぐすべからず」)に背いて、酒宴の設けも怠らない。というか、歌仙をダシに家呑みをしようという下心少なしとせず。

 

 ともあれ、当日の献立は以下の如し。

 

○先付……茶碗蒸し(蛤の出汁に淡口を滴々と。へぎ柚子と三ツ葉を添える)

○造り……①鯖きずし(擂り生姜と大根おろし)、②平目昆布〆(山葵)

※前々日から湊川の市場を覗いて回っていたのだが、いかなご漁の時期と重なっていたせいで魚種が少なく、揃えるのに難儀した。

○炊合……鯛の子・蕗・筍・菜の花(鯛の子と筍以外は炊くのではなく、出汁に浸して味を染ませる。酒をたっぷり使う)

○八寸……①新若布と新子二杯酢、②菊の胡桃和え(菊は八戸の干し菊を湯がく。胡桃を摺りたおしたあと、自家製赤味噌と辛子で味を調える)、③独活と鶏皮の梅肉和え(梅肉は煮切り酒と味醂でのばす)、④穴子三つ葉の山葵和え(穴子は焼き。天盛りに焼き海苔をたっぷりと)、⑤分葱と烏賊のぬた(烏賊は鯣烏賊)、⑥蛸の小倉煮(小豆と煮る。砂糖と濃口でこっくりと調味)、⑦ひね沢庵と縮緬雑魚の炒め煮(沢庵は水にさらして塩抜き。味付けは酒・味醂・淡口と鷹の爪)、⑧山の芋の酒盗漬け(芋はアラレに。酒盗は酒でさっと煮ておく。一晩漬けたあと、鯛の子でつくった塩辛をまぶし、摺り柚子をちらす)

○煮染……里芋、蓮根、牛蒡、椎茸

○強肴……①茹でタン(一週間ソミュールに漬けておく。クレソンを下に敷き、マスタードを添える)、②蒸し鶏比内地鶏のももを、鶏ガラスープに一晩漬けておく。出す時に大蒜・生姜・長葱の微塵を盛り、辣油と胡麻油を掛け回す)、③若菜のサラダ(コゴミ、菜の花、クレソン、三ツ葉、芹、ブロッコリー、スナップ豌豆、独活菜。ドレッシングはオリーヴ油・シェリービネガー・塩・胡椒・蜂蜜・マスタード

○飯……酒鮨(鯛・平目・鰺・鰆は塩をして酢洗い、鳥貝・烏賊はさっと湯がいて酢洗い、焼き穴子は細かく刻む。蕗・筍は地酒(という鹿児島のリキュール)・塩で煮る。芹は湯がく。上に錦糸卵と木の芽をのせ、地酒をふんだんにふりかけて一晩圧しておく)

○汁……浅蜊汁(浅蜊を酒蒸しのあと殻を外す。その出汁に昆布出汁を混ぜ、アラレに切ったトマトを入れ、豆乳と赤味噌で調味。吸い口は粉山椒)

○香の物……毎度気張るのはココ。今回は、①菜の花辛子漬け(塩麹で一晩、食べしなに溶き芥子で和える)、②壬生菜二種(昆布・鷹の爪・塩で青々と漬けたものと、同じく昆布・鷹の爪だが、塩糠で鼈甲色になるまで漬けたのと。後者はかなり酸味が出ている)、③白菜漬け、④胡瓜の味噌漬け、⑤沢庵

 

 大皿を何枚も並べる余裕が無かったので、八寸は銘々ぶんを松本行史さん作、胡桃・拭き漆の手刳弁当箱に盛り付けた。これは色々応用できそうな使い方ですな。

 

 あと、作り手として一等気に入ったのは菊の胡桃和え。もう少し辛子を効かせれば、鯛や烏賊の造り身や隠元と和え混ぜにしたり、薄切りの蕪で巻いたりと展開できるはず。

 

 酒はお持たせ。こちらの提供した赤ワインも含め、案の定ぺろりと空いてしまう。

 

 さて一応はこの日の眼目たる句会ですが、予想通り半歌仙(十八句)を過ぎたあたりで時間切れ。連衆お三方のうち、洒落神戸・和韻御夫妻は俳句の方では経験を積んでらっしゃるが(夏井いつき先生の弟子なのです!)、俳句も初めてという咲月さんも含めみな連句は未経験者。捌き手としては、無論あれこれ言いたいことがありますが、仏がおでどんどん通しちゃう。初手は旨い汁を吸わせておいて、行きも退きもならぬ所までハマったところでおもむろに「鬼の宗匠」と変化しようという、素人をなぶる賭場のヤクザなみの深謀遠慮が隠されているのであった。

 

 ここで書いたのでは深謀遠慮にならないわけですがね。

 

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女中的視点

 大阪市立美術館フェルメール展、早めに御覧になるほうがいいですよ。これからどんどん混んでくること間違いなし。それくらい充実した出品でした。ま、フェルメールの名前が付いてるならどのみち人気が出るんだろうけど。

 

 お目当ては『手紙を書く女と侍女』。ずいぶん前にたしか上野の美術館で見て魅惑されたおぼえがある。今回も他の絵はすっ飛ばして駆けつける。人だかりはしているものの、大阪市立に『真珠の耳飾りの少女』が来た時ほど押し合いへし合いではないからちょっと時間をかければ充分観賞できます。

 

 誰だってまずは画面左に立つ侍女の表情に目が行くだろう。女主人が一心に手紙を書く卓の後ろに控えて、例の如く外光が柔らかく射し込んでくる窓の方を見遣っている。

 

 従僕の目に英雄なし。そんな格言が思い出されるような、皮肉なような物言いたげな表情で、実際この情景から侍女の内面に焦点を当てていくらでも物語を紡ぎだしていくことも可能だろう。そう言えばむかし祖母の家に家事手伝いに来ていたノブコおばちゃんは時折こんな表情をしていたような気がする。使う者と使われる者との隠微な葛藤はいずこも同じ・・・。

 

 という、言ってみたら小説的(いっそ二時間ドラマ的と言おうか)感興が今回ほとんど湧き上がってこなかったのは意外だった。それよりもタブローから《魂の状態》が波のように放射されていることにびっくりした。絵画はここまでのことが出来るのか。

 

 感情でも心理でもなく《魂》。だから言語で分析して伝えることは無理なのだが、二人の女性の別々の《魂》が、フェルメール一流の光と、窓外から伝わってくる街の音(高からず低からず)とひとつになって、ある時間として流れ出してくる感覚。純粋持続とはこういうものなのだろうか。

 

 

○フィリップ・イードイーヴリン・ウォー伝』(高儀進訳、白水社)……ウォーの伝記はずいぶん出ているらしい。人間としてのウォーがずば抜けて面白いというよりも(いや、相当なタマなのですが)、イギリス人がそれだけウォーのこと好きなんだろう。筆者はウォーの子孫から膨大なアーカイヴを提供され、それをしっかり使いこなしている。うーん、やっぱり伝記の国だけはある。「評伝」などという甘っちょろい読み物には非ず。それにしても、宝くじかなんかで大金が入ったら、つまり仕事しなくてもいいようになったら、いま出ているというウォーの決定版全集に、日がな一日読みふけりたいものである。

○駒井稔『いま、息をしている言葉で。』(而立書房)……近年の文庫では最大(かつ最良とも言える)の企画である光文社古典新訳文庫編集長の回想録。週刊誌でエロ記事書いてる人だったとは知らなんだ。書物としては、個人的な回顧が多くそれほど読ませるわけではない。

横山百合子『江戸東京の明治維新』(岩波新書)……《御一新》後の江戸=東京の零落ぶり、大名や大身旗本の屋敷があれよあれよと桑畑に変じてゆくのをほとんど原風景であるかの如く描き出したのは明治モノにおける山田風太郎。その裏側のごたごた・すったもんだを色んな角度から照射してみせた一冊。風太郎のサブ・テキストとしても読める。実際小説の素材の宝庫である。鯨馬は最後の弾左衛門(非人の首領)の「もはやこの方の支配もこれまで」という嘆声に深い感銘を受けた。それにしても、明治維新って大袈裟に称揚する向きも少なからず。たしかに偉業ではあるのだが、これを顧みるに一大喜劇だったのではないだろうか。

トクヴィル『合衆国滞在記』(大津真作訳、京都大学学術出版会)……名著『アメリカの民主主義』が理論の結晶だとすれば、これはそれを支えるフィールドワーク。クエーカー教徒との出会いなど、むしろ普通に読んで面白いのはこっちの方かも。

○ジャック・ブノワ・メシャン『庭園の世界史』(河野鶴代訳、講談社学術文庫)……文庫一冊での「世界史」だから、クレイグ・クルナス並みの迫力は期待しないけど、やっぱり中国・日本の扱いは紋切り型そのものだなあ。

庄野潤三『水の都』(小学館)……妻の親戚で古い大阪のことを知っている人物に話を聞きに行くだけ、という小説(随筆?)なのだが、それこそさらさらと流れる文章が気品があって読んでてまことに気持ちよい。本書で紹介されてた『笑われ草紙 大阪昔がたり』、早速買いました。

福本邦雄『表舞台裏舞台 福本邦雄回顧録』(講談社

○廣野由美子『批評理論入門 「フランケンシュタイン」解剖講義』……あまりに律儀すぎて、なんだか笑えてくるのですな。

山崎正和『リズムの哲学ノート』(中央公論新社)……『装飾とデザイン』『神話と舞踏』と本書で山崎世界史の三部作になる、と思っている。題名から分かるとおり、これまでの切り口と違って、リズム一元論―というか汎リズム論―に到達しているが、細部の示唆がなによりの御馳走というのは変わらない。たとえば無常観。あれは流れ去ることへの感慨ではなく、リズムを感じ取ったときの感銘なのだという。あっ、という日本文化論ではないです?

○湯澤規子『胃袋の近代』(名古屋大学出版会)……《孤食》は今に始まったことではない。戦前の小説(私小説系統か否かを問わず)のかなりの部分が孤食小説と見ていいのではないか、とか思いながら読む。

鈴木健一編『輪切りの江戸文化史』(勉誠出版)……『人類の星の時間』江戸版。

上野誠折口信夫的思考』(青土社)……長篇批評かと思ったら、既発表の論文・エッセイ集なのだった。全体に食い足りず。折口の小説の読み込みも特に清新とは言い難い。それより、万葉研究ではとっくに民俗学的方法は破綻している、という一言にぶつかって、へえと思った。そんなもんなのですな。

古山高麗雄『編集者冥利の生活』(中公文庫)

○『橋本多佳子全句集』(角川文庫)

 

 工藤庸子先生(愛読者であります)の新刊及び関連書については次回で。

 

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金沢

 白山比咩神社の境内にもほとんど雪は無かった。義理堅く立春春一番が吹いて気温が異様に上がったせいらしい。一年前は三十数年ぶりとかの大雪で営業を休んで雪かきに追われたのを思うとまるで嘘のよう。

 

 とは『料理旅館和田屋』の仲居さんの話。今回当方が通されたのは一階の部屋で、目の前に池が見えるのだが、そう聞くと鯉の動きも心もち潑剌として見える。暖房もすぐに切ってもらったほどで、床の白椿と千代女の軸(「竹の音丸ける頃やみそさゝゐ」)にわづかに冬の気配を探る、といった按配。

 

 二年ぶりなので、「ジビエ尽くし」のコースを頼んでいた。料理以下の如し。酒は『菊姫』「鶴乃里」。やはり酒はその地で頂くのが一等旨い。

 

○前菜(菜の花ひたし、せんな粕漬け、鴨ロース、鮎粕漬け、鱒の松風焼き、柿とチーズ)

○椀(雉と能登椎茸の白味噌椀。どうせなら寒いなかふうふうしながら啜りたかった)

○造り(岩魚、ごり)

○焼き物(岩魚)

○煮物(熊鍋。岩魚を炙った囲炉裏に鍋を掛ける)

○しのぎ(岩魚の親子鮨。身と飯を大根でくるみ、その上に卵をのせている。じつに可愛らしい)

○蓋物(すっぽんの茶碗蒸し)

○強肴(鹿のソテー、バルサミコソース)

○飯(芹飯。彩りも香りも芹好きには堪らぬ。残りはおむすびにしてもらった)

 

 鶴来から金沢まではタクシーで戻る。北鉄金沢線は、周囲の風景といい列車の揺れ具合といい旅先の昼過ぎにはまことに結構な乗り物なのだけれど、時間がかかるのでこの日は行きのときだけ使った。

 

 無論金沢市内に雪は影も形も無し。ホテルで小憩の後、いつも通り足に任せて歩き回る。月曜だったせいか、長町辺りでも惧れていた程観光客の姿はなかったものの、知らない店がいくつもいくつも出来ていたり、新しいホテルをまだいくつも建ててるのには鼻白む。暖かいとはいえ北国二月の夕暮れの暗さのなかをいつしかとぼとぼ歩いているのであった。

 

 晩飯はここもお馴染み『天ぷら小泉』さん。鯨馬を除くとアジア系外国人ばかりというのも二年以前には無かった光景。もっとも、さすがに馴致されたのか比較的裕福な層が来るのか、皆穏やかに「辛口の酒を燗で」とか注文していた。

 

 この日のコースは、

○先付(ばい貝の酢味噌)

○造り(なめら(ハタである)、がす海老)

○椀(鴨と丸葉春菊、真薯、干口子)※春菊も干口子も小泉さんは英語で説明していた。「なまこノ腸ノ乾シタモノ」なんて言われて分かるんだろうかしかし。

に続いて天ぷらで、

○海苔の天ぷらに生海胆を乗せたのと、烏賊を乗せたのと。

○車海老二趣(そのままのやつと、頭のミソを残して揚げたのと)

○蕗の薹

○蟹

○牡蠣

○菊芋

能登椎茸

○鰆

○タラの芽

○海老頭

 最後に天ばらが出て、苺。「これは是非たっぷりまぶしてどうぞ」と出て来たのは和三盆。なんともすずしい甘さだった。酒は『宗玄』の「隧道蔵」というのが良かった。その名の通り、トンネルの中で寝かせたのだそうな。

 着たのは五、六回という程度ながら、来る度に天ぷらが旨くなってきているような気がする(前が旨くなかったわけではないのだが)。小泉さん、たしか茶の湯をやってらしたはず。一度懐石料理を食べてみたいなあ。

 

 その後が『quinase』で呑むのは、そもそもこの店を教えてくれたのが小泉さんだから、当方としては理の当然というところ。四杯で構成してもらった。はじめはシャンパーニュ。二杯目がブルゴーニュで、あとはこちらの希望でラム、そしてマディラ。

 

 金沢も変わったがこちらも変わった。この夜はこれで御帰館と相成る。ホテルのベッドでしばらく、金沢を叙した吉田健一の文章のあれこれ、その中のくまぐまを思い出し辿り返ししていた。

 

 翌朝は『和田屋』の芹飯とカップ味噌汁で簡単に済ませ、駅の方へ。これだけ訪れた割には港方面を見てないことに思い至って足を向けようと言うわけ。エムザ前で恰度金石行のバスが来たので取りあえず乗ってみる。正確な位置関係は把握しとらんが、ニューギニアの奥地に来てるのではなし。何とかなりましょう。

 

 途中、金沢駅から西の方は有り体に申せば埃っぽい市街地であって、特に奇とするものはない。ただバスの終点から歩き出すとすぐに車の音が消え、大きな蔵が見えてくる。金沢関連の本に、そう言えば大野の辺りは醤油醸造が盛んと書いてあったはず。年間を通して雨の日が多いことが良い条件になったらしいが、この日は上着も脱ぎたくなるくらいの晴天。ともかくも静かな町並みをゆったり急がず歩いていく。

 

 途中は海沿い(でも海面は見えない)の一本道が延々続くのに閉口したが、こまちなみという大野の中心地区の眺めは堪能できた。統一され、しっとり落ち着いた町屋が固まっていて、これは小声になるけど金沢の中心部よりよほど眺めがいい。観光客は誰もいないのもよろしい。

 

 こまちなみの中の立派な鮨やに食指は動いたものの、港近くに食堂があるらしいので今回はそっちを採った。昨日はオーセンティックな店ばかりだったしね。入ったのは十一時過ぎで初めは此方ひとりだったのに、三十分も経たないうちにほぼ満席。飯はいいので、アオリイカの刺身とキスフライを頼んだところ、大瓶ビール2本でようよう片がつくような量であった。さすが『厚生食堂』。無論船員の福利厚生という意味である。いかにもスマホで検索してきましたという観光客に交じって、これまたいかにも船員(船員くずれ?)というガラガラ声のおっさんが昼間っからコップ酒をちびちびやっていた。敬礼。

 

 かなりお腹がくちくなったので金沢駅まで歩いて戻ることにした。これは相当な距離なのである。天気は上々にしても、ともかく見るべきものの無い大通りで(県庁の他は、家具屋が多かった。土地が安い所為だろうか)、酔狂な旅人もようやく倦んできたあたりで駅が見えてくる。

 

 当然次は立ち飲み屋を探したのであったが、昼間で開いてるところと言えば近江町市場の中の一軒くらい。覗いてみるに観光客の喧噪、あたかも道頓堀かUSJの如し。さっさと退散し、結局は昼からぶっ通しで開けている、どこにでもありそうな居酒屋でハイボールをがぶがぶやって色んな渇えをなぐさめたのだった。

 

 ここまではまあ、一勝一敗といったところ。このあとは実にもう、連戦連勝の勢いであった。

 

 まずは温泉。何時間も歩いて棒になった足をもどすべく、某ホテルの屋上温泉に立ち寄る。いくら気温が高めといっても、二月の金沢、それも屋上の露天温泉である。浸かった瞬間に恍惚とする。おまけに片町交差点のすぐ側に立地しているので、中心部を上から見渡せるという余禄にもありつける。もっとも右にも左にもホテルらしい建築現場が否応なく目につくのには憮然としたが(そういう当方も高層ホテルの屋上にいるわけだが)。驚喜したのは、犀川上流の方に白山山系と思しき白く光る山並みがちらりと見えたこと。紅塵の巷から眺める「白山」はほとんど白昼夢のようだった。

 

 すっかり気分が良くなって広坂から新竪町にかけて散策。塗りの汁椀と九谷の角皿のいい具合のがあれば、と器・骨董の店を見て回る。結局両方とも行き当たらず、いつものように『オヨヨ書林』で数冊買っていったんホテルへ戻り昼寝。

 

 二日目の夕食は初見参の『八十八』。「はとは」と読む。木倉町も何度も歩いたが店に入るのは初めてなのだった。割烹よりやや居酒屋寄りの小体な店。元和菓子屋という風情ある建物をいい感じに再生している。食べもんやするならこういう店構えがいいなあと考えているうちに先付の茶碗蒸し(白魚と蕗の薹)が運ばれて来た。洒落た味。

 

 こういう所なら、と珍しく注文した鰤の刺身は芽ネギ・柚子・塩昆布などをあしらった、肴によく合う仕立て(鰤は酒より飯のオカズに合うように思う)。

 

 鱈の真子の旨煮も、同じく白子と葱の小鍋も、鯛わたの塩辛も按配よし。言葉少なで笑顔が素晴らしい御主人も御内儀の人をそらさぬもてなしもまたよし。銚子のお代わりもだいぶ進みまして、あれだけ歩いたのだから穏やかに一軒で帰るべしとの決意もどこへか、お勘定を済ませると、早速ナミコさん(御内儀)が奨めて下さったバーへと足が向いてるのでありました。

 

 あれ、ここ前はステーキか焼肉の店でしたよね。それが閉めたあとをバーに使ったのだそう。テーブル席のあたり、道理で贅沢な空間の使い方をしている。

 

 観光客がふらっと入れる所ではないのだろう(路面店ではない)、当方を除いてみな地元の常連さんばかりのよう。なるたけ空気を乱さぬようトーンと話柄を選びつつ、バーボンとカルヴァドスを愉しむ。とはいっても気兼ねしてる感じはないので、イケメンマスターのショウタさんが上手に相手をしてくれてたのです。

 

 と、角をはさんで隣に新手の客が。と思ったら『八十八』での相客なのだった。向こうは家族連れで話はしていないが、向こうから話しかけてきた。さっき、旅行客で次ここに来ると耳にはさんだ。ちょうど行くとこだったから。なんでも水産関係の大きな会社のえらいさんで、この店も毎週来ているとのこと。といって偉そうにするわけでもなく愉快な方で、談笑しながらついつい杯数が重なる。ここでショウタさんから提案があった。

 

 すぐ近くに元々働いていたジャズバーがある。これだけ召し上がるのでしたらご旅行のなぐさみにもう一軒いかがですか、とのお誘い。毒喰らわば皿まで。ではおかしいか。洋酒飲むなら樽まで。ドラクエするならロトの剣まで。○○するなら××まで。付き合いましょう。しかしここの店のほうはどうなさるので。

 

 マスターの同級生だという調理担当くんが「こういうことよくあります」と苦笑。ではあとよろしくー。

 

 というわけでショウタさん及び水産氏と三たり連れで犀川べりの件のバーに繰り込む。ちゃんとステージがあってマダムも唱うというなかなかの規模の店だった。こちらはジャズには全く縁がないので、マダムの艶のある声を愉しみながらバーボンをぐびぐびやるのみ。ショウタさんもあちこちの常連客に呼ばれて忙しそう。相当皆さんに可愛がられていたんだろうな。挙げ句の果てにカウンターの中で洗い物まで始めたのは気の毒だったけれど。逆にショウタさんもこの店好きだったんだろうね。実際磊落という形容がふさわしいマダムも、元気よく働く女の子たちも(健康な色気と言わんか)気持ちよい。

 

 横で水産氏がこっくりしだしたのを潮に立ち上がろうとすると、反対隣にいたS氏―元常連で、赴任先から久方ぶりに呑みに来たとか―からお声が掛かる。「〆にもう一軒いかがでしょう」。

 

 ・・・竜王倒したら宝箱コンプとも言いますし。ポーランドに攻め込んだらパリ陥落までとも言いますしね(言わない)。お付き合いさせてもらいまひょっ。

 

 四軒目はいかにもそれらしく新天地のなかにあった。こここそ観光客、どころか金沢の方でも一見では入りにくい超ディープゾーンではないか。注しておけば、ここで言う「入りにくい」は『つる幸』や『つば甚』が入りにくい、というのと正反対のニュアンスです、念の為。

 

 店主はいかにも一癖ある人物で、ひりりと山椒の効いた会話に興じつつハイボールを呑む。

 

 思うに、自分にとっての金沢はこういう段階に入ったのだと考えるべきなのだろう。新しいビルが出来ようと観光客が溢れかえろうと、にも関わらずしずかに沈澱する「金沢」を、その時々に遇えた方々の裡に探る。

 

 紅梅といふ秩序あり加賀ぐもり   碧村

 

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鳥獣大会

 一月はよう食べに出た。勤務先の事情で、連休が少ない月だったから、溜まったストレスを外食で発散する形となった。と言っても炭水化物に興味はないので、カツ丼大盛り!とか新規ラーメン店発見!なんてことにはならない。熱燗大盛り!とか新規漬け物開発!とかだったら食指が動くのですけれど。

 

 心に残った品々は、

 

○和え物二種(玄斎)……ひと品めは八寸のうち。青菜(嫁菜?芹?)を、荏胡麻を擂ったので和えている。香気が何よりの御馳走。ふた品めは河内鴨の皮のところを、牛蒡・人参・キャベツなどと、酢味噌で。童画のような彩りも愉しい。冷酒がすすみました。日本料理の店では、「椀さし」のような《花形》以外のこういう品にこそ料理人のセンス乃至エッセンスが顕れる、と鯨馬は思う。

○鴨のコンフィとハム(ロンロヌマン)……前田シェフのお店。『アードベックハイボールバー』『モゴット』と前ちゃんの料理を追いかけ、ついに草津にまでのしてしまいました(お慕い申し上げております)。もっとも神戸から新快速で一時間半。座ってればいいわけですから、草津はけして遠くない。さてハムは熟成を抑えてあでやかな香りと舌触り。コンフィあくまでも力強く、一緒に煮込まれた白インゲンも、変な形容ですが勇壮な味わいでよろしい。思い通りのキッチンで、思うような食材を用いてニコニコ料理しているシェフを見られるのがまた嬉しい。あ、ソムリエの奥様の選択もよろしかったな。セバスチャン・マニェンなる醸造家のアリゴテのブルゴーニュが気に入りました。

○葉にんにくのパスタ、人参のムース(AeB)……パスタはオレキエッテ。ソースに白味噌を使ってると中田シェフに聞いたような。それで菜の花などを和えているから茶料理のような瀟洒な口当たりで、そこに葉にんにくが小気味いいパンチをかませてくる。土佐ではこの野菜を擂ったものでハマチやカンパチを食べさせるが(旨い)、魚でなく野菜を和えても洒落た一鉢が出来るのでは、とひらめく。これから色々菜が出て来る時季なので、試してみるつもり。人参のムースはメインコースのあと、ドルチェの前に出された。甘味に移るまえの、言ってみたらインタルードに当たるひと品なのだけれど、これがまたすこぶる充実の味で、上に滴々とたらしたオリーヴ油の爽やかな香りと相俟って、ずっとこれで呑んでいたいと思わせる上等の出来でした。

ジビエのコース(TN)……こちらは初見参。全品ジビエで構成された限定二十食のコースと聞いては予約せずにいられない。「ジビエキターッ!」もしくは野田秀樹風に「野獣降臨ー!」というところ。猪のリエット(胡椒風味を効かせたサブレに挟んで)も、雉のテリーヌも(あんぽ柿を混ぜたマスタードで食べさせるという趣向)堪能した後で、御大登場という恰好でヒグマのロースト。人生初のヒグマを噛みしめるに、筋っぽくもなく、かといってとろける食感でもなく、ぎりぎりまで抵抗を示した後、しゃくっと崩れるような不思議な食感で、血の香りをさせながら喉をすべっていく感覚が妙になまめかしい。「二歳の牝なのでロースト」「年取った牡だと煮込みにでもしないと食べられない」と聞いて納得するくらい、柔媚な味わいなのである。それでもさすがは森の王者、いや女王か、だけあって脂のとこをしゃくしゃくやってますと、甘味の影から、むぉふぉっ。という感じで土と木の実と草の混じった香りが立ち上がる。やっぱキムンカムイ、すげぇわ、と品の無い表現で呟いておりますと、ヒグマの皿に次いで真鴨が来た。絶頂の上に重ねてメインが来る按配、さながらブルックナーマーラー交響曲の如し。抱き身のなめらかな味わいは普通に旨いとして、圧巻(書いていても段々興奮してくる)は腿やせせり身などを叩いたポルペッタ、つまり肉団子。芳烈にして濃醇。これに内臓をつぶして作ったサルミソースをつけて頬張ると堪えられません。なんだか自分がヒグマになって鴨に食らいついているようで、心中では何度か吠え声をあげておりました。肉に埋まった散弾を噛み当てると、その錯覚は一段と濃くなるのでした。

○肴・鮨(鮨三心)……ここも初見参。「お寒い中をいらしたので」と蛤の清汁(具なし)から始まる肴も良かったし、肝腎の鮨が旨かった。鰤なんて魚、鮨に合うわけがないと思い込んでたのに、千枚漬けで巻いて柚を振ると不思議や、見事に食べさせる品になってしまうんですね。他にもミソをふんだんに混ぜた捲き海老の握りなど、一体によく工夫がされているのが分かる。建物の風情もよし。予約の取りにくいのは当然でしょうね。

 

 さて二月は和風ジビエから始まります。久々の金沢旅は明日から。

 

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雪の城~弘前初見参(2)~

 

『たむら』の御主人には岩木山へバスが出ているとも聞いていた。雪の岩木神社も魅力的だったけど、まあいっぺんに見尽くすことはないわな。また来ることは間違いないし。と考えて二日目は朝から市内の散策。

 

 最初はやっぱりお城かな。せっかくだから観光客の少ない、早い時間に見物しよう。

 

 しかしこれは前半は当たっていたが、後半に関しては見込み違いであった。客の少なかったのは確かだが(当方と、老夫婦のみ)、早かろうと昼時であろうと、ずっと客はいないのである。

 

 それもそのはずで、当然のことながら一面の雪。可愛らしい天守が白一色に埋もれ、そこに朝日が射してきらきら輝く眺めは、なんというか実にめでたいものだったけど、なにせ歩くのが困難なほどの雪。以前連句独吟を試みたとき、名残の花の句に、

 

 住み着けば堀あをあをと花の城

 

と詠んだが、「あをあを」どころかお濠も暗い水の色にことごとく凍てついているのだった。いや、雪や氷自体に閉口したのではありませんよ。むしろ雀躍する気分だったのだが、案内板に「道路」「池」と書いている、その境目の検討がまったくつかない。雀躍したまま池にハマるのも如何なものか。小一時間ほど堀端をめぐって退散した。広場では自衛隊の面々が重機を使って除雪作業をしていた。

 

 お城の北側にある染め物工房で、藍のストールを買う。これは自分用。白のシャツに映えそう。

 

 お城から色々と迂回しながらいったん駅の方角へもどる。住宅地では二度コケました。狭い道を車が何度も走ると雪が圧し固められてつるつるになってしまう。

 

 駅から二十分ほど歩いて『三忠食堂』に到着。昨日の一ぱい呑み屋の客に教えてもらった店。なんでも津軽蕎麦の名店で、あるらしい。寡聞にしてそういうものがるとはしらなんだ。客の話と、食堂の御主人にうかがったところをまとめると、

 ①蕎麦のつなぎには大豆を使う(呉汁なのかな?)

 ②打ったあと一晩ねかせる(茹でたあとだったかもしれない)

 ③出汁は鰯の焼き干しでとる

という独特の作り方である。たしかに、蕎麦はもにゃっと柔らかかった。ま、「優しい味」といったところか。賞すべきはこの出汁で、煮干しではなく焼き干しのほうがきれいな出汁がひけるとのこと。なるほど清澄で香りがよい。その邪魔をしないように、津軽蕎麦には砂糖などの甘味も用いないらしい(普通の鳥なんばん等には使う)。まん中にストーヴがごうごうと燃えているいい按配に古びた店で、こういう話をききながらのんびり蕎麦をすする気分は悪くないものだった。

 

 食堂からもどる道に津軽塗などを扱う器やがある。これも『たむら』で聞いてきた。重厚華麗な津軽塗の色彩は、冬の長い雪国なればこそ映えるんだろうな。いい感じの店だったが、ここでは買い物はせず。

 

 さて昼からはどう致そうか。青森のねぶた館がよかったのを思い出し、もう一度城の傍にあるねぷた観光館に足を向ける。入り口ではねぷた囃子の実演。いってみれば、青森のコン・ブリオに対するにこれはセリオーソとでも形容したくなる調子。殿様のお膝元であったかららしい。そういや、ねぶ(ぷ)たにしても、当地のものはより古拙の味わいを濃く残しているように思われる。

 

 実演の最後は、見物客一同で「ハネト」のまねび。鯨馬も団体客に交じって跳ねてみた。手をかざし腰をくねらす踊りとはちがって、原始的なよろこびが直に身ぬちを突き上げてくる感じ。汗を飛ばして集団でハネたら熱狂忘我の境に到ること疑いなし。

 

 最後が津軽三味線の生演奏。ツアーの団体は解せぬことにどこかに消えてしまっている。次の観光地へ向かう時間となったのか。定刻に座っていたのは当方ひとりであった。

 

 旅先ではしばしば出くわす、少なからず気まずい場面。しかしこういうこともよくあるのだろうか、二人の演奏者は坦々と弾き始めてくれたので助かった。

 

 青森好きが恥ずかしいことに、津軽三味線はこれが初めて。つい目の前で弾かれるとちょっと凄いような迫力である。とりわ高校生の女の子がきまじめな表情で弾いている、その風情がよかった(女子高校生に興奮しているわけではありません)。

 

 それにしても津軽塗ねぷたの色彩、囃子や津軽三味線の豪壮な響き、いわゆる「東北」のイメージをことごとく覆すような何かが青森の文化にはある。その何かは、簡単に「縄文性」と言って片付けたくない気がする。ゆっくり考えてみたい気がする。

 

 青森の青森性とは何であるかという大問題はそれとして、猛烈に腹が空きました。昼食はかけ蕎麦一杯で、しかもその前後に散々歩き回ったのだからこれは当然のこと。

 

 今から店を探して歩くのも情けない気分になりそうだし・・・とまったく期待せずに観光館に併設されている食堂に入った。

 

 これが嬉しい誤算だったのですね。名前は思い出せませんが、「青森の郷土料理尽くし」みたいな定食で、

・かやき(味噌と玉子を帆立の殻の上で焼く)

・八戸(八戸!)さばの令燻

・けの汁(けの汁!)

・はたはたの煮付け(たっぷりの海藻が副えてある)

・いくら醤油漬け

・にしんの切り込み(麹漬け)

・一升漬け(唐辛子の麹・醤油漬け)

・漬け物(大根浅漬け、蕪の甘酢漬け、長芋の梅酢漬け)

という豪華版である。容易に想像できるはずですが、これみんな酒の肴にぴったり。ビールのあと、これらのアテで酒を三合、ちびちびやって極楽にいった心持ちでありました。また、横を見ると屋根に分厚く雪が積もった上に、時折日の光が射すかと思えば小雪が舞うという眺めですからな。酒がすすむだけでなく、一句詠みたくなる。

 

 津軽晴れと名づけむ昼の雪見酒  碧村

 

 そこからまた雪道をよちよち戻り、ホテルの温泉につかるとさすがに「う゛ぁ~~~」となんとも形容しがたい音が喉をもれた。で、夜まで一眠り。

 

 この日の晩飯は『ふじ』だったかな。昨日とは趣が変わって、関西弁でいうところの「しゅーっとした」店。頂いたのは、

・牡蠣豆腐の揚げ出し(津軽塗の椀)

・平目の昆布締め(平目は青森の県魚)

・鮟鱇のとも和え(これが尤物!部分部分で食感が変わり、こってりしていてしかも清爽。冷酒も燗酒も、なんぼでもイケます)

・なまこ酢

・白子天ぷら

じゃっぱ汁

・かに雑炊

 浮かれて雑炊なんぞを頼んでるところ、我ながら浅間しい。総じて器の趣味もよく、料理も端正なものだったが、どれも無闇に量が多かったのが津軽流儀というところか。

 

 最終日は簡略に記す。最勝院の五重塔(東北では珍しいらしい)を見物したあと、城の南西に広がる禅林街へ。すべて曹洞宗の寺院であり、見事に雰囲気が統一されている。それにしても曹洞の寺は雪に似合うなあ。法華や真宗ではこうはいかない。と妙なところで感心する。

 

 昼飯はイトーヨーカ堂のイートインコーナーで。スーパーの惣菜を買ってきて呑む。初日の書家が言うには「あそこの惣菜、結構郷土色あるわよ」。仰せのままに、と参上したわけである。ま、いちど旅先のスーパーで買い物⇒食事というのをやってみたかったのでもありますが。この時に買ったのは、

・わらびのおひたし

・いかげそのミンチ揚げ(「いがめんち」である)

・ほたてのとも和え

・サメのおろし和え

・真鱈子の漬け込み

 本当は人参の子和えや蕗のいためたのやさもだし(キノコ)等も買いたかったのであるが、オッサンひとりがテーブルにそこまでおかずを広げるのも異なものか、と多少の遠慮がはたらいた。カップ酒とビールをのみながらわらびをつついてるだけでも充分異な光景だったろうけれど。

 

 次回の弘前旅行では、残りの惣菜をコンプするつもりであります(結局は人眼を気にしてない)。

 

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雪明かり~弘前初見参(1)~

 遅くなりましたが、新年のご挨拶を申し上げます。

 

  己亥(つちのとゐ)

ぼたん雪ふるあめつちのおともせでふすゐの床にむすぶはつ夢

まつすぐに駆けくる気負いの武者武者といさましく喰うぼたん鍋かな

蝶は舞ひもみぢかつ散る花の宴小萩も咲いて福よコイコイ

 

 

 とは言っても大晦日から三日まで出勤だったので、本当に正月気分を実感したのは松も取れたあとだった。弘前にのんびり小旅行を愉しんできた。

 

 青森、八戸、弘前。こう並べるといかにも肌合いの異なる町どうし。京都・大阪・神戸に引き比べるのは幾分身びいきの気味合いがあるから、ここはひとつ、江戸時代の三ヶ津(江戸・京都・大坂)のような顔合わせと景気よく譬えておこう。

 

 青森はなんといっても県庁所在地で、政治都市という性格が濃い。八戸は工業都市という貌もあるけれどやはり漁師町(のうんと大きなやつ)だろう。弘前は言うまでもなく城下町。五度目の青森旅にしてようやく足が向いた。ねぷた弘前城の花見など、絵に描いたような観光都市というイメージがあって、いささか気ぶっせいだったことによる。その先入観をいい具合に打ち砕いてくれないかというのが、今回の旅の、あえて言えば主題だった。

 

 一月初頭の青森なのだから雪は今さら言うまでもない。本番はこれからとしても、駅前からしてすでに真っ白。寒気さえあてがっておけば上機嫌な人間はこの段階で大方「気ぶっせい」のことを忘れていた。

 

 着いたのが時分どきだったのでホテルに荷物を預けてそのまま昼飯の店へ。『たむら』という鮨や。昼はお決まりのにぎりだけらしい。結果的にはこれで丁度良かったのである。

 

 冬の津軽に来て魚を褒めるのも気の利かない話だが、実際どれも旨かった。鮃・帆立・鮪・しま海老・くえ・トロ・車海老・こはだ・海胆に巻物と玉子。蕪の羹、茶碗蒸し、味噌椀(新海苔)と汁物が三種出るのも嬉しい。

 

 食事のあとは「どちらから」「ご旅行の目的は」と、お定まりの会話。「けの汁を食べるのが目的のひとつ」と言うと、御主人がカウンターの反対側で花やかに酒・会話を楽しんでいた二人連れのご婦人に訊ねてくださった。御主人は山口の出身で、郷土料理のことはあまり詳しくないのだそうな。

 

 それはともかく、ちんねりひとり酒で旅情を満喫しているところに正直言って少々有難迷惑な・・・と思っていると、オバサマの一人が「ならあの店ね」と大きくうなずき、観光地図に店の所在と電話番号を書き入れる途中ではたと手を止め、「今からご予定なければ一緒にどう、今ちょうど店を開ける時間だから」とのお誘い。

 

 ゆっくり燗酒三合を呑み終えて今はもう二時である。「開ける時間」とはまた面妖な。なんでもその居酒屋は、店主が高齢のため、一四時から二十時まで「しか」開けないのだという。

 

 俄然面白くなってきた。それにまた、さっきからひっきりなしに色んな情報を詰め込んでくれているこのオバサマ、明らかに充実したお仕事をなさってきた感じの、頭のはたらきのさわやかな方で、こういうオバサマはたいへん好もしい。書道や俳句もするとかで、当方も連句宗匠なんぞをすることがあります、と申し上げると「あらーっ、たいへんな人をご案内することになっちゃったわね」と一段音声が高まるのであった。

 

 『たむら』から歩いて十分少々。旅行者はまず見つけられない場所に次の店はあり、しかも旅行者はまず入ろうとしないたたずまいの店だった。女性の店主は御年八十一。当たり前だが生粋の津軽ことばで、笑顔の素敵なばあちゃんである。

 

 何はともあれと、まずはけの汁。つづめて言えば具だくさんの味噌汁なのですが、わらび・ぜんまい・蕗・根曲がり竹は、春に採ったのを塩漬けにして、それを塩出しして使う。他には凍み豆腐・牛蒡・人参。出汁は焼き干しでとる。地味な見かけと裏腹にむやみに手間のかかった、豪奢な汁ものなのである。「鍋一杯に炊いて、何度も火を入れて煮詰まったくらいがまたおいしい」「これがあればおかず少なくて済むから昔は女が喜んで作った」と、店主と、オバサマコンビが代わる代わるに教えてくださる。

 

 あまり気分がよいので、けの汁をお代わりしたあと、オバサマコンビが帰ったあとも(有難う御座いました)腰を据えて呑むことにした。なまこ酢を頼むと、上方とは反対に青なまこが出て来たのが面白く、また昆布を切り込んで漬けているのも初めて見た。冷や酒をがぶがぶあおっておりますと、「これはどうだ」「ほれこれも食え」(というニュアンスの津軽弁)とほっけのいずしや真鱈の子の漬け込み(酒でゆるめて、その中に沢庵や昆布を切り混ぜている)、新沢庵などがどしこどしこと出て来る。

 

 ここの店主もよくしゃべる人だったが、夕方くらいからぽつぽつ入ってきた常連のオッサン連中がまた綺麗さっぱりと無口だったの

がやけに可笑しかった。中にひとりひどく切れっぱなれのいい口調のオッサンは、夫人が東京の下町出身なんだとか。

 

 ここでも「神戸から」「鰊の切り込みとか発酵したのが好き」と自己紹介すると、「青森の魚のなれずしは旨いだろう、琵琶湖の鮒ずしなんて食えたものではない」と来た。上方ぜい六として(そして『いたぎ家』の客として)やわか一言なかるべき。霊妙にして風雅なあの味をひとしきり称揚し、反論する。こういうときはジメジメいってはいけないので、音吐朗々と正面から言い掛けるのがよろしい。『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の歌合戦のような心意気である。そしてもちろん最後には「それにしてもよく呑むな」「弘前来たらまた必ずここに来いよ」となる。土手町にあるホテルにチェックインするころには日はとっぷりと暮れてしまっていた。

 

 なので、ホテル内の温泉に浸かったらすぐ晩飯という感じ。夜気にさらされてしゃりしゃり固まり始めた雪道をそろりそろりと歩いていると、酔いもふっとんでしまう。

 

 『あば』という居酒屋も、昼間に教えてもらったところ。槍烏賊の姿造りが旨かった。透き通った身は槍烏賊なので艶に優しく可憐な甘味があって、しかも食べてるそばからみるみる身が乳白色に変じていくのがなんとなくあわれをもよおすね、とか御主人に笑いながら酒をお代わりを頼んでるようなヤツの後生心など無論あてにはならない。

 

 ここの御主人もまた、はじめは取りつく島もないようだが、黙然と(内心は発酵食品に雀躍しながら)杯を重ねているこちらに「こういうのもちょっといけます」と一品を出してくれる。身欠き鰊の酢味噌なんかも、無骨なようで洒落てたなあ。まして町の通りは雪で白くなってる上は冷たい空がぴんと張り詰めているのを想像していると、昼からの酒はなかなか止まらない。「気ぶっせい」とか莫迦を言っていたのはどこの誰であったか。

 

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器の方円

 梅田阪急「暮らしのギャラリー」での飯茶碗・湯呑み展に行ってきた。時間をかけて選んだ結果が、つくも窯・十場天伸さんの飯椀と小代焼ふもと窯・井上尚之さんの湯呑みというので、我ながら可笑しい。いつも『いたぎ家』で手に取るものばかりなのだ。アニーの薫染、かくの如し。あと一つは前野直史さんの六方皿。片身替りに釉がかかっていて桃山時代の小袖のよう。大ぶりの焼肴などは映えるだろうなあ。真魚鰹の幽庵なぞいいだろうなあ、とひとしきり空想を逞しくする。

 

 大阪に、しかも買い物に出ることは滅多とないので梅田から天満へと向かう。『烏盞堂』なる器屋に行ってみたかった。インスタグラムで知った店。

 

 お目当ては安洞雅彦氏作の向付。全て織部である。普通の大きさの織部だと素人では中々使いこなせないが、このシリーズは豆向で、掌に乗るほどの大きさ。これなら何とかなりそうである。ただし種類が多い。二百ほどあったのではないか。驚いたことに、この全てに本歌があるのだそうな。

 

 資料あつめが大変でしょうねと言うと、安洞さんは本屋・古本屋では「織部」と文字の入った本を全部買っていくとのこと。本歌の器は、形・模様でどこのミュゼ(寺社・店)の所蔵か、すぐに分かるらしい。

 

 うーんと唸るしかない。

 

 店主の佐々木さんが振る舞って下さった薄茶を頂きながら、こういった話を色々伺う。店売りよりは飲食店への卸が中心で、それも単に器を売るだけでは無く、料理との組合せをアドバイスしたり、時には料理のアイデアを出すこともあるそうな。某鮨やの付け台を設計したこともあるという。食の綜合プロデュース業といったところか。

 

 織部の向付を大量に仕入れることからも分かるだろうが、佐々木さんの好みはややクラシックの方(どうでもいいことながら、当方の趣味に近い)。「クラフト系」には距離を置いている。民芸全盛の時代にあってこういう見方は面白いな、と午前中に民芸作家の器を買ってきた人間は思う。

 

 散々迷ったあげく、二つに決めた。すると佐々木さん、「古いものはお好きですか」と、塗りのお盆をおまけに付けてくれた。なんだか海老で鯛を釣ったような。いやこれは安洞氏に失礼だな。

 

 和食、特に鮨(ご当人曰く「わたしのライフワーク」)が好きな佐々木さんはインスタグラムに旨そうな店を沢山投稿している。この日の夜も佐々木さんが上げていた鮨やで予約していたのだった。

 

 「あ、『川口』さんね、愉しめると思いますよ」。

 

 こう聞くと、期待が一層高まるというもの。なので、『烏盞堂』を出た後、かなり空腹だったけど、昼は天神橋筋蕎麦屋で軽く済ませた。

 

 さらにコンディションを良くするため、谷六の大阪古書会館まで歩き、《全大阪》の古書市をのぞく。由良君美の見たことがない本があって、これは掘り出し物だった。それにしても、和本はほんとに出なくなったなあ。

 

 谷六から空堀商店街を抜け、熊野街道を南へさしてずいーっと。上町というと当方にとっては「おっさんの見舞いに行くところ」というイメージで、あまり意識したことはなかったが、そこここに落ち着いた住宅街が残っていて気分良く歩ける(ついでに言えば、「おばはんの見舞いに行くところ」は今里である)。

 

 さて、『川口(かわくち)』さんですが、「愉しめ」ました。店構えも、雰囲気も、御主人の男ぶりも、よろしい。肴・鮨も奇を衒わずかつ清新。厚岸の新若芽を魚の出汁で炊いたのなど、洒落ている。さえずりのぬたも、大阪の鮨屋らしくていい。ノドグロ(炙り)もこの店で食べたのが一等旨かった。

 

 そうそう、器も趣味のいいのを使ってましたよ。『烏盞堂』主人が仰るとおりで、「器は料理を盛り込んでこそ活きる」のです。

 

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