鬼が笑う門~八戸えんぶり紀行(1)~

 乗り継ぎが綺麗に決まって八戸の中心街に着いたのはちょうど時分どき。目当てにしていた天ぷらやは「土曜のランチはやってないんです」とのこと。まあ三泊するんだから一回くらいはこういうこともあるわな。次回の楽しみとしておきましょう。近くのレストランに入り、刺身定食と烏賊の天ぷらでビールを呑む。

 雪は期待していなかったけれど、それにしても温かい。えんぶりの日はどうなることやら。ともあれ荷物をホテルで預けて、小中野にあるギャラリーへ向かった。

 『すぐそばふるさと』というサイトがある。地元八戸へのしたたるような愛情が伝わる写真が素晴らしく、あと鯨馬としてはとりわけ文章の好もしいのに興味を惹かれ、インスタグラムを通じて管理人のmamoさんと一度やり取りをした。その方のえんぶり写真展が開催中、そして本日はギャラリーにいらっしゃるとのことなのである。

 薪ストーブが燃える感じのいいギャラリーの二階に上がると、客はみなmamoさんと顔見知りらしく、南部ことばが賑やかに飛び交っている。間をそっと縫うようにして写真を見て回った。写ってる皆さんの表情がじつにいい。無論それだけえんぶりに真摯に向き合ってる気組みが表れているに違いないが、その一瞬をとらえた方もまた同じくらいえんぶりを大事になさっていることが伝わってくる。

 会話が収まったところでmamoさんにご挨拶。文は人なり。ふうわり周りを温かくするようなお人柄。えんぶりに参加するこどもたちがmamoさんを見かけると(上方風に言えば)いちびってくるのがよく分かる。今回はお仕事で参加出来ないとか。身不肖ながら双魚亭鯨馬、代わりにしっかと見届けて参ります。

 しかしまだ時間はたっぷりある。帰り道、「新むつ旅館」を見物した。元遊郭の建物だそうで、帰ってから調べたところ、中の造りがむやみと立派で堅牢らしい。次回はぜひ入るべし。

 もう一つ立ち寄ったのはラピアというショッピングモール。みろく横丁や根城といった所謂観光名所よりもこうした地元の人向けの施設にこそその街の気分はよく出ていると考えているからでもあるし、それよりも何よりもともかく八戸のものが好きなんですよあたしゃ。

 しかしやはりここには来てよかった。スーパーに瞠目したのである。いや、入ってるのは長崎屋なのだが、鮮魚売り場がすさまじい(少なくとも神戸の住民には)。大きなホッキ貝もなめたがれいも生にしんも「白サイベカレイ」も(しかし何でしょうか、これは)ホタテもクリガニも全部百円です、百円。今日びコーヒーかて百円玉では買えませんで。次回は(それにしても「次回」が多い旅だ)ホテルではなく、料理が出来るところに宿を取るべし。

 夢見心地のままチェックインを済ませ、ホテル内の温泉に入って写真の印象を反芻し、部屋で一眠りするともう夕食の時間。待ちわびた夕食でもあり、しかし「ああもう半日も経ってしまった」という嘆きもあり。我ながらなんとも落ち着かぬ気分でロー丁へ。

 「咳をしても一人」の鯨馬としてはごく珍しいことに、この旅は御同行あり。禄仙夫妻である(仮名)。夫は同僚であり、夫婦ともども呑み友達であるという関係(前の週にも拙宅で三人あんこう鍋をつついた)。当方が二言目には八戸八戸という熱に多少感化された気味合いあり。こうして感染者をどんどん増やしていかねばならぬ(時節柄不適切な表現があったことをおわびします)。

 店は鷹匠アレイ奥の『鬼門』。なんともおそろしげな名前だが、店のたたずまいは間違いない!という雰囲気で、でもやっぱり場所が場所だけに「一升呑んで一人」の鉄面皮人間でも些かためらうところあって、今回は衆を恃んで予約してみた。

 狭くて、ごちゃごちゃしていて、あったかくて堪らない雰囲気である。盛岡で友人に会ってきた禄仙夫妻も「これはすでにいい店の手応え」とほくほく顔。実際、菜の花と白魚(小川原湖産)とめかぶのお通しからして上塩梅だった。早々にビールから酒に切り替える。あとは思い出すままに並べていけば・・・
*〆鯖・・・定番ながら威風堂々のあぶら。
*北寄貝(つくり)・・・舌下腺がキュッと痛くなるような貝独特の濃厚なうまみ。
*煮魚(なめたがれい)・・・これが尤物。関西では誰も好んで煮魚などたのまないが、鯨馬は八戸の煮魚が滅法うまいことを知っている。夫妻も目を丸くしながらつついていた。「まあ八戸ではこれが普通なんだよねえ」と先達風を吹かす快感といったらない。
*きく・・・鱈の白子。最近はどこの居酒屋でも出すが、それだけにこの旨さはなんぞやと一同のけぞる。周りのぬるぬるしたところが新鮮さの証なんでしょうな。それにしてもこれは旨かった。

 三人でコーフンしながら呑んでおりますと、店の方が「ここらへんもいいよ」と出してくれたのが「ざるめこぶ」。ざるの目みたいに穴が開いてるからだそう。若布と昆布の合いの子のような食感・香りで、すっきりした八戸の地酒によく合います。

 終盤ぽい空気を見計らって出てきたのが吸い物。椀いっぱいに小さい帆立が盛り上がっている。味はなんというか極上の海水という感じで、野趣あふれるようで洗練の極み。本当にこういう味の海があるならば、ひとつ鯖や烏賊になって存分に味わいながら泳ぎ回りたいものである。

 勘定がまた安かった。動揺するくらい安い。次回(またしても)はここで腰を据えねばならぬ。というのは、禄仙子の奥様が仕事の関係で明日帰らねばならず、だから今晩はなるべく色んな店に連れて行きたかったのである。

 というわけで二軒目は「カレーもいいけどおせちもね」「変化球もいいけど直球もね」とみろく横丁は『海の幸美味』へ。相変わらず強烈なオバサマのしゃべくりにあっぷあっぷしながら(でもだいぶ南部ことばが聞き取れるようになった気がする!)、ここでは鮫、ホヤ、アカハタモチ(海藻の練り物)などで呑み続ける。さっ、三軒目だよ!という頃には面妖なことに二人ともくたあーっとのびはてているのでありました。

 「先達」は当然のごとくご帰館とは相成りませず、そこからみろくの別の店で煮込み等を食い、『蜘蛛の糸』の美人ママに久闊を叙し、『太助』の蕎麦をたぐって更けゆく八戸の夜を満喫。

 さ、明日もまたストレートど真ん中に八食センターであります。

 

洛北桃源郷

 京都は北区の『仁修樓』会。待ちに待ったというところ。某年某所での『海月食堂』岩元シェフとのコラボイベント以来の大ファンである。独立して店を構えたら、とはつまり上岡誠さんが自分の心ゆくまで腕がふるえるところではどんな旨いものが出るのかと、思い描いては舌なめずりしていた。

 隅々の設計までこだわりぬいたという店に一歩入った瞬間、自分の想像力がいかにも貧困だったと直観する。そして料理が出始めるといよいよその感は強まるのだった。
※以下、料理の説明は岩元シェフの記録に大きく拠っています。

○桂花鵝肝・・・フォアグラに金木犀の香りのソースがかかっている。ほのかにマンゴーの香りも入る。下にしいている、蒸しパンの上げたのの食感が楽しい。
○三色拼盤・・・前菜盛り合わせ。くらげ、よだれ鶏、それに野菜の甘酢漬け。ご覧の通り、特に料理の仕立てとしては奇なるものを見ない。しかしよだれ鶏のソースといい(柱侯醤とかいう中華味噌の風味がよろしい)、甘酢の爽やかな味(黄柚のひとしぼりが効いている)、口中を通り過ぎてゆく一瞬にはっ。とさせる工夫があるのが上岡流なのだろう。
○木酔明蝦・・・活けの車海老を紹興酒に浸けたもの。牡丹海老ないしは甘海老だとどうしても食感がねちねちしすぎてしまうが、さすがに巻海老のしかも活けだとどこまでもぷりぷり。たっぷり酒を吸ったミソはとりわけ高雅な味わい。下には京の生湯葉がしいてある。
○陳皮炖鴨・・・一度揚げた鴨をスープに入れて蒸し上げたもの。干椎茸やら貝柱やら棗やら杏仁やら陳皮やらが渾然となって、なんというか魔術的な香りとなっておりました。鴨はむしろ添え物という感じで、スープを楽しむ。滋味とはこういうのをいうんだろうな。
○美味點心・・・ひとつは海老の刻んだのを具にした蒸し餃子。かみ切ると舌の上で海老の身が踊る感覚がここちよい。もう一種は小籠包なのだが、出汁が和風。といってもまずまずの料理人は上等の昆布と鰹で引いて事足れりとするところを、上岡シェフはそうすると「香りだけで、具材の力に負けてしまうので」、なんとさば節を思いっきり煮詰めて使うのである。要するに専門店のうどんだしの要領。想像の如く、じつにパンチのある味。
○広東焼鴨・・・人間一人優に入ってしまう焼き釜で、下の焼け石の輻射熱を用いて蒸し焼きにする。だから身は綺麗な薔薇いろで、しっとりと仕上がっている。「おまけ」として出してくれた関節のあたりはまた対極に勇壮華麗(?)な趣。
○鯉・・・豚ミンチや慈姑を鯉の身で巻き、網脂でさらに巻いて、揚げたあと広東風の甘酢ソースをかけて。慈姑がいいアクセントとなっている。
○柱侯牛肉・・・柱侯醤で煮込んだ牛のほほ肉。本来は臓物を使うとのこと。ほろほろくずれる肉質をたのしみつつも、これで胃やら心臓やらだとさらに贅美豪奢になるんだろうと妄想して昂奮する。
○紅焼排翅・・・おなじみフカヒレ煮込みだが、これがまたおなじみどころか驚倒するような味だった。地となるスープは、上湯つまりコンソメを下地にとったスープをさらに下地にしてもう一回とったコンソメなのである。で、いいですか、注意してお聞きあれ、それをさらに「上湯と鶏の白湯でうすめる」のだそうな。この一皿にどれだけの時間と手間と金がかかっていることか。ほとんど茫然とする。味はもう、鯨馬なんかの表現力の及ぶところではない。「うまみ」のイデアなるものがあるとすればこうであろう、とだけ言って口を閉ざす他なし。 
○XO炒飯・・・玉子・葱のほか、大好物のハムユイが入っている。香ばしい匂いと清雅かつ深い味わいにのせられて、あれだけの料理を食べたあとでも、するすると平らげてしまう。

 久々に「料理屋に行った」という感じ。つまりほとんど酒を呑まずにこれだけの品を愉しめた。それどころか後から思い返しながらちびちびシェリーなぞをやるほうがいいくらいかもしれない。

 生まれながらの大詩人という存在がある、と思う。たとえば西脇順三郎金子光晴中野重治。それになぞらえていうなら、上岡誠さんは生まれながらの名料理人と称すべし。京都の中華料理に名を残す店となるのはもう今から約束されたようなもの。ともあれ、上岡さん、おめでとうございます。くれぐれご自愛専一に願い上げます。

聖木酔日

 久々にお客をした。お越し下さったのは木酔会(木曜の昼から呑みましょうという風雅な集まり)の皆様六名。かなり気合い入りました。献立は以下の如し。

(1)お通し(先吸)…蛤汁※酒をたっぷり入れ、調味はせず。蕗の薹を刻んで散らす。これは大阪・谷町の鮨屋『三心』さんの趣向を借りた。
(2)菊胡桃和え…菊は南部名産の干し菊(当然のように、青森色をちらちら見せています)。胡桃を擂り鉢でねちねちと音がするまで擂りたおす。白味噌と辛子少々で調味。
(3)利休鮑…鮑は酒蒸しして、肝も一緒に角切り。こごみは湯がいて鮑と同じ大きさに。黒胡麻を荒擂りして、煮切り酒と味醂赤味噌で調味。
(4)浅蜊と芹の辛子和え…浅蜊を酒蒸しして身を外す。芹は湯がいて刻み、浅蜊の汁に淡口を垂らしたものに浸す。
(5)飯蛸小倉煮…飯蛸は足だけ使う。小豆は蛸と別に柔らかくなるまで煮ておき、湯がいた蛸と合わせ、酒・味醂・濃口で調味し、小豆が半分つぶれるくらいまで炊く。
(6)鯖きずし…いつもは砂糖で水分を抜き、そこから塩をまぶす。今回は脱水シートを用いた。仕上げに柚子をしぼり、山葵で。
(7)白和え…具は木耳(戻して、鰹出汁で下煮)・京人参(軽く湯がき、塩でもんでおく)・干し柿味醂マオタイ酒に浸して柔らかく)・芹・餅銀杏(殻・薄皮をむいて、洗い米と三十分炊く。『玄斎』上野さんの本で知った技法)。和え衣は木綿豆腐・砂糖・淡口・酢
(8)蒸し鶏…生姜・酒・塩を入れた七十度の湯で三十分。身を裂いて、ポン酢を掛け回す。三ツ葉と焼き海苔とともに。
(9)牛タン…ソミュール液(塩・粒胡椒・タイム・ローリエ・セージ・ニンニク・人参・セロリ・玉ネギ・赤ワイン)に一週間浸けておく。あとは粒胡椒・ローズマリー・セロリ・玉ネギを加えた湯で二時間茹でる。付け合わせはクレソン。粒マスタードを添える。
(10)田楽…鯨コロ(二時間茹でこぼし、昆布鰹出汁・酒・砂糖・濃口で下煮)・こんにゃく(昆布出汁で下煮)・牛蒡(昆布出汁で下煮)・蓬麩を串に刺す。昆布鰹出汁・酒・白味噌酒粕・淡口の下地で炊く。
(11)ぬた…鮪赤身(脱水シートで下処理)・新若布・あられ独活を、赤味噌・辛子・酢を混ぜたもので和える。
(12)烏賊造り…剣先がなく、使ったのは針烏賊丹波芋をアラレに切ったものと一緒に。味付けとして卵黄の味噌漬け(四日)を添える。
(13)大根寿司…身欠きニシンは米のとぎ汁に一晩浸け、番茶で茹でる。大根は短冊に切って塩で下漬(一週間ほど)。炊いた白飯と糀を合わせて一晩保温。水を切った大根・ニシン・昆布・人参・鷹の爪を交互に詰め、重石を乗せて一週間。上手い具合に気温が低くなっていたので綺麗に発酵・熟成していた。

(14)間八ぬた…鯨馬自身はこのサカナ、あんまり好まない。が、高知で出てきた時の食べさせ方に感心した覚えがあったので真似してみた。葉ニンニクを擂り、白味噌・酢・辛子で調味して、角切りにした魚を和える。

(15)海老芋味噌炊き…海老芋は一口大に切り昆布出汁で下煮(煮崩れしないよう、晒で包む)。鶏皮は炙って刻み、生姜の絞り汁・酒を振りかけておく。八丁味噌・酒・砂糖を合わせた中で芋を転がすように炊き、鶏皮を入れる。提供の際にエゴマを擂ったものをまぶす。
(16)平目造り…サク取りした平目は脱水シートで下処理した後昆布〆にする。山葵と煎り酒(酒・梅干し・昆布・煎り米を煮詰める)を添えて。
(17)鴨…抱き身をじっくり焼く。その脂を蓮根・タラの芽に吸わせる。調味は塩・酒・山椒・かぼす果汁のみ。
(18)サラダ…菜の花・スナップエンドウ・アスパラ菜・芥子菜・スプラウト数種。ドレッシングは胡桃油・シェリービネガー・蜂蜜・塩・胡椒・粒マスタードで作る。
(19)鯛造り…これまた脱水シートで下処理。薄めにへいで、酒で柔らかくした浜納豆を挟んで提供。
(20)漬け豆…津軽の郷土料理。枝豆を塩茹でしたあと、鷹の爪を加えたゆで汁ごと乳酸発酵させる。
(21)炊合…蕗・焼き穴子・高野豆腐・筍。
(22)山菜ご飯
(23)漬け物…①新沢庵(塩味がまだ直線的なので、少し水にさらしてから)、②ひね沢庵、③千枚漬け、④菜の花昆布〆、⑤壬生菜ぬか漬け(刻んでから、塩・糠・鷹の爪をまぶして押す)

 たまたま連休中だったので、二日前から下ごしらえを進めており、当日は大きな混乱・渋滞もなしに提供出来たように思う。それにしても、これを毎日やっている料理人の方々、やっぱりすごいなあ、と深夜独り、缶ビールを呑みながら思ったことでありました。

 呑んで食って喋って笑って楽しい会にしてくださった皆様に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。          碧庵主人

えびす冷え

 とは題してみたものの、それにしても本当に暖かい冬である。来月、八戸のえんぶり(豊年祈願の祭り)に行くのだが、小雪舞うなかを各組が一斉に摺る(えんぶりでは踊るとは言わない)壮麗な眺めが見られるかどうか、ちょっと不安。まあしかし、雪があってもなくても、愛する八戸にまた行けるだけでジンジンしびれるくらい幸福なのだけど。

吉田修一『国宝』(朝日新聞出版)……遅ればせながら。最後の設定があっ。と言わせる。
チェスタトン『求む、有能でない人』(阿部薫訳、国書刊行会)……チェスタトンのこういう小品集はもっと出て欲しい。
東海林さだお『ひとりメシの極意』(朝日新聞出版)……対談相手の太田某(居酒屋の通なのだそうだ)の俗っぽいこと。東海林さんのあの気韻あふるる文章一度も読んだことないのかしら。
○柿木伸之『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評』(岩波新書)……とくに言うことなし。
○ダニエル・カルダー『独裁者はこんな本を書いていた』上下(黒木章人訳、原書房)……本書を読んだ限りでの印象で言うと、ヒトラーがいちばん無教養な気がする。それにしても筆者の文章が騒々しくて、というのは独裁者の本なんて価値が無いという地点からの裁断になっているのでなんだか逆に鼻白む。たとえばスターリンが恐るべき読書家だった事実を丁寧に分析することから本当のコワサが見えてくるのではないか。
○松原国師ホモセクシャルの世界史』(作品社)……これ読むと、なんだかホモセクシャルの方がノーマルであるように思えてきますなあ。
○ルイ・クペールス『オランダの文豪が見た大正の日本』(國森由美子訳、作品社)……ここに見える「近代日本」批判をオリエンタリズムの一言で葬り去るのはアホにでも出来る。でも問題はなにも解かれていないのである。
○竹内誠・深井雅海『論集 大奥人物研究』(東京堂出版)……大奥のこういったモノグラフィーは今までなかったのでは。前から興味を持っている女性についての論文もあり、面白く一読。
○柞刈湯葉田中達之横浜駅SF』(KADOKAWA)……ワンアイデアストーリーを徹底させたところが凄い。
○『人気の中国料理』(旭屋出版)
○玉木俊明『逆転のイギリス史 衰退しない国家』(日本経済新聞出版社)……経済史の研究を丁寧に踏まえているので、一般書ながら示唆に富む。副題はちと喧しい。
○マッシモ・ピリウーチ『迷いを断つためのストア哲学』(月沢李歌子訳、早川書房)……一度書いたことだが、これからの哲学(として世間が受け容れるもの)はグランドストーリーをしつこく語るヘーゲルか、個人の安心立命を解くストア哲学かに収斂していくのではないか。
山尾悠子・中川多理『小鳥たち』(ステュディオ・パラボリカ)……山尾悠子の文章の玲瓏は今更言うまでもなし。人形どもの妖しいうつくしさに一驚する。ぜひ個展なぞ見に行きたいものである。
○大谷栄一『日蓮主義とはなんだったのか 近代日本の思想水脈』(講談社)……同テーマの本はいくつもあるが、本書が現時点では最も克明なモノグラフだろう。王法仏法の「冥合」、仏国土建設を説く日蓮の思想がある種の国家主義をインスパイアするのは分かりやすい。そうした、いわば躁病的日蓮主義よりも、粘液質的な浄土真宗的エトスが戦前の軍国主義とどう符合していた(乃至していなかった)かの方が鯨馬は気になる。政治思想史の研究者がそのテーマで一冊書いていたがてんでダメな本だった。誰か書いてくれい。
石川直樹『国東半島』『まれびと』……世界中を経巡ってきた写真家が、日本の風土をどう見つめたか。今度は一周回って、その眼でまた世界を見直したとき、どのようなヴィジョンが立ち上がるのか。
○近藤好和『天皇の装束』(中公新書
○クロード・ルクトゥ『北欧とゲルマンの神話事典』(篠田知和基訳、原書房
○J.M.クッツェー『続・世界文学論集』(田尻芳樹訳、みすず書房
飯田隆『日本語と論理』(NHK出版)
正岡容『月夜に傘をさした話』(幻戯書房)……『正岡容集覧』とは正反対の、とはつまりモダニストとしての正岡容像構築を狙った編集。
○陶山昇平『薔薇戦争』(イースト・プレス
○吉江久弥『西鶴全句集』(笠間書院)……俳諧西鶴、ぶっ飛んでるなあ。宛然モダニズム
○三浦佑之『出雲神話論』(講談社
伊藤之雄大隈重信』上下(中公新書
ウンベルト・エーコウンベルト・エーコの世界文明講義』(和田忠彦他訳、河出書房新社)……今回の一冊はこれ。ミラノで行われた連続講義。美について、また醜について、見えないものについて等々エーコが語る、語る、語る。悠揚せまらざる調子はさすが。博識については言うまでもない。聖トマスとジョディ・フォスターを並べたり、チェ・ゲバラの例のイメージ(Tシャツに使われるやつ)を中世ラテン文学のトポスに結びつけたり、といった論じ方は、なまなかな書き手だと「いっしょけんめいやったはるわねえ」という感じになるのだが、エーコだとごく自然に話が流れていくのだ。合掌。

 

小鳥たち

小鳥たち

 

 

ウンベルト・エーコの世界文明講義

ウンベルト・エーコの世界文明講義

 

 

 

新年のご挨拶を申し上げます。

  庚子(かのえね)狂歌
噴き上ぐるマグマは神火のエネルギー大山鳴動何出でんとす
金の柄のうち出の小槌財寳のねずみ算にぞ増えるはつ夢

 

すっかり更新も滞っていますが、なんとか継続はして参るつもりでおります。

皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

 

                 双魚庵主人

幻梅

 呉春(別号松村月渓)は江戸時代の絵師。平安の産ながら、しばらく摂州池田に住んでいた。代表作のひとつ『白梅図屏風』は今までかけちがって見ることがかなわなかった。某日、出勤前の時間を使って逸翁美術館に足を向ける。

 なんとなく銀泥地の紙に描かれてるように思い込んでいたので、藍色の背景にちょっと驚く。近づいてみると織りの文目が浮き出ている。当初は絹地とされていたが、葛布と鑑定が変わり、今では芭蕉布ではないかと言われている由。ともかく、少し離れてみるとこのテクスチュアが納戸色にちかい藍の調子と相俟って、思い出した夢のなかの夕闇空のよう。

 例の光琳の屏風、あの中の白梅はじつに立派な姿を見せているが、華麗さと晴れがましさに見る者を少しく照れさせるところがある。呉春の梅は、比べれば繊弱といってもいいのだろう。しかしその分だけ、梅のくせに柔媚な気配を漂わせている。エロティックといってもいい。ことに細心の布置で点綴された、花と開く寸前のつぼみとの音符の連なりから零れる人ならざるモノの囁きは背骨を撫でさするようで、凝視していると何やら面妖な心持ちになってくる。右側の木が誘うように玩ぶように左の一本に向かって枝をねじくれ、折れ曲がりながら差し伸べている風情もいい。

 正直、他の絵にはあまり心動かなかったのですが、この傑作ひとつを残したのだから、呉春以て瞑すべし。

 この「悩」艶なたたずまいをなんとか形にできないかと苦吟して、

 白梅の身じろぎつつめ夜の底    碧村

 しかしやっぱりここは、呉春が師事した蕪村の絶唱(名句という意味でも、遺作という意味でも)を引くに如くは無し。

 白梅に明くる夜ばかりとなりにけり  蕪村

 

極寒の祭り

 今、大きな「宿題」を抱えているので、旅行記をまとめる余裕はなし。今回も八戸・青森を堪能できたんだけどね。いい店を一軒ずつ発見。次はなんとか八戸えんぶり(寒のさなかに行う豊作祈願の祭り)の時に行きたい。

 読書録もメモ書きだけ。
大石和欣『家のイングランド』(名古屋大学出版会)
○キャサリン・M・ヴァレンテ『パリンプセスト』(井辻朱美訳、東京創元社
○里中高志『栗本薫中島梓 世界最長の物語を書いた人』(早川書房
○ビクトル・デル・アルボル『終焉の日』(宮崎真紀訳、東京創元社
○ホルヘ・カリオン『世界の書店を旅する』(野中邦子訳、白水社
皆川博子『彗星図書館』『辺境図書館』(講談社
泉斜汀『百本杭の首無死体』(幻戯書房
五味文彦『伝統文化』(山川出版社
黒沢文貴『大戦間期の宮中と政治家』(みすず書房
森村たまきジーヴスの世界』(国書刊行会
○ポール・モーランド『人口で語る世界史』(渡会圭子訳、文藝春秋
○指昭博『キリスト教と死』(中公新書
新井素子『この橋を渡って』(新潮社)
若松英輔『本を読めなくなった人のための読書論』(亜紀書房
マリオ・バルガス=リョサ『シンコ・エスキーナス街の罠』(河出書房新社
○関眞興『19世紀問題』(PHP研究所
川本三郎『台湾、ローカル線、そして荷風』(平凡社
金原瑞人三辺律子『翻訳者による海外文学ブックガイド』(CCCメディアハウス)
いとうせいこうみうらじゅん『見仏記 道草篇』(KADOKAWA
○伊藤勳『ペイター藝術とその変容』(論創社
○スティーヴン・スレイター『図説紋章学事典』(創元社
○アンデシュ・リデル『ナチ 本の略奪』(北條文緒訳、国書刊行会
ジョージ・オーウェル『あなたと原爆』(秋元孝文訳、光文社古典新訳文庫
○加須屋誠『生老病死図像学』(筑摩叢書)
○ピエトロ・アレティーノ『コルティジャーナ』(栗原俊秀訳、水声社
○ミシェル・パストゥロー『図説ヨーロッパからみた狼の文化史』(蔵持不三也訳、原書房
滝川幸司菅原道真』(中公新書
○キース・ロウ『蛮行のヨーロッパ』(猪狩弘美訳、白水社