旧師のポルノ

 本はいつのまにかなくなってしまうものだ。

 先日、仕事の休憩時間に、元町の古本屋に立ち寄ったが、結局買ったのは以前買ったはずだけど、今家に無いことは確実で、でも行く先知れずというものばかり。

 手元を離れた自分の本を、巡り巡ってまた自分で買うことになった・・・となれば古本をめぐる奇譚(てほどでもないか)にもなるのだが、まあ実情はもっとカッコ悪い。逃げられた女とそっくりのタイプ(というのは、たとえ同じ版であってもやはり「あの」本と「この」本は別物なのである)とまた付き合う未練がましい性根というところか。

 枕頭の書ではなかったからこそ、いつのまにか消えてしまったのだろうが、いざもう一度手中におさめたとなると、不思議と懐かしさがこみ上げて読みふけってしまう。

 大岡昇平『野火/ハムレット日記』(岩波文庫)、バシュラール『火の精神分析』がその《昔の女》たちである。

 大岡昇平の文章を読むのはいつも快い経験である。誰もが言う明晰さや分析性もさることながら、文章を《読者に向けて語るもの》と認識している書き手の、少しく気取った様式性や「私」への距離の取り方が、そう、社交の要諦を心得た人の話に耳を傾けているようで、安心できるのである。たとえその内容が、戦場における人肉食いという異常な
話題に係るものであっても。

 他には三宅周太郎『正続文楽の研究』(岩波文庫)を買った。

 海文堂では野口武彦『巨人伝説』をもとめる。ケチだから新刊にはすぐには手を出さないが、この本は別である。師匠の本だからである。

 いつかポルノを書くんだ、とおっしゃっていたと仄聞していた。さだめしこの本の、長野主膳と村山たか女との交情の場面がそれに当たるか。「文学的な」ポルノグラフィーであった。