桃の花咲く村

  折からの雨。連休明けの午前。
  絶好の悪条件だなあと、えびす顔で石畳を踏んで歩く。近づくにつれ足取りが速まるのが、規則正しく敷かれた石畳の過ぎゆくテンポに見てとれて、我ながらおかしい。何も急ぐことはないぞと言い聞かせて道の向かい側の崖を見れば、藤の花の紫が、樫や楠、楓の新緑のたたなわる上に、まさしく滴るよう。雨の賜物というべきか。
  すこし呼吸をととのえてゆっくりとお目当ての場所に歩を進める。
  今日は清荒神の鉄斎美術館の「開館35周年記念特別展」に来ている。初めてこの美術館で鉄斎を見たのは、今でもはっきりと覚えているが、大学入試の当日だからもう十八年前のこと。なぜ来ようと思ったのか、そこは不思議と記憶にないのだけれど、参道の脇に落ち込む谷を寒風が吹きとおるたびにマフラーを顔にずりあげたことと、扇面図「富而不驕」の牡丹の紅の鮮やかさとは、わかちがたい記憶になっている。
  以来の鉄斎好きである。雨の午前を「絶好」と初めに記したのは、あわよくば好物を独り占めできるかとの、ジコチュー的希望的観測にほかならず。
  展覧は「鉄斎―豊潤の色彩―」と題している。彩色の優品がいろいろあるなかで、当方のお目当てはただ一つ、「武陵桃源図」(京都国立博物館蔵)のみ。
  さいわい館に入ったときは、他に誰もいない。欣喜雀躍をそのままに絵の前に走りこみ、照明によるハレーションと展示ケースの鉄枠に悩まされながらも、たっぷり半時間は目で画面をなめまわしていた。
  みずから儒者をもって任じていた鉄斎は、万巻の書に通じていた。画題の「桃源」は、いまさらいうまでもないが、陶潜(淵明)の「桃花源記」に基づく。高校の漢文の時間に読まされた記憶のある方もきっと少なくないはずである。「蓬莱仙曲図」とあわせて六曲一双。「桃源図」は、陶潜の叙述を右から左に展開するように画面を構成する。
  遠景の山岳(の「シルエット」)の音楽的な配置、中景の山の姿態把握の的確、そこからのびてくるあぜ道を目でたどっているうちに川そ水田と池、それを前にした建造物(釣殿風もあれば、四阿風のものもある)に、いつのまにか招じ入れられているという構成の巧みさ。また画面の右いっぱいに渓流沿いに咲いた桃花のあでやかさ、そして何よりも、その花に抱きかかえられるようにしてつながれている釣り船の横にうがたれた、桃源郷への入り口となる岩穴からこぼれる光のこの世ならぬ深み・・・。 
  と「描写」(になっているのかどうか)すればするほど、書き手は自分のことばの粗雑さに落ち込んでいく。絵を好むひとは、どうか原物を見てください。画家は「ルノ。」だけにあらず。京都に行く機会の(少なくともすぐには)無い方は、陶潜の漢文を読んでみてください。それが、あの無類の絵の、なによりの「注釈」だろうから。
  はじめの半時間はかくして陶然と、他に客のいないのをさいわい、床にあぐらさえかいて眺めていたのだが、好事魔多し(身勝手な言い分だ)、ついにちらほらと客が入り始める。
  それでもまだ絵の前を立ち去りがたく、離れては色彩の布置を見、近づいては筆触の勢いを見、していたところ、一人の老人が、絵の賛(作者自注のようなもの。この作では、「桃花源記」が原文のまま記されている)について声高に横のこれまた老人(二人には何ら関係は無い)に講釈をはじめた。こちらはカンシャクをこらえてなおも見続けていると、じいさん、今度は自分の生い立ちについて語りはじめやがった。たまりかねて怒鳴りつける。
  儒の人、鉄斎ははたしてどちらに「礼」を認めるのかと、一瞬ひやっとして目をそらすと、視線の先にあった「群仙祝寿図」中の一人の仙人が、杯を傾けつつ「まだまだケツがあおいの」といわんばかりのいけずな、不敵な笑みを浮かべているのに気がつく。
  そこで気を取り直してもう一度、桃の花の咲く村に入ることにする。結局、じいさんよりもあとまで眺め尽くすことになった。美術館を出たときには雨は上がっていた。
  帰り道、参道沿いの食堂でビールを飲み(気分は断然仙人であります)、同じく参道入り口の「さんしょうや」で花山椒と葉唐辛子の佃煮をもとめる。
  夕食は、鳥のもも肉にこの花山椒の佃煮をまぶして酒蒸しにしたもの、小松菜と油揚げの煮浸し、鰯の酢炒り。ひいきの「菊姫」山廃純米がくいくいとのどをとおる。
  よい休日となりました。