あるバーの話

  煎茶で烏賊を炒めてみた。
  烏賊はあおり烏賊。一口大よりやや大ぶりにきって、味がのりやすいように切り込みを入れて、酒をふりかけておく。足は別に使う。
  鷹の爪・生姜のうすぎりをいれた油を熱し(茶の香りを消さないように、ごま油は避ける)、煙が出たところで一気に烏賊を投入。表面の色が変わったところで、茶葉を振りかけ、あおるようにして混ぜ合わせる。砂糖ひとつまみに、塩・胡椒・酒で味を調えておわり。
  瀟洒な一品である。
  このお茶は、同僚の彼女からいただいた。鹿児島にお住まいということで、知覧茶である。
  なんでもこのブログをお読み下さっているらしく、「文武両道」の記事を見てご恵投となったもの。ありがたいことである。
  先週末、雨の中を阪急六甲まで出かけた。大学時代にお世話になった先生と久々にお会いしてビールを飲むため(目的はもう一つあるが、それはすぐ後に書く)。おちあった店で、これも久々にあった後輩に、いきなり「ブログ読んでます」といわれて周章狼狽する。しているところに店のマスターにも同じことをいわれ、なんだか旧悪が暴露されたような、具合のわるいことになった。ここは、我が学科のたまり場の一つ
なので、そういう情報の回りが速いのだろう。いやあ冷や汗が出た。ありがたいことではあるのだが。
  さて、店を出てまっすぐに六甲駅北側のバー「CRIS」に向かう。これが本日の目的だからである。
  知る人ぞ知る、といってもいいのだろう。この場所で四十年続いたバーである。ぼくがお世話になったのは、たかだか十数年だから、この店の常連客からすればくちばしの黄色いひよっこに過ぎない。それが証拠に、ここでは本名よりも「ひよ」「ぴよ」と呼ばれることが多かった。
  以下、ごく個人的な記憶を断片的につづりたい。近くだけに、神戸大学の教授がゼミの学生を引き連れてくることも多かった。自分も、教授のつながりからここに出入りするようになったクチである。美学の教授には「おもろい(というのは飲める、という意味)やつ」だ、と「CRIS」を出てからも延々と引き回された。東洋史教授の、塩辛声の謡を傾聴したこともある。こちらも青年客気の盛りのこと、国際政治を専門とする教授と論戦(?)になったこともある。これも思い出せば冷や汗三斗。少し岸恵子にも似ており、少し滝川クリステルのようでもあり、そして性格は多分に浮世離れしたマダムの栗栖京子さんは、生意気な学生から、いつも「学割料金」として千円しかとらなかった。バーボンを一本近く開けてるのにもかかわらず。
  大学人だけではない。神戸を代表する企業の重役や、画家・詩人が、誰かしらカウンターでグラスを傾けていた。震災の直後、神戸の友人を見舞いに来たという野坂昭如と出会ったこともある。いかにも剣呑な空気を漂わせる小説家に若造が萎縮していると、野坂さんは指導教授の名前をたずね、拍子抜けするくらいにおだやかな口調で「いい人にめぐりあったね」と言ってくださったのを覚えている。
  「CRIS」はこの六月いっぱいで店を閉めることになった。
  また一つ、自分にとっては六甲との縁をつなぐ場所が消えたことになる。そして、今どきの学生が貴重なイニシエーションをうける機会をまた一つ失ったことにもなる。