魚恋はば魚あやむるこころ

  めりはりのきいた梅雨だ。土砂降りかと思えば翌日は朝から晴天だったりする。
  蒸し暑くても雨降りよりはましだ、と水槽の掃除をすることにした。魚は食べるだけではなく、実は鑑賞するのも好き(ブログ表紙の熱帯魚はそういう意味合いなのです)。
  ガラス表面についたコケをおとし、砂に入り込んだ汚れを吸い出し、飾り石を取り出して磨き、水を換える。
  この、水を換えるという作業がたいへんなのである。いちばん大きなやつで120センチあるから、バケツで何度も何度も水をくみ出さねばならない。排水用のホースはあるが、それではまどろっこしいし、水槽に水を入れる際にはどうせバケツしか使えない。以前この作業をしていてぎっくり腰になったこともある。
  一段落ついたら汗びっしょりになっていた。シャワーを浴びたあと、ミシュレの『フランス史』とH.コルバン等編『身体の歴史?』を読む。ミシュレの方は、全二巻のうちの二巻目。正直、中世の初めのころ(フランク王国とか、メロヴィング朝とか)の歴史にはまったく関心がないが、この時代になると、教皇ボニファティウス八世だのジャンヌ・ダルクだのルイ十一世だのといった連中がぞろぞろでてくるので、実に面白い。エドマンド・ウィルソンの名著『フィンランド駅へ』での、社会主義よりのイメージからはだいぶんずれた、中世を憧憬する歴史家ミシュレとしての側面がうかがえるのも興味深い。
  『身体の歴史』は論文集。面白そうなページを翻して読んでいるうちに、いつのまにか昼寝。目覚めると猛烈な空腹。
  というわけで東山市場に突撃。ぴかぴかの鯵を一尾と、川津海老をもとめて帰る。あとは茄子・キュウリ・トマトの夏野菜トリオ。これはラタトゥイユにする。
  鯵は塩をしたあと、薄くひいて紫蘇とタマネギ、ケッパーを散らす。オリーブ油とワインビネガーをかけていっちょう上がり。
  まだぴちぴち跳ねている川津海老は塩茹でに。湯にはローリエとパセリの茎と白ワインで香りをつけている。二呼吸くらいでさっとざるに上げ、あつあつのやつの頭をとり、皮をむき、レモンと溶かしバターをかけて食べる。
  旨い。この料理、たしかデュマ(父だったか子だったか)の好物だったよな、と思いつつよく冷やしたスペインの白をがんがん呑む。
  川津海老の殻は柔らかいから、わざわざとらなくてもいいのだが、この日はこれでパスタソースを作る心づもりがあった。ミソのつまった頭と殻をじっくり煮込んでだしをとり、トマトを加えて更に煮込む。白ワインをもう一本開けたくなるようなこくのある仕上がり。
  食べ終わるとまた雨が降り出していた。