果てしない物語

  不思議な、浄福感に満ちた夢を見て目ざめ、「ああ」と思った。
  この「ああ」は「ああ、やっぱり」の「ああ」である。
  前日にスティーヴン・キングの『悪霊の島』上下を一気に読み上げていたからだ。と藪から棒に言われても何のことやら理解していただけないだろう。長篇小説を読んだ、正確には読了したその日には、ほぼ確実にその小説世界を「生きている」夢を見るという性癖があるのだ。
  どんな夢かというと・・・・という話は書かない。こちらに『鞄の中』の吉行淳之介や『夢の木坂分岐点』の筒井康隆なみの描写力があれば別だが、他人の夢の話はつまらないに決まっている。
  それにしても「浄福感」とはなんだ、《モダン・ホラーの帝王》を読んだあとなのだから底なしの地獄におちていくような悪夢を見るのがふつうではないのか、と思われるむきもあるかもしれないが、『IT』にしても本作にしても、キング作品の根本には《邪悪なものの癒し(鎮め)による救済》があって、どれほどおどろおどろしい道具立てであろうと、正直なところ、さほどオソロシイ物語ではないのである。「怖さ」という一点にしぼって言うならわが岡本綺堂ラヴクラフトのほうが断然上である。もっともこれは、キングがツマラナイという評価ではない。怖いことは怖いが、たとえばラヴクラフトの文章は悪趣味で、そうそう手に取る気にはなれない。
  しかし、この浄福感の由来をもっと本源までつきつめてゆくなら、恐怖小説であろうが恋愛小説であろうが芸術小説であろうが、およそ物語というものを根本的に規定する、あの、読者を異世界にひっさらってゆく力にいきつくのではないか。
  もっともっと長く続いてほしいと、ほとんど息苦しいような思いで切望しつつページを繰り、そしてそれにも関わらず最終ページがおとずれて、《この世界》が完結することをも希求するというあの矛盾に満ちた快楽。
  その麻薬的な陶酔を求めて、今日は山田風太郎にしようか、週末は連休だから『アレクサンドリア四重奏』を2冊だけ読もうか(4冊読んだら徹夜になってしまう)と、寝苦しい夜を悶々と悩むのであります。