神も仏も

  明日から祇園祭が始まる。
  
  といっても京都の八坂神社ではなくて、家のすぐ近く、兵庫区平野にある祇園神社のことを考えている。
  
  社伝によれば、牛頭天王の神託によって、播磨広峯神社に祀られる素戔嗚尊の分霊を都に迎えることになった。広峯から分霊を奉戴して都に上る途中の神使がこの地で一泊、その紀念として社を建てたという。神使一行が都に着いてスサノヲを祀ったのが今の八坂神社であるから、こちらの造営のほうが一足早かったことになる。なるほど。
  
  もっとも社殿の結構にさほどの古色は見られず、神域には森とよべるほどの木々もなく、失礼ながらどちらかといえば潤いに乏しい。ただ、樹木の乏しさは社が急坂(西が有馬街道に面する)の途中に立てられているという事情にもよるので、石段をのぼりきったところから南に開ける神戸の眺望は文句なくすばらしい。ここに住む前、一度散歩がてらに来たことがある。晩秋とあって空気は清爽。日没前の一時間ほどをひとり石段にすわってながめくらした。今のマンションに住むことを決めたのも、ここからの景色が心に染みついていたためでないとは言い切れないだろう。
  
  スサノヲは(スサノヲだけに限らないのだが)、両義的な神格の神。祟るカミ、すさぶるカミでありなおかつ、それを鎮めるカミでもあり、芸能の守護者でもある。遠くギリシアのアポロの面影が微かに揺らぎ重なるようでもある。慕わしいカミである。

  以前はさるえびす神社の近くに住居があったのだが、この神(エビス)、いや正確にはこの神を祀る神社のほうには昔も今もよそよそしい感情しかもてない。土地との結びつきを重視せず、祭りのときだけは「商売繁盛」を殺し文句に盛大に参拝客を呼び寄せるのがなんとなく気疎い。

  まあしかし神の悪口で祟られるのもおそろしいことである。せいぜい祇園さんでは一心に祈りをささげることにしましょう。

  最近笑えた光景一つ。藤山寛美のような、ひどく間の抜けた顔つきの若い坊さん(これは近所にあらず)が、犬に吠えかかられて閉口していた。こんな不謹慎なことばかり書いていたのでは前門の神罰、後門の仏罰になってしまうけれど。

  明日は梅に紫蘇を漬け込む予定。糠床もフル回転。夏祭りの季節なり。