デパ地下の吸血鬼

  四万六千日はとうにすぎましたが、お暑い盛りでございます。

  ただでさえ二日酔いは辛気くさいものだが、暑いさなかの二日酔いはよけいにこたえる。名著『酒について』を書いたキングズリ・エイミスは、二日酔いを身体的/形而上学的と分類していたが、たしかにヴェルトシュメルツだとか世界没落幻想だとかがこれほど実感できる時もない。

  前日は三宮北野坂の和食『朱zaku』で日本酒をいささか過ごしてしまった。ここは魚が売りの店で、事実甘鯛や真魚鰹や鱧が上塩梅だったからこそ、そこまで呑んだわけだが、横の客がひどい。いわゆる同伴出勤というヤツで、男の鼻の下がのびきっておる。まあ、こちらも時にはご同様だから、それはいいのだが、主人が丹精こめて仕上げたお椀に、口もつけずにくっちゃべっている。作り手の額に癇筋がうねるのを見たような気がした。

  ホステスの方の格もしれたようなもんだぜ、と内心毒づきながら、こちらは甘鯛酒蒸しを堪能。「春鹿鬼斬」という酒がうまかった。すすめ上手な女将にのせられて、というわけではないが少し飲み過ぎたかな?なお、この日一緒に呑んだ同僚は、帰り道、わざわざ近江は野洲のほうまで遠征されたそうな。風流なことである。

  『朱zaku』を出た後は、知り合いの飲み屋に。お祝い事があったのでそこでさんざんほたえ、ご帰館は朝方。

  昼前に起きると例のヴェルトシュメルツのまっただなか。ベッドに起き上がってひとりごちてみる。「あの、二日酔いなんですけど。」

  もちろん誰も答えてくれないので、三宮に買い物に行って気を紛らわせることにする。横になってじっとしていると余計にしんどくなる、という因果な性分なのである。

  神戸BALでフレグランスをもとめ、そごうの地下へ。思わず買ってしまった物。桃。麩饅頭。これをもって見ても苦悩の深さが知られるであろう。

  それにしても、目は充血している、眉間にしわはよっている、さぞかし怖いカオだったろうな。土曜日、そごうの地下で吸血鬼のようにトリプルベリージュースをすすっていたのは私です。

  ピアノとオペラのCDを買って帰宅、地球への配慮もあらばこそ、冷房をキンキンにきかせた部屋でごろごろと本を読む。この日はカルロス・クライバーの伝記。すこぶるミーちゃんハーちゃん的にクライバー贔屓である。だが、この本はあまりいただけない。叙述が散漫なせいもある。たぶん翻訳の質もあまり高くない。いさかかげんなりして八木雄二『天使はなぜ堕落するのか』と『井上ひさし全芝居』第六巻に切り替える。こちらは両方とも面白く、夢中になる。前者はヨーロッパ中世哲学史。あちこちの書評で取り上げられていた。

  と気がつけばもう夜の十時。ふふふ。と着替えて、ワインを飲むべく夜の巷に繰り出していくをとこありけり。(振り出しに戻る)