豊後 湯のたび(一)

  今年の夏の旅は大分に決めた。去年会津若松から山形、新潟、金沢、能登と回り、関西以上の暑さにへなへなとなった記憶がある。どうせ暑いなら西は九州まで行ってしまえ、と六甲アイランド発大分港行きのフェリーを予約した。


  実は生まれてこのかた船旅の経験がない。だから楽しくて仕方がない。夕食のバイキングは生ビール二杯でそうそうに切り上げ、あとはウイスキーの水割りをちびちびやりながら、展望デッキと船室とを何度も往復。瀬戸大橋も来島大橋も阿呆のように口を開けて見上げながら通過。このため、ほとんど一睡もせず。翌日に祟ることになる。

  早朝はまだ船旅の余韻さめやらぬまま、予想に反して朝風の涼しい大分の市街をぶらつき、結局はここしか開いていない吉野家でビールをのみながらバスの時刻を待つ。

  バスは大分水族館「海たまご」行きのものである。旅先に水族館が合ったときは必ず『参詣』することにしている。足を延ばせそうなところに水族館を抱えている街を旅先に選んでいる、ともいえる。

  「海たまご」は波しずかな別府湾の、ちょうど真ん中あたり。すぐ後ろにはニホンザルの餌付けで有名な高崎山がそそり立っている。ほぼ開館と同時に入ったので、夏休みとは言い条、まだまだ客は少なめ。これ幸いと見て回る。

  どこの水族館でも、「ご当地モノ」というべき水槽を設けているが(例えば、秋田の男鹿水族館ならハタハタ)、大分の海と言えば豊後水道、てわけでこれは予測どおり、「関アジ」「関サバ」「城下カレイ」の水槽を発見。アジもサバもひどく剣呑な貌つきなのが可笑しい。やはりもまれて育つと、人も魚もすすどくなるものか…。

  と感心してるうちに混み始める。素人どもは(といって、こちらも別に玄人ではないけれど)、エイやピラルクやラッコを見てきゃあきゃあ騒ぎおるが、こちらはシブミの極致ともいうべき境地で、珊瑚礁水槽の地べたに転がっているナマコの糞の形や、アマモの光合成の様子やを好んで鑑賞しているから、別段ぶつかる訳でもないが、ガキどもがやたらめったらケータイやデジカメで撮影しているのは気になる。

  マナー違反というより、モノの究極ともいえるイキモノを目の当たりにしながら、それをデジタルな「情報」に変換して了れりとする現代の習慣の根強さを、今更ながらしたたか見せつけられたような気がして、いささか鼻白んだのである。

  ところが、いたのだ。アシカショーとかで見物人がそちらに群集(くんじゅ)するなか、屋外の「タッチプール」(という、浅く作って魚やヒトデに触れるようにしている水槽)に、ぽつねんと、年はさあ小学校低学年かしらん、真っ黒に日焼けした、いかにもきかん気な、関西弁でいうところの「ごんた」らしい少年が、ショーの司会で歓声が起こる中、食い入るように、手にしたヒトデを見つめ、あたかも聖遺物を奉戴するかのごとく、そおっと撫でさすっていたのだ。

  おぢさんは、何故かしら胸が熱くなりました。「海たまご」ではダルマオニオコゼとホウボウとサンマとマイワシを買って帰る。


  フィギュアの話である。


  サルは遠慮してそのまま大分駅まで戻り、巷の食堂で昼飯。「りゅうきゅう」や「とり天」、「わた酢」などの郷土料理を肴に、大分ですから、麦焼酎をちびちびやる。これも大分特産のカボスの果汁を二三滴したたらせると、その喉ごしのすずやかなこと、みるみるうちにグラスが空になる。何度も何度もおかわりを頼む。

  最後にだんご汁をいただいて店を出れば、明け方のあの涼風はいま何処、町中がフライパンで煎られているような熱気の中、ふらふら足の不審者は(熱中症に非ず)こればかりは死んでも治らぬ病で、大分市内の古本屋めざしてさまよいはじめるのであった。

  一軒目(狭苦しく、暑く、一見雑然としていながら実はそれなりに分類されており、しかもよれよれの爺さんが店番をしてるという、いかにも古本屋らしい店)で二冊贖い、次の店まで気息奄々たどり着くと無情にも定休日の張り紙。

  これで一気に睡眠不足と飲みすぎ、暑さ負けの疲れが噴出。駅構内の「ミスタードーナツ」(!)に入り、シロップたっぷりの(!!)アイスカフェオレ(!!!)で虫の息をつなぐ。


  ぐったりしている間に由布院行きの特急発車時刻が近づいたので店を出てフォームへ。「ゆふいんの森」号は丁寧に使い込んだ、という感じの、まことに趣のある車内。

  ここで顔が一気に蒼くなる。コインロッカーから荷物を出すのを忘れていたことを思い出したのだ。出発まであと三分。アテンダントのお姉さんに一応声をかけて駆け出す。

  いやあこの十年で一番走った。おばはんを突き飛ばし、高校生を踏み倒し、駅員にガンをとばして、ひたすら走る。走る。寝不足と酔いで締め上げられた心臓が悲鳴をあげているのが分かる。「大分に死す」か。死ンデモ焼酎瓶ヲ口カラハナシマセンデシタ。


  と絶望して階段を見上げれば、アテンダントのお姉さんが「お急ぎください」と手招き。降臨した熾天使のおかげでなんとか列車には乗り込めた。

  という顛末で、由布院までの景色は全く記憶になし。初めての街は必ず歩き回ることにしているが、さすがにこの時はその体力も無く、タクシーで宿に向かう。観光客が多い。由布院は観光地としての街づくりをしておらず、それが良いわけなのだけれど、車一台がようよう通れるような道に観光客が溢れているのだから、タクシーはなかなか進まない。近年は中国人や韓国人が多いのだ、と運転手が教えてくれた。

  いささかぐったりして宿に到着。これがまた、実に怪しからぬ結構な旅館であった。《続く》