豊後 湯のたび(二)

  日本旅館というところは、一人旅の客を嫌忌すること甚だしい。有名な温泉地の旅館となれば尚更である。だからこちらは、「一人旅歓迎」という条件でインターネットを検索して出て来たところ、ぐらいにしか認識していなかった。はっきり言えば期待していなかったのだが、『山灯館』というその旅館は、それを何から何まで裏切ってくれた。

  一つ一つの部屋は、すべて離れ座敷として建てられており、十畳の間に、元は茶室とおぼしき、にじり口に違い棚、床の間付きの次の間が続く。床柱等の木口もよく選んでいる。洗面所の隣には普通の浴室が、そしてあまつさえ竹垣で囲われた庭には露天風呂までしつらえられているのであった。

  大浴場は隣接する『田之倉』『なな川』(館内は自由に行き来できる)のものもあわせれば六つ。ともかくも一風呂、と浴衣に着替えて「源流の湯」に向かう。途中のつくばいには羽黒蜻蛉が止まっていた。

  底に玉砂利を敷きつめた風呂はまことに結構。浴槽のすぐそばに立った榎の枝ぶりを眺めつつ、じっくり浸かって体をほどくことにする。

  風呂から上がって、うたた寝。二時間前には修羅の形相で大分駅を疾駆していたのが嘘のようである。

  夕食は六時半から。例によって献立を写せば、以下の如し。

食前酒 梅酒
先付  加茂茄子・鯨・穴子・冬瓜の味噌煮込み和え
前菜  葉月の肴八種盛り合わせ
吸物  鱧・順才・白瓜・梅干皮・三つ葉
向付  関鰺・鮃・活車海老
蓋物  のっぺ仕立(夏鴨の青梗菜巻・帆立旨煮・石川芋・南京・椎茸・姫小倉)
強肴  特上豊後牛石焼
旬菜  焼いさきとトマトのところてんの和え物(糸南京・蟹身・黄味酢)
椀   粟餅菊花餡掛け
冷し鉢 稲庭うどん
食事  白飯・赤出し
香の物 水物

  前菜の大徳寺麩とずいきの胡麻和えやトマトのところてん仕立てなど、冷酒によく合うしゃれた味付けの料理が多い。関アジも旨い。最後に出たメロンと葡萄は喉に通すのがようようなほど満腹した。一休みしてからもういちど露天風呂へ。この日はさすがに、布団にはいった瞬間に眠りについていた。

  朝の食事前にさらに一風呂。丹念にととのえられた朝飯のあと、さらに部屋付きの露天風呂につかる。頭上にはきらきらと空が澄み渡り、シャワーを浴びればそこに虹がかかる。これで至福を感じなかったら嘘である。桃源郷ということばが頭をよぎる。寒いときならなおさらいいだろうな。

  二月くらいだと、やはり混みますか。仲居さんにたずねると、逆にすいているのだそうだ。「あまりにも寒いし、雪も多いから車で周る客は来ない」とのこと。次回は雪見酒としゃれこみますかね。

  宿は九時にたって、日田へと向かう。車中から眺めていると、源流地帯にあたるからだろうか、やたらと川が多い。やはりこうでないといけない。

  というのは、日田は「水郷」を謳い文句にするほど、水が豊かな町で、世界的にも「日田の天領水」の名声はひびいているのだそうな(フランスのどこやらとメキシコのどこやらと日田の水が『世界三大名水』だとか)。

  小流の下るのをたどって歩き、ついに海を見ずに踵をかえしたのは「葛飾土産」の荷風散人、こちらは川の源を尋めきたってそのまま水郷に投宿する。《続く》