秋桜

  連休てなよろしいもんで、一日目でカラダの疲れをぬぐうことができるもんですから、次の日の朝はなまじ仕事があるよりもはやく目が覚めたりして。


  午前もまだはやいうちに用事が全部済んでしまうと、あとは黄金の朝。家のすぐ北にある禅寺の雲水の托鉢の声(ここらへん、用語が間違っていたらごめんなさい)をBGMにコーヒーを淹れる。

  
  なんにもない町並みで、それが気に入って住んでるのだが、最寄りのバス停前にどうにも似つかわしくない喫茶店があり、以前から気になってはいた。大きな焙煎機が、道に面したウィンドゥに備え付けていたのが見えていたからである。


  コーヒーは、家で呑む分にはマンデリンが好みで、むろん、炒りたてにこしたことはない。散歩がてらにのぞくと、ちょうどマンデリンも扱っていたので早速買ってみたというわけ。


  焙煎してから古くなってはしないかと思いつつすすってみると、嫌な酸味もなく、黄金の朝に一興を添える。歩いて一分ほどのところに、旨いコーヒーを買いに行けるのは贅沢なことだ。


  コーヒーの後は何にもすることなし。というより、何にもすることがない時間を作るために、昨日は俗用に走り回っていた。さあ!と気合いを入れて、積ん読の本に取りかかる。Haiden White,Metahistory、一海知義著作集の続き、ヘンリー・ジェイムズ『アスパンの恋文』(岩波文庫)、くたびれたあと(ただしジェイムズの中篇小説は、まさしく巻措くあたわざる名品)は《定番》のブルース・チャトウィンの『パタゴニア』、ずぅーっと読んでて一向にらちがあかないTheodore Zeldin,France(辻静雄さんの文章で知った。いわばフランス大百科事典。持っている版は二冊本で二千(!)頁。お願いだからだれか翻訳してくれ)等々。


  ・・・・で昼下がり。買い物をかねて散歩に。北側の祥福寺は座禅で寺域は立ち入りを禁じられていたので、祇園神社から有馬街道を西に渡り、平野台展望公園まで歩く。といってもものの十分。入り口に「旧田村邸」との看板はあるが、来歴はわからず。ただ、泉水(今は水は流れていない)の趣から、個人の屋敷であったことはしのばれる。上の展望台からは、新開地以西の山手住宅地の連なりが見渡せる。実は、この公園と、ここから山続きに西に行ったところの烏原貯水池にはほろ苦い思い出があって、「感傷旅行」のつもりはなかったものの、つい秋思深くして・・・とやりたくなる状況ながら、秋天澄み渡り展望台の下にはコスモスが風に揺れて、となればあまりにもおあつらえむき。


  気恥ずかしくなって展望台を下りると、すぐ東には名にし負う有馬街道、ひっきりなしに上り下りするクルマのエンジン音に、めばえかけた湿っぽい感情も吹き飛ばされざるを得ない。公園入り口の橋下をくぐって流れる天王谷川にそって歩き(ここから湊山温泉までのわずかな距離は、水の清冽、やや賞玩にたえる)、古い住宅街の中をぬけて、そのまま湊川の市場に向かう。で、結局この日の晩飯は、


  鰯の酢造り(それにしてもメタボな鰯だ)と塩焼き、鯛の子と椎茸の煮物、間引菜のお浸し(以前いっていた食べ物やで教えてくれたのだが、すり山葵を加えるのがコツ。風味がよくなるし、一日くらいは保つようになる)、オクラと鳥笹身の黄味酢和え、ナメコ納豆汁、ぬか漬け(茄子、胡瓜、人参)。


  ようやく気温が下がってきて晩酌に清酒の割合が増えてきたので、吸物は酒の対手に欠かせない。昼間のほのかな感傷も忘れて、ついつい盃がすすむ。


  本当?いやいや、良くできた(と思える)肴と酒にはそれだけの功徳があるのです。