神あまたみそなはす国

 近江についてみると、雪はほとんど無く皮肉にも神戸より気温が高いくらいだった。

 朝目覚めると窓から入ってくる光がなにか違う。ひょっとしてと窓をあけてみると一面の雪。神戸(家は兵庫区)では今年初めての積雪になる。

 以前書いたことだが、《寒冷》好きである。神戸でこれなら、と思い、よろこびいさんでかねて考えていた湖東への小旅行に出かけることにした。

 全国の一宮を巡拝した批評家の川村二郎さん(故人)は、近江は神社建築の宝庫ということを熱っぽく説いていた。質量ともに、山城や大和でさえ凌駕するという。こちらは学生時代、日吉大社に一度詣でたことがあるばかり。一月の冷え込みが厳しいさなかで、たしか、持参した弁当の飯がかちかちにかたまっていて食べるのに難渋した記憶がある。

 この日は、近江八幡を最終目的地として、そこに到る道筋でいくつかの社にいってみるつもり。まずは新快速に乗って野洲で下車。そこから田んぼの間のみちを通ったりもしながら南に二キロほど下ったところに、川村さんの表現を借りれば「王朝の夢のように典雅な」御上神社がある。参拝者は一人もいない。その神域の小ささと、優美な社殿を見ていると、お雛様の住まいというものがあるならば、きっとこんな感じに違いないという気がしてくる。

 ここからは国道八号をひたすら北にむかって歩き続ける。旧中山道にあたるこの道は、しかし往古のおもかげをみじんもとどめておらず、大型のトラックやらダンプやらがひっきりなしに通りすぎる横の、あるかないかの歩道を歩かされることになるわけで、剣呑この上ない。初めは音楽を聴きながら歩いていたのだが、これだと後ろから車が来ていてもわからないことに気づき、ぞっとしてイヤホンを外す。

 歩道が貧弱なのは原因か結果かわかないが、 道中、徒(かち)より行く者は自分以外に誰も見ない。ひたすら北へ北へと足を運ぶ。寒さ好きだから、それは苦にもならないけれど、これが梅雨時や盛夏の時分だったらと思うと想像にも汗がにじむような気がする。まあ、酔狂なことにかわりはないが。

 と独りごちていると「国宝大笹原神社」の看板が見えてくる。国道から五〇〇メートルほど東にひっこんだところにあるらしい。田圃にまじって、落ち着いて豊かな感じの家並みが続く。なかにひときわ目をひく広大な数寄屋造りの家があって、ふと表札をみると、有名なラーメン屋のチェーンの社長の名前があった。その社長はたしかそれほど年ではなかったように思うが、土地柄といい普請といい、えらく風雅な好みではある。

 さて大笹原神社である。室町時代に建てられた本殿は、檜皮葺の屋根のカーヴがじつに美しく、御上と同じくだれもいない神域で、しばし見惚れた。老杉の梢から落ちてくる雪解けのしずくの音があちこちにする。本殿の脇には「寄倍(よるべ)の池」という、せいぜい二十メートル四方ほどの池がある。特に風情もない池だが案内板には「底なし沼」だ、と書かれている。眼に見える水深はごく浅い、水たまり程度のものに過ぎないものの、試しに持っていた傘を突き立ててみると、なるほどどこまでも沈んでいく。

 人っ子一人いないこの場所で、自分がここにはまったら一巻の終わりというわけだ、と考えてみたり、五月雨のそぼふる夕まぐれ、底知れぬ深みから浮かび上がってくる水妖の姿を空想したりしていると、にわかに慄然としてきたので、足早に退散した。

 三つ目に参拝したのは、国道沿いの「道の駅 竜王」なる今出来の施設の向かいにある鏡神社。ここでも堪能できる簡浄かつ優美な建築の美は、たしかに川村さんのいうとおり、都の典雅と鄙ぶりとを両方そなえる近江ならではの造型に違いない。
 竜王義経ゆかりの地ということで、烏帽子掛けの松など、それらしい旧蹟があちこちにある。またこのあたりには多少街道筋の趣も残っていて、朝から歩きづめの身には少しく慰めとなる。

 そうこうして、近江八幡駅前に到着したのは午後三時すぎ。とりあえず駅前のミスドでコーヒーを呑んで休憩してから、「重要伝統的建造物群保存地区」をぶらつく。総格子や出格子、虫籠窓の江戸からの建築群が美しいのはいうまでもないが、それ以上に各々の建物の宏壮さに驚く。いくつかの家の案内では、現在でも当主が「○○商事」を営んでいる、との説明があった。さすがは名にし負う近江商人の故郷、たんに古い建物があるだけではなく、そこにしたたかな資本の実力がすけてみえる。町が生きているということだろう。現に、一度は埋め立てがきまった八幡が復活したのは、地元の商工会議所の自主活動によるものだと聞く。

 端正な家並みのあいだをぶらぶらしていると、日も傾き、さすがに風が身に沁みるようになってきた。このあたりの料理屋で一杯、と思うものの休日からなのか(それも観光地としてはおかしな話だが)、どこも休みの札が下がっている。駅まで引き返す途中の、道沿いに見つけた寿司屋に入る。鮒寿司やらモロコやら地元特産の蕪などで、地酒の「松の司」を呑んでいると、鮒寿司の高雅な味わいが、昼間見た神社のたたずまいに重なってくるのだった。