シフのベートーヴェン

  アンドラーシュ・シフのリサイタルを聞いた。プログラムはベートーヴェンピアノソナタ3曲(op109ホ長調、110変イ長調、111ハ短調)。

  この3曲にop101イ長調、op106変ロ長調「ハンマークラヴィーア」を加えたベートーヴェンの後期ソナタ群は、数あるピアノ曲の中でも鍾愛する音楽だから、楽しみにしていた。

  これらの曲に関しては、個人的には演奏者にも恵まれていたように思う。実際に演奏会場で聞くことができたピアニストでは、シフをふくめ、ラドゥ・ルプー、クリスティアン・ツィメルマンヴァレリー・アファナシエフがいる。

  かたわらにはアモンティリャードをみたしたシェリーグラス、菜の花をトアロード・デリカテッセンの生ハムで巻いたもの、チーズをのせた春慶塗の盆。・・・と、まさかホールでそのようなことが出来るはずもなく、これはリサイタルをNHKが放送したのを家で録画して聞いたのである。この日は当方の誕生日、まあ三十七にもなって誕生日のめでたかろうわけはないが、シェリーも生ハムも盆もプレゼントとしていただいたもの。昼酒を楽しもうという気持ちになったのも、友人たちの気持ちがやはりうれしかったからに違いない。

  とはいえ、聞いているうちに酒杯のほうが停滞しがちだったのはそれだけシフの演奏を堪能したということだろう。つぶのそろった音のきれいさはいうまでもない。前に前につきすすんでいくというよりも、音の縦の積み重なりを重視した弾き方で、これはやはり当代一のバッハの演奏家だからだろうか。実際に、聞いていて対位法的な書法が音の流れの上に、鮮やかに迫り出してくる、という瞬間が何度もおとずれた。

  演奏後、シェリーをなめながら、しばらくコンサートに行ってないなとぼんやり考えていた。