駅中の楽園〜金沢?〜

  以前呑んだことのあるスナックの感じが良かったので、まずはそちらに向かう。地図を見ても迷う男がこういうときは足に任せると、ぴたりとその店についてしまうのだから不思議なものである。

  当然ながらボトルは流れてしまっているが、すぐに「神戸から来た、よく呑んで、ここから二軒目に××に行った人」と思い出してくれた。客商売あなどるべからず。

  はじめは焼酎のボトルをおろして呑んでいたものの、これでは味気ないので、二本目はブランデーをおろすことにする。ブランデーをしこたま呑んだ翌日の二日酔いが如何様なものであるか、全く考えていないのがすでに佳境に入った証拠である。それにしても莫迦ばなしでよく呑んだ。ママとホステスの皆さん、ありがとう。

  後いくつかをはさんで最後はショットバー。店を出るときには空の低い所が少し白んでいた。

  むろん目覚めてみれば、笑ってしまうほどの二日酔い・・・もとい酔いの続き。笑うしかないのでベッドでひとしきり笑ってから(すさまじい光景であろう)長々とシャワーを浴びた。最後のバーでは(その日が開店初日だったそうな)、どう見てもこの道シロウトというバーテンダーに、ステアリングが乱雑だとかなんとか文句を言っていたことなどを思い出す。まあこちらもシロウトなんだけど。もう少しオトナの飲み方をしなければなるまいと反省して、ここは用心深くコンビニで買っておいたオレンジジュースとスポーツ飲料を飲み干す。

  予定していた湯涌温泉行きは中止。その代わりに駅周辺でのんびりしよう・・・・・。

  とここで美術館なぞには入らず、もう一二軒古本屋を回って見たのも、金沢駅の建物の中にある居酒屋「黒百合」ののれんをくぐったのも、我ながら殊勝なことである。こうでなきゃ『鯨飲馬読記』は書けません。

  この店を選んだのは、金沢出身の泉鏡花という小説家がいて、ぼくはその鏡花が大好きであり(明治以降の小説家で一番好きかもしれない)、その鏡花には『黒百合』と題する作品がある、という至極文学的にして論理的な理由によるものである。すなわち料理にはあまり期待していなかったのだが(「黒百合」さんごめんなさい)、これがうれしい大誤算だった。

  まずは客層がおもしろい。タクシー運転手らしい風体の常連がのれんをくぐったとたんに、厨房から「いつものでいいかね」と声が飛び、その横では母娘の二人連れが茶飯定食(おでんがウリの店なのだ)をつつきつつ、グラスビールを呑んでいる。と思えば、カートを押した、右半身不自由なおじいさんが、いわしの味醂焼きかなにかを頼んで、コップ酒に目を細めている。二日酔いの渇きを紛らわすためにとりあえず生ビールを流し込んでいる当方の横にはこれから遅番の出勤だという看護師が、腹ごしらえの最中で「私ものめるならのみたいわ」とこちらを見て笑いかける。「いや、まあじゃあ、そちらの分もがんばります」などと訳の分からない返事をしたりする、それらの声が大きなコの字型のカウンターのあちらこちらから立ち上り、混じり合う。

  これで陶然とならないほうがおかしい。二日酔いという条件がなければ、至福のあまりに死んでいたのかも知れない。

  萬歳楽の「剣」の肴を、いま覚えている限りで記せば以下の如し。

・おでん(いわしつみれ、蕗、焼き豆腐、こんにゃく、大根、飯蛸)
・芹胡麻和え
・加賀まるいものとろろ
・あいきょ(子持ち鮎を塩漬けにしたあと、あらためて酒粕に漬け込んだもの。滅法うまい)
・ぬた
泥鰌の蒲焼き

  帰りの「サンダーバード」発車十分前まで呑んでいた。「持ち帰り出来ます」とあったあのおでんを買って車中で続きをすればよかった。

  「つば甚」で出た赤貝の酢の物(酢味噌は甘くなく、柚がきいていてこれ自体はすばらしい)で、なぜか出てこなかったヒモの行方とともに、いまだに心に残っている。