ゆるい、春。

  寒い時期は好物である魚が旨く、肴がよければこれまた好物の清酒もすすむ。今年はいつまでも冷える日が続くのをかえって幸いにしこたま呑み続けていたせいか、ここにきて「春」バテ。胃腸の調子がよくない。新年度にむけて、そうそう不養生ばかりもしていられないので、ここしばらくの晩飯は白粥、こちらが生まれてから馴染んでいる言い方では「おかいさん」で済ませている。

  毎年漬けるから梅干しには不自由しない。はじめからその大ぶりを一つ入れてことこと炊いたのは定番として、さすがにそれだけでは飽きてくる。で、いくつか工夫した「変わり粥」を楽しんだ。

  まずはモツ粥。これは中国風。よって米の量はうんと少なめ。日本の感覚でいえば重湯に近い薄さ。よくゆでこぼし、酒と生姜と昆布だしに塩味でゆっくり煮たモツ(ハチノスと赤セン)を細くきざんだのをあらためて米とともに鶏ガラスープでたきあげてゆく。薬味には香菜があればそれにこしたことはないけど、わざわざ買うのももったいないので、これも大好物の芹を、旬が終わるのを愛おしむようにどっさり刻み入れて食べる。あ、食べ際に太白胡麻油もおとします。

  次は吉野粥。「吉野」は日本料理では葛をつかった調理法の呼び名。ふつうに白粥を炊いて、その上に濃くひいた鰹だしに濃口醤油で味を付け、かなりかために葛をひいた餡をたっぷりかける・・・のはたしか京都は『瓢亭』の名物だったはずだが、こちらはもすこし俗っぽく、餡の中には牛蒡のささがき(うんと細かく)と生椎茸と絹さやの千切り(これもうんと細く)を入れ、葛の代わりに簡便な片栗粉を用いる。

  いちばん気に入ったのは勝手に雛粥と名付けた一品。これもやはりふつうに白粥を炊くのだが、お椀によそったあと、蛤を味醂濃口醤油と酒でさっと煮付けた即席時雨煮を二つがとこのっけ、更に蕗の薹をこまかくきざんだものをさっとちらして、しばらくうましてから食べる。こうなると、はじめから粥ではもったいなくて、あらためて酒がほしくなるような、そんなこじゃれた味です。

  さて物の本には粥に十の益ありとか。しばらくこうした隠居食ばかりすすっていると、精神まで仙人めいてくるのか、休みの日にも朝早くからすっきり起床してしまう。

  このところ、日曜日に家にいるときはアニメの「ペンギンズ」を観ている。ストーリーが基本の所オフビートであるにも関わらず(なにせ動物園のペンギンが主人公なのだ)、一種辛辣な味わいもあって面白い。海外の制作だから吹き替えなのだが、吹き替えの台詞が「逸脱」していてこれも笑わせる。往年の本家「逸脱」吹き替えアニメ『ビースト・ウォーズ』に比べれば足下にも及ばないけど。

  朝からこんな風だと昼間も着かえて三宮で買い物!という気分にはどうしてもなれぬ。パジャマのまま、煮込みうどんかなにかでブランチを済ませたことにして、だらりとソファで本を読む。

  こういう時には新刊はよろしくない。何度も何度も読み返して、そのたびにこちらの神経を優しく鎮めてくれてあとに残らないような、そうまさに白粥のような、古なじみの本がいい。

  こういう書物が何冊あるかが、人生の幸福に大きく関わってくるような気がするのですが、いかが。

  この日はカレル・チャペックの『園芸家12カ月』(中公文庫)と久生十蘭『顎十郎捕物帳』(創元推理文庫)。

  うとうとしながら読み終えるともう夕方。FMOSAKAのラジオドラマ『あ、安部礼司』がはじまる時間。これもいまどきバケモノ的にオフビートな、ヘンテコな番組である。

  肩こりも胃痛も雲散霧消してしまうような一日。これが一週間つづけばこちらの存在自体が雲散霧消しかねないな・・・と思いつつ、それがまったく気にならない、そんな一日。