パスタから漢詩へ

 職場がえりにのぞいたスーパーで「生タリアテッレ」なるものを発見。旨そうなので買って帰る。一日目はオリーヴ油に大量のパセリ、パルミジャーノ。二回目は(四食入り)槍烏賊と浅蜊を軽く煮たトマトソースで和える。

 旨い。旨いけど、も一つ「決まった!」という手応えがない。ヒントを求めに東山市場に出かけることにした。

 何度も書いているが、空豆・枝豆・豌豆・絹さや・隠元ひよこ豆・レンズ豆、マメの類は大好物。とある八百屋で剥き豌豆を安売りしているのに目がいった。豌豆はすぐにかたくなる(し、香りが断然ちがう)から、面倒でも自分で莢から出して調理したほうがいい。それは分かっているけど、今回は昼前で空腹を抱えての買い出し。一刻も早くタリアテッレを食べたいという誘惑に負けて手抜きする。

 それにしても一枡百五十円は安いなあ。値札にへたくそな字で「やけくそ」と書いてあるのに笑ってしまった。ついでにぶらぶら見て回り、立派な鯛の頭も買って帰る。

 さて、豌豆は色が落ちない程度に柔らかく塩茹でしたあと、牛乳、チーズと一緒にフードプロセッサーにかけてペーストにします。小海老は食べやすく開いて白ワイン少々とオリーヴ油でマリネ。タリアテッレが茹で上がったら大量のバターで和えて(健康診断で体重が三キロ落ちていたのを知ってからやや強気なのだ)、その上から豌豆のソースをかけ、上にホワイトアスパラ(実に太い!)と小海老をさっと湯したものをのせる。

 昼間から「決まった」と叫んでしこたま白ワインを呑んだことであった。

 夜は鯛のうしお。塩をあてておいた鯛は霜降りにした後、一口大に切り分け、手で綺麗に血合いや鱗を取り除いておく。別に昆布出汁を煮立てておいた中に、静かに鯛をしずめていく。塩味を見て酒を加え、最後に新たに昆布を一片を投じる。これでアクがすぅーっとかたまる(辰巳浜子さんの名著『料理歳時記』に倣う)。吸い口はもちろん木の芽。こちらも決まった。『魔斬初孫』の四合瓶がぺらりと空いてしまう。昨日つくっておいた鰺のきずしも出してきて、うしおの残りとともに、『住吉 銀』を開けてさらに呑む。杯盤狼藉。もう一方の相手は『李賀歌詩編』(原田憲雄訳注)とヴォルテール『哲学的コント集』。

 「鬼才」李賀についてぼくが云々しても何も加えることにはならないが、大好きな一首は引いておきたい(訓読は原田氏による)。
  
河南府試十二月楽辞 四月
暁涼 暮涼 樹 蓋(かさ)の如し
千山 濃緑 雲外に生(あざや)かなり
依微たる香雨 青 氛氳
膩葉 蟠花 曲門を照らす
金塘の閑水 碧漪を揺がす
老景 沈重 驚飛する無し
堕紅 残萼 暗に参差 

 四月のけだるく重たるい空気を切り取ってあますところのない作だと思う。ことに見事なのは四句目と七句目。「蟠花」、つまりわだかまるように群がって咲く花という形容は、漢字という表意文字の特性を活かしきって妖しくまたうつくしい。この横にたとえば王維の「辛夷塢」を置いてみてはどうだろうか。

木末の芙蓉花
山中 紅萼を発す
澗戸 寂として人無し
紛紛として開き且つ落つ

 木蓮の花の、放心したようなあられもない姿態に目をとめた結句。なんだか説教臭く、堅苦しいイメージをもたれがちな漢詩だが、樹木のエロティシズムが圧縮された表現から濃厚に立ちあがる、こんな詩句もあることは忘れないでいたほうがいい。