そして鯨飲馬読。

 《マラソン》三日目。朝から無性にポーの小説が読みたくなり、創元推理文庫の『ポオ小説全集』に淫する。くたびれると、アンドラーシュ・シフのバッハ(ライプツィヒバッハ音楽祭)を聴く。「アルンハイムの地所」を読んで、そういえばあの本にポーについての言及は無かったっけ、と川崎寿彦『庭のイングランド』(名古屋大学出版会)を引っ張り出す。

 川崎先生の本はなぜこうも面白いのだろう。何度となく読み返しているが、そのたびにわくわくする。ついでに『楽園のイングランド』(河出書房新社)も読むことにする。庭園と政治のアナロジー。うん、こうなりゃどこまでも脱線してやる、とタイモン・スクリーチの江戸視覚文化論(庭園についての論も含む)『定信お見通し』(青土社)も出してくる。以前、寛政改革について考えていた時、当然ながら松平定信は避けて通れないのでひとわたり勉強はしたが、この殿様、どうにも好きになれない。しかし一つだけ気になっていること、というか謎が自分の課題としてあって、スクリーチの本はその謎を解くための一つのアプローチを教えてくれている。学者稼業からはさっぱりと足を洗った(という表現は失礼か)つもりでいるけれど、時折こういう技癢の念がかきたてられる。疲れた時にヘルペスが出るようなものか(ますます失礼な)。

 昼食の煮麺を食べながら杉浦日向子『百物語』を読み、身の毛をよだてる。

 午後は佐々木健一『日本的感性』(中公新書)、パトリシア・ハイスミス『11の物語』(ハヤカワミステリ文庫)、アラン『神々』(彌生選書)、『東京夢華録』(平凡社東洋文庫)、折口信夫全集など。安藤礼二さんのめざましい業績を見るにつけ、オレも折口論書きてえんだよなあとまたしても「発熱」する。

 夕飯刻になったが、ぐったりして台所に立つのも懶い。阪急六甲の『彦六すし』に行くことにする。久々にここの“お巻き”(とは太巻きのこと)を食べて元気になる。明日は水槽の大掃除で一汗かくか。