雉も鳴かずば

  久々に東三国の『とりや 圓』で呑む。今日は独り。五時開店と思っていったら、看板には六時からとある。仕方がないのであたりをぶらぶら。街並みは正直なところ、典型的な場末という感じで趣を求めるべくもないが、周囲とは不調和な木の茂みに目がとまってそちらにいってみると大きな石碑に「巌氏」の文字。といってもぴんとくる人は少ないだろうが、これは有名な長柄の人柱伝説の犠牲者である巌氏の鎮魂碑なのである。

  当方が生まれ育った大阪はまことに民話の少ないところで、おそらくこの話などがもっとも有名な部類に属するのではないかと思う。子供心にも、「雉も鳴かずば」という心性がいかにもいじましいものに思えて、あまり興はそそられなかったけれど、こうして殺風景な住宅地の連なりの狭間に、ふとこういう古代の伝説のよすが(長柄の人柱は伝承によれば推古女帝の時代)が出て来るのは面白い。

  ・・・とひとしきり感慨にふけって、さて「圓」でのむ。いつもの焼き鳥のほかに、この日はマッシュルームの肉詰めやトマトのお浸しなどが旨かった。酒は群馬泉の「淡緑」。たしか《原酒》だとか《無濾過》だとか《火入れなし》だとかいう表示がおどっていたような気がする(間違ってたらすいません)。鬼をもひしぐ風情の、まことに爽辣な味わいでありました。

  調子が出たので、神戸にもどって二三軒まわって帰る。いつもにくらべて、ことさらに大酒のんだわけではないのだが、翌日の朝方体を異変が襲う。

  飛び上がるような背中の痛みで目が覚めた、覚まされたのである。一年前に水槽の掃除をしていてぎっくり腰になり、三年前には原因不明の痛みで左腕がうごかなくなったことがあった。それを思い出していやぁーな気分になる。

  歩いている分にはむしろなんともないのだが、ふと体の向きを変えたり腰を下ろしたり上げたりするときにひどい痛みが体を貫く。生徒もブキミだったでしょうな、授業中唐突に「はうっ」「むぅーー」とあえぐ教師は。

  またこの日が、水槽の水替えに当たっていたり(急遽延期)、飲料用の地下水を汲んだタンクが空になって倉庫から出してこないといけなかったり(泣きながら運ぶ)、このところ読んでいたのがアンドレ・ブルトンの『魔術的芸術』だとか、アンドレ・マルローのLes voix du silenceだとかいう、ふだんでも片手では扱えないほどでかい本だったり(あえぎながら頁を繰る)、故井上ひさしが好んで引いていた「転べばばったり糞の上」という諺そのままの状況である。

  折しも加藤ローサ結婚(妊娠)のニュース。ローサちゃんファンにとってはこれも泣きっ面への蜂の一刺しである。