芭蕉追跡〜山中温泉独吟の旅(その三)〜

  加賀温泉から金沢までは普通列車でゆく。そのままサンダーバードに乗って帰神、という手もあるが、せっかくここまで来たのだからやっぱり金沢には寄って(逆方向だけど)行きたい。

  といって、もう何度も来ているから格段ここをみたいということもない。ただ町裏をぶらぶらしているだけで満足なのである。今回は金沢駅から野町のほうまで出て、竪町をとおり、長町裏まで散策。長町では新しい古本屋を見つけて大喜び。野坂昭如の『新宿海溝』初版や圓生落語全集などを買う。

  ここから竪町まで戻って(四時過ぎ)、さきほど歩いているときに目を付けておいたおでん屋『高砂』に入る。「一寸一パイ」とかかれた暖簾に心ひかれたのである。

  開店直後で客は誰もいない。さっそく熱燗をたのむ。コップ酒というのもまた嬉しい。「加能山河」という酒。ぴろぴろというのか、くにゃくにゃというのか、ともかくごく柔らかく炊きあげたスジの串や、鯛わたの塩辛で呑んでいるうちにどんどん客が入ってくる。当方は二組の老夫婦にはさまれる形となった。双方知り合いらしく、さっき行ってきたという百歳の医者の講演会の感想を語り合っている。

  そのうち何となくこちらにも話が向いてくる。みなさん、ここは常連なんですね。「そう。先代のじいさんのころからもう五十年通ってる」。うへえ、これはおみそれしました。たしかにそういう雰囲気の店である。金沢でもいろんな店には行ったが、金沢弁というか加賀言葉というか、この地の訛りを濃厚に感じたのはこの店がいちばんであった(後半は観光客らしいカップルが何組が来ていた。店構えはけっして綺麗でもないから、きっと例のくいもん屋サイトででも前もって調べてきたのだろう。自分の足と嗅覚で店を選ばずに、何の旅か。阿呆らしいことである)。

  宗匠はここで、スジ・塩辛のほか、つみれ・がんも(こちらのこぶしくらいもある)・こんにゃく・蛸・蕗・どて焼き(関西では、牛すじとこんにゃくを白味噌で煮込んだものをいうが、ここは豚肉を焼いてから胡椒のきいた辛味噌をたっぷりかけて出す。酒のアテとして佳品)を召し上がった。

  ぎりぎりまで呑んで駅に駆けつける。結局山中温泉では十句までしか詠めず。なにが芭蕉追跡か。しかしまあ、独吟も久々(十年ぶり?)だったにもかかわらず、めでたく半歌仙巻き上がったのは翁の遺徳のおかげ、と考えておきたい。その半歌仙および自注をお目にかける。

山中獨吟「殘雪の卷」

殘雪を馳走の庭や翁の湯     碧村
 瀬々の逸りに啼く春の鵙
若草の野末に駒を東して
 歩みに連れて頬なぶる風
行者みな辨當つかふ朝月夜
 芒の露を謠ふ一ふし
うるか出て屋號のいはれきかさるゝ
 堅法華ぞと郷に名を立つ
和へ物は辛子きいたが自慢にて
 問はず語りに時雨する菴(いほ)
手すさびの狸草子を世に囃す
 見れば銅壺のうちゆがみたる
寢床にて昨夜の店を辿り上ゲ
 それでも地球は廻つてゐるぞ
その朝判者のまえで朗々と
 右の一首に天氣ありける
斷ち切ツていざ分けいらむ花の峯
 田中の道にかげろふもゆる
 
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殘雪を馳走の庭や翁の湯     碧村
 瀬々の逸りに啼く春の鵙
鶴仙渓で見た雪解水の勢いを、鵙の鋭い声に取り合わせた。

若草の野末に駒を東して
※鵙が啼く野の光景。「駒を東」にはむろん、この旅の含意あり。

歩みに連れて頬なぶる風
※注は不要。

行者みな辨當つかふ朝月夜
※前句を垂直の移動、つまり御山詣りと見た。

芒の露を謠ふ一ふし
※行者の一人が芒の露を見とがめる。

うるか出て屋號のいはれきかさるゝ
※謡をする人物を、宴席の場に置いた。秘蔵のうるかを出してくるくらいだから、宴席はだいぶん酒が回っている。若当主は、酔った大伯父か誰かにからまれている。

堅法華ぞと郷に名を立つ
※屋号に由緒来歴があるこの商家は、村でも少し浮いた存在。

和へ物は辛子きいたが自慢にて
※店の主が「堅法華」ととっては打越ともつれる。法華宗は、よくいえば派手で外向的(御宗旨をほめるのに派手もないもんだが)、悪くいえば攻撃的で俗っぽいというイメージがある。辛子のつんとくるところをそのイメージの「響き」ととっていただきたい。「自慢」にもその余韻をこめている。

問はず語りに時雨する菴(いほ)
※辛子→涙→時雨。洒落風の付けですな。

手すさびの狸草子を世に囃す
※問わず語りの主を尼と見た。初めは太田垣蓮月の俤で「手すさびのきびしょと歌を世に囃す」としたが、あまりに露骨なのでもう少し俗っぽく狸の絵草紙とかえた。

見れば銅壺のうちゆがみたる
※銅壺のなりを狸の姿と見て。狸だから、どこか化かされたように「ゆがみ」ているのである。

寢床にて昨夜の店を辿り上ゲ
※視界がゆがむのは二日酔いのせい。ここはまあ実体験に近い。

それでも地球は廻つてゐるぞ
※めまいとしてもよいが、オレはこれほど天地晦冥なのに、世界は粛々と動いているものよ、という感慨の一言として詠んだ。

その朝判者のまえで朗々と
※前句でガリレオを思い浮かべていたわけではないけど、「地球は回る」が出た以上は出すしかない。「判者」は苦心の語。

右の一首に天氣ありける
※その苦心の語が幸いして、歌合の場面を取り出すことが出来た。独吟であっても意外と作意なく進められるものだ。「天気」は帝の裁定。

斷ち切ツていざ分けいらむ花の峯
※説話に見える平兼盛壬生忠見の争いの故事をちらっと連想したが、ここは俤にあらず。峯に入るのは勝った方が心置きなく、ととっても良いし、負けた方が歌の道をあきらめて、としてもいい。

田中の道にもゆるかげろふ
※前句の人物が歩き去ったあとの光景。


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