隣の荻生惣ヱ門

  今月はかなり貯蓄にまわせる余裕があるぞ、しめしめ・・・と思った月末に限って、欲しい本が見付かってしまい(と書きたい)、結局はぴいぴいに過ごすはめになることが多い。

  ジムの帰りにスーパーをのぞくと、豆腐屋さんが出店していて、オカラが450グラムも入って150円。これは安い!と買って帰った。タイトルはつまり、江戸の儒者荻生徂徠(むろん書物代には始終苦労している)が出仕する前に、隣の豆腐屋にオカラを恵んでもらってしのいでいたという故事にちなんでいるわけ。

  オカラは半分ずつにして、別様の味付けで炒り煮にする。最近は「オカラも一手間で立派なおかず」「オカラでヘルシーにハンバーグ」などというウリをしているが、こちらは元々「豆腐屋の店先にある一切合財」(この言い方は種村季弘大人(合掌)のマネ)が好物なので、昔ながらの炒り煮で充分。たしか中島梓さん(ふたたび合掌)が、インスタントラーメンを一工夫でリッチに☆てな風潮に対して、「その精神が貧しいのだ」と怒っていた文章を読んだ記憶があるが、まったく同感。そこまでして喰わねばならないものなどあるわけがない。キライなものなら妙な口実を作ってまで喰うな!喰わねばならないなら黙って喰え!

  となんだか梓調が伝染した気味合いである。話をおからの味付けに戻す。ひとつはうんと《お総菜》風にどっさり具を入れる。味付けもやや濃い目。もたーとする程度に煮る。つまりあまりぱらぱらに仕上げない。あとはどこの料理本でもレシピサイトでも載っているけれど、一応ならべておけば、人参・干し椎茸・ささがき牛蒡・蓮根・豌豆(豌豆!)・豚肉(ロース)の細切れ・三つ葉。

  もう半分はごく薄味に、具も芹こまごまと黒胡麻のみ。こちらはさらっさらに炒り上げる。出汁をそそぐ前に、お玉一杯ほど取り分けて(つまり味付けの前、サラダ油で煎った状態)、すり鉢で擂ったあと、酒と塩だけで調味して置いておく。こちらはどうするかというと、前日に作って置いた鯖のきずしにまぶして肴とするのです。

  ダイエットが必要な体型では、幸いないけれど、もう少し効率よく肉を付けたいので、最近は高タンパク(プロテインも含む)・低炭水化物(脂肪)食にしている。白飯が三度の飯より好き(?)、甘い物には目がないというような炭水化物好きではないから、別に苦にしてはいないものの、タンパク主体の献立だとどうしても便通が芳しくないのですね。オカラはそういう意味でも、うってつけの食材である。

  対手はマイヤーの『聖者』(伊藤武雄訳、岩波文庫)。酒はローヌの白。なにせ給料前だから、内田百輭先生のようにオカラでシャムパン、というわけにはいかない。さて、『聖者』は前に触れた『ウルフ・ホール』があまりに面白かったものだから、王と対立したあげくに殺されてしまう(『ウルフ』の枢機卿ウルジーは厳密にいえば病死だが、まあイジメ殺されたようなものだ)聖職者、という連想が働いて書棚から抜き出したのである。初読はたしか韓国のホテル。土地の案内が分からず、従って夜遊びも出来ず(いや、少しはしましたけど)、無聊をかこつままに持ってきたこの文庫を開いていた記憶がある。

  マイヤーの簡潔にして余情に富む筆遣いと、たっぷりユーモアを効かせたマンテルの流麗な文章とは対照的だが、それだけに世俗権力と宗教的権力との対立という主題の文学的面白さが際だってくる。土台話は通じないにきまっているのだが、なんとか通じ合わせようと双方が必死になるところに妙な生々しさが浮き上がってくるのだ。

  海彼と引き比べて本邦は、という手口はあまり高級なものではないけれど、信長と比叡山(または一向一揆)、秀吉ないし家康の政権と切支丹、と考えていくと、日本ではこういう小説が書かれるのぞみはまずないなあと嘆息一つ。

  本当に無理だろうか。

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