北区買い出しツアー

 後輩・空男が神戸市外大の非常勤を始めてたいへんに忙しいらしい。そう聞いていたので、しばらく水汲みに車を出してもらうのを遠慮していたのだが、暑くなってほぼ毎日ほうじ茶をやかん一杯わかすようになると、あっという間に水が底をつく。

 こちらだって、マンション水道のまずい水で紅茶を飲んだりダシをとったりするわけにもいかない、という至極自己チューな理屈で空男氏に連絡した。

 以前、その灘区の湧き水の水量がだいぶん減ったので、涸れるのが心配という記事を書いたが、この日行ってみると、水量は元のごとくになっている。ポリタンクの口をあてがうとびしゃびしゃと周りにしぶきをまき散らすほどで、頼もしいこと限りない・・・のだけれど、なぜまた水量が増えたのか。横の谷川ではものすごい音をさせて流れている。

 「今週はよく雨が降ったから、ではないですよね、まさか」と空男。降った雨がすぐ湧いて出るようでも困るのですが。まあ、生水で飲むわけでなし、深く考えないことにする。帰り際に、近くに咲いていた紫陽花を少し切らせていただいた。

 おとなしく帰ってもいいが、せっかく車を出してもらってるのだから、ふだん行けないところに買い出しに行きたい。とわがままをいうと、連れて行ってくれたのが北区にある花山酒店。これは空男の実家近くにある酒店。正直、外から見た印象ではぱっとしない店だが、実はこちらがよく行く灘区『こあみなか』、兵庫区の『てらむら』と、規模は小さいながら同じように日本酒の仕入れに熱心な酒屋で、以前から空男に話を聞いていたのである。

 早速貯蔵庫に入って物色。旨そうな酒はたくさんあるけれど、全部買って帰っても冷蔵庫に収まるはずがない。といってこの季節、出しっぱなしにしておくわけにもいかない。結局は空男推薦の岡山『御前酒』の平成二十一年度醸造純米、つまり古酒を選んだ。旨そう。喉が鳴るわい。続いて同じく北区にある『Remplir』でケーキを買い、拙宅に向かって有馬街道を下っていると、「農産物直販」の看板が目に入る。この時点で、「昼まっから呑もう」と固く決意し、アテに作れそうなものを求めてこの店に入る。いつもこの調子で「あそこに行く」「ここに入る」、と突然叫ぶものだから、運転手はさぞかし迷惑であろう(他人事)。

 店は最近よくある、有機野菜や珍しい種類の野菜を近郊農家が持ち込んで、それを売るというスタイル。だだっ広い店内は閑散としており、店員は二人きり。しかもそのうちの一人(精米機で精米している)は細身にピアスの、いかにも今時のニーチャン。「大丈夫かいな」と思いつつも、糠床に足すための糠が要る。おにいさん、糠200グラム欲しいんだけど。あ、これはお金いいですよ、お持ち帰りください。

 いいやつである。

 オマケだけ貰って帰るわけにもゆかない(ここで関西のオバハンと一線を画しているつもり)ので、トマトと胡瓜、ジャガイモ、ブラウンマッシュルーム、豆腐、卵、それに苗を二株求めた。旨ければまた来る(というか、空男に買い出ししてもらう)つもり。その折には、おにいさん、また糠を分けてくれ。

 というわけで、買い物は存分に楽しんだのだが、うーん、やっぱり北区に住む気にはなれない。これは北区だから、というわけではないので、西神中央であろうと三田ウッディタウン(でしたっけ?)であろうと、宝塚であろうとイケないのである。つまり《山の中の町》が苦手。たぶん生まれ育ったのが泉北ニュータウンだったので、こういう地形、それに新興住宅地特有の白々した景観には食傷してるんだと思う。やはり海辺の町がいい(もっとも大阪を出て神戸に暮らすようになってからのほうが長いのだが、こちらは飽きない。それだけ海の見える景色が肌にあっているのだろう)。

 で、ご帰館。まずは紫陽花を活けて、苗をプランターに移植する。苗の一つはトマト。よくホール・トマトになってる、細長いサン・マルツァーノ種というやつ。今頃トマトの苗を植えるというのも間が抜けた話だが、ま、愛嬌くらいの実が一つでもなってくれたらよろしい。もう一つは山椒。トマトよりも小さいくらいのくせに、なかなか風格ある樹容(は大げさか)で、メダカの目ほどの葉をむしってみると、あまくさわやかな香気がたつ。どこまで大きくなるか分からないが、バルコニーで山椒の若芽を摘むというのもなかなか愉快ではありませんか。

 この日の肴。冷奴(ちゃんと豆の味がした。薬味はさらし葱とたたき梅)、トマトサラダ(玉葱とバジルのみじんをのせて、オリーヴオイルをかける。甘い)、マッシュルームのバター炒め、たこ酢(自分で活け蛸をシメて、湯がいたあと、冷凍しておく。意外と保つ)、茶碗蒸し(具無し。あしらいに三つ葉だけのせる。これが一番の収穫。一さじ口に運ぶと、卵のいいにおいがする)、カサゴのソテー(山椒の若芽をすりつぶして、バターソースに加える)。それに胡瓜の浅漬け。

 『御前酒』は古酒らしく、渋・苦・酸のバランスがとれた重厚な味。いつも思うが、よく枯らしたシェリーと似ている。そのせいかしらないが、肴としてはマッシュルームと茶碗蒸しがいちばん相性がよかったように思う。

 本の対手は、アンガス・フレッチャーの『思考の図像学』、『形而上学レッスン 存在・時間・自由をめぐる哲学ガイド』、それにジョージ・エリオットの『テオフラストス・サッチの印象』。『形而上学レッスン』はじつに明快な入門書。テツガクの本は、アルコールが入って脳の回路がほどよくねぢれてきた時に読むのがもっとも効率的であるように思うけど、これは単に酔っぱらっての錯覚か。エリオットの『テオフラストス・サッチの印象』は、小説ではなく、諷刺的な人性批評のスケッチ集のようなもの(つまり、テオフラストスの『人さまざま』を模してるというわけ)。『ミドル・マーチ』の雰囲気とはだいぶん違うようである。訳者あとがきによれば、非常に評判が悪かった作らしい。

 ふと、大作家の奇作・怪作・失敗(?)作ばかりを集めた叢書があったら面白いなあ、と考えた。バルザックなら『セラフィタ』(オカルトが通俗化する現今の文学シーンではむしろ代表作なのかな)とか、ドストエフスキーなら『ステパンチコヴォ村の住人たち』とか(これは、自分としてはド氏の傑作だと考えている)、我が国でいえば、鴎外では史伝三部作をとらずに『大発見』を、岩野泡鳴なら例の五部作ではなく『ぼんち』をとるようなものである。《B級グルメ》がはやるご時世だから(ちなみにこういう精神構造、わたしゃヤですね)、こういう企画があってもよさそうなものだ。※あとで気がついたのですが、「ぼんち」は宮部みゆき北村薫両氏によるアンソロジー『名短篇、さらにあり』(ちくま文庫)に収められておりました。

 そんなシリーズ誰も買わないか。とひとりごちて、紫陽花をながめ、もう一杯。


  あぢさゐの下葉にすだく蛍をば四ひらの数の添ふかとぞみる  定家


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