「ピサロと印象派」展に行ってきた(兵庫県立美術館)。歩きながらも黴が生えてきそうな雨もよいの空。最寄りの阪神岩屋駅からでもそこそこあるので、歩くのは気ぶっせいと思って、三宮からバスに乗っていく。
車中が臭い。薄汚れたおっさんが仰山乗っている。このままどこに運ばれるか、と不安になりつつ目を閉じ、なるべく息も吸わないようにしてひたすら美術館前まで辛抱する(おっさんたちは五番埠頭とかいうところで一斉に降りていったが、何があるのか)。
印象派、ということで中高年のオバハンが詰めかけているかと心配していたけれど、平日のしかもこの天候が幸いしたと見えて、館内はほどほどの入り。時間をかけて、色んな角度・距離から、絵を眺めることが出来た。
ピサロはたしか明石の市立博物館で見た、雪道を描いた一枚(題名は失念)がとても良かった。しかし、印象派全体には正直あまり興味がない。クレーとかヴェラスケスとかモローのほうが余程好みに合う。
ところが、この展覧はかなり愉しめた。なぜか。
両眼とも0.1程度の視力で、当然ふだんは眼鏡で矯正しており(コンタクトレンズはめんどくさそうなので眼鏡にしている)、この日も初めは眼鏡ごしに見て歩いていたのだが、くたびれてきたので目薬をさそうと眼鏡を外したはずみにひょいと絵をみたところ、ずいぶんと印象が異なる。
見えなくなったのだから、絵はぼーっと霞むかと思うかもしれませんがさにあらず。かえって色彩は鮮やかに浮かび上がり、崖や干し草の山や生け垣の質感がまさに手に取るように見えてきたのである。
錯覚かと思って別の絵を見たがやはり印象は同じ。会場の入り口にまで戻って順々に眼鏡無しで見ていくと、エッチングやデッサンをのぞけば、ことごとく見え方が鮮明になっている。しかも、微妙に角度や距離を変えることで、表情が実にこまやかに変化する。一つだけ例をあげれば、ポスターにも使われていた『エルミタージュの眺め、グラット=コックの丘、ポントワーズ』の、手前の家並みからその奥にある山に向けての大気のヴァルール。
これはどういうことだろうか。家に帰って酒をのみながら考えていたのだが(したがって、あまり信用しないでいただきたいのだが)、印象派の画家たちはみな目が悪かったのではないか。たしかピサロ自身、点描の技法を積極的に取り入れていたころ、「隣り合う色彩同士が溶け合って魔術的効果を生み出す」という趣旨の発言をしていたはずだ(会場のキャプションにあった)。隣接の色が溶け合うというのは、まさしく近眼のぼやけによる結果ではないか。
ともあれこれは自分では大発見。これまで敬遠していた絵描きの展覧会もまた愉しみの一つに加わりそうである。
気に入ったのは上に上げた『エルミタージュの眺め・・・』(まるでモランディのような色使い、そしてモランディと同じく静謐な作品)の他、『オニーの栗の木』、『フランシュ=コンテの谷、オルナン付近』(水の色がすばらしい)など。
しかしやはり近視の人間が長時間裸眼で目を凝らしていると、かなり疲れるものである。三宮にもどって、そごうの中にある鮨屋でビール一本飲むともうくにゃくにゃになってしまう(あこうと海胆がうまかった)。弱くなったものだ。
いやいやさにあらず。そのあと食品売り場を物色し、牛肉のブロックと赤ワインを買って帰る。「印象派の視覚効果と眼科病理との関係」についての、世界を驚倒させるべき大発見は実に、六百グラム(すごいでしょ)の血の滴るようなステーキと、ローヌの赤の助けをもって成し遂げられたのであります(くれぐれも信用なさらぬように)。
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