江戸料理の粋

 江戸由来の東京の食べ物といえば、鮨・天ぷら・うなぎ・蕎麦・おでんといったところか。当方すべて大好きだが、懐石(乃至会席)を本式とする日本料理の中では、(少なくとも本来は)食事として下手な部類に属するわけである。

 だから江戸文化の精粋は「庶民」文化かというと、決してそのはずはないので、いや、職人や小商人の食事さえこれほどの豪奢を誇ったのは羨望するにあまりあるが、江戸はなんといっても行政都市。「公費」での接待が経済の大きな部分を占めていたとなれば、こうした料理ばかりで江戸を代表させるのは偏りもはなはだしい。

 と昔っから江戸モノの解説本の類を読んでは不信(審)を募らせていたのだが、大学生の時、大田南畝の随筆をななめ読みしていたところ、こちらの考えを支持してくれるような記事に出会って、「やっぱり」と思った記憶がある。ずいぶん嬉しかったらしくて、几帳面にそのくだりをノートに書き写していたのである。不明なものもあり、長くなるけど書き写してみます。十月十七日の献立。表記などは自由に改変。

○吸物(白味噌)=鯛切身
○口取=朝日ぼら(塩梅酢で)、二色生姜
○丼1(※これは器のこと。以下同じ)=車海老、鮑塩もみ
○丼2=鰯ぬた(唐辛子味噌で)
○平鉢=土筆、嫁菜、三ツ葉(以上を胡麻芥子、胡桃、醤油で)
○硯蓋=大蒲鉾(あられ塩で)
○大鉢=鯉平作り(煎酒で)、ちょろぎ、黒慈姑
○吸物=鱸昆布、胡椒
○土器=白魚卵とじ
○硯蓋=鱚、白魚焼、梨、鬼殻焼き
○茶碗=くしこ(山葵で)、くわかけ
○向付=鯛(塩梅酢、大根おろしで)、黒くらげ、生姜
○汁=白魚、榎茸、松露、貝割菜
○飯
ここで《中入り》があって、後半。
○平=里芋、丸麩、巻湯葉、芹、柚子(以上薄葛仕立て)
○焼物=鯛
○香の物=古漬、味噌漬大根、新漬、浅漬、一口茄子
○吸物(味噌)=小鯛、独活
○硯蓋=蕗、松風慈姑、小くし、からたけ、鮑
○湯=仙台あられ、香煎
○吸物(赤味噌)=いとより、独活芽
○蓋茶碗(赤味噌)=練り物、赤貝
○吸物(赤味噌)=鮟鱇鰭・皮
○酢肴=みる貝
○坪(清汁)=椎茸、干瓢、半片(薬味いろいろ)
○香の物=浅漬、奈良漬
○吸物(清汁)=たいらぎ貝、柚子
○口取り=品々(と書いてある。南畝もめんどうになったと見える)
○菓子=「しよにんくず、山吹まんそう、八重なりやうかん」
○薄茶


 当時にあっても例外的なご馳走だったろうが、それにしても繊細にして贅美の限りを尽くしている。しかも海が綺麗で野菜は当たり前だがすべて無農薬有機栽培(筒井康隆さんのいう「最高級有機質肥料」である)だった時代の食材である。どれほどの富を積んでも、もうゼッタイにこの献立を再現することが出来ないと思うと、身も世もあらず、といった衝動にとらえられそうになる。

 食材の質はもう取り戻すすべはないとして(でもなんとかならないか、と思う)、せめて料理法だけなりと残しておきたい。日本料理の歴史を主題とした本のどれにも大正時代あたりから関西料理が東京を席捲した結果、江戸の伝統を継ぐ料理が、少なくともそのほとんどが駆逐されてしまった、と書かれている。先にのべたとおり、行政都市での「接待」が盛んだったとすれば、反面形式だけの豪華さを狙った料理も多いはずである。今で言ったら(さんざん悪口をいわれてきた結果、少しはマシになったようだけど)、披露宴の料理とか、オバサンの集団ががバスで乗り付けるような観光地の料亭とか。そういう部分は滅んでしまっても別に惜しくない。でもそれだけではないだろう、と冒頭に記したとおりに疑っていたところ、まさにこちらが望んでいた本に出会った。福田浩・島崎とみ子『江戸料理百選』(初版は2001年社。こちらが読んだのはユニゾン刊)。

 福田浩さんのお名前は故・荻昌弘の随筆で知っていた。大塚「なべ屋」のご主人(今もそうなのかな?)。江戸の料理本の単なる復刻や翻刻、解説本は多く出されているが(それはそれで意義のあること)、この本がそうした類書と違うのは、現役の料理人である福田氏が自分の眼・耳・手・舌で江戸のレシピの取るべきはとり、捨てるべき乃至変えるべきはそうして作り上げたという点である。

 一読するに、興味深い料理が多い。中には鯛の砂糖漬けの如き、卒倒しそうなレシピもあるが、こちらの食欲を刺戟するものが大半である。「合歓豆腐」(豆腐と餅を合わせたもの)、「草のケンチェン・真のケンチェン」なんて、名前からして愉しいではないですか。幸い、さほど特殊・高価・珍奇な材料や設備を要しないようなので、早速家でも再現してみた。

 献立は以下の如し。調理法はかなり簡略化してます。
・ふはふは豆腐=豆腐をよく擂り、ほぐした卵と合わせて火にかけて「ふはふは」とさせる。火加減が大事。離乳食のような外見だが、淡泊のようで滋味に富む。芹を散らしたり、海老の賽の目を入れたり、とここからの展開が見込めそうな。
・揚げ出し大根=文字通り、大根の厚めの拍子木(7センチほど)を胡麻油で揚げる。醤油・胡椒で食べる。上に大根おろしをのせるというのがなんとも洒落てる。
・杉やき鯛=鯛は厚めのそぎ切り。杉板(今回はたまたまあった高級蒲鉾屋の板を使用。ホームセンターで売ってそう)を塩水につけておき、コンロで熱くした板の上に鯛のそぎ身を置いてさっと火を通す。わさびと大根おろしで。
・利休めし=あらかじめ淹れて冷ましておいたほうじ茶で飯を炊き、浅草のりの針切りと茗荷の細打ちをのせ、ごく淡味の出汁をかけけて食べる。

 いずれも閑寂にして瀟洒なもの。こちらにさほど白飯嗜好がないからかもしれないが、料理屋の最後に曲もなく白飯・赤だし・香の物を出すよりは、こういう気の利いた汁かけ飯のほうが趣向もあり、酒後でもさらりと喉を通りやすそうでもあり、いいと思うのだが。

 で、何冊かの江戸料理本に眼を通して思ったのは、漬け物に関する記述が少ない。あるいはあっても作り方に及ぶものはほとんどない。あまりにも当たり前だったからだろうか。一段下と見られていたからだろうか。

 いずれにせよ世界に冠たる「もやしもん」王国・日本の漬け物文化はもっともっと発掘・継承したい。というか、もっともっと色んな漬け物をアテに酒を呑みたい!いちど行った秋田の居酒屋では、大鉢に彩りも味も多種多様の漬け物が一杯に盛られたのを出してきて、狂喜した覚えがある。あれにくらべたら神戸の名だたる料理屋の出す漬け物など、社員食堂なみと言わざるを得ません。買ったようなしば漬けとか不自然に青い茄子漬けなんぞ出すなよなっての。あんな値段とっておいて。

 と思わず怒りに任せて筆が走ってしまった。『江戸料理百選』はこういう騒がしさとは無縁の、ただし日本料理好きにはあれこれ考える材料満載の、しかし内容・造本ともに実に見事な本である。高価だから図書館で借りても読んでいただきたい。




【ランキングに参加しています。下記バナーのクリックをしていただけると嬉しう存じます!】
にほんブログ村 料理ブログへ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村