まぼろしの紅葉

久々の三連休ながら、給料前のこととて旅行にも出ず家でおとなしく過ごした。以下は三日分の日記。

土曜日の朝、いい気分でめざめる。みなさんがどうか知りませんが、当方は夢で色彩をみたことがほとんどない。見てないのかどうかは定かではないけど、少なくとも起きた後まで色彩をおぼえていることはない。

この日は珍しく色彩が強烈、というより、色彩が主題のような夢だった。諏訪山公園くらいから水の科学館を経て、有馬街道に西を切られるまで続く低い山並み、その途中に祥福寺という禅寺があって、寺の南側にあるマンションが拙宅。毎日、仕事の行き帰りに山の緑を振り仰ぐ・・・は大げさか、ともかく緑を眺めることが出来るのは嬉しい。とくに五月の樟若葉の季節は文字通り山全体が萌え立つようで、実にうつくしいのだが、樟や樫のような常緑樹が多いぶん、秋の紅葉はあまり期待できない。

いま書きながらベランダに出て確かめてみたが、家から見えるところでも、櫨(?)かと思える真っ赤なのがふた所にのぞくばかり。

桜の盛りよりは紅葉のほうをより好む質なので(もっとも旨い物が出そろい、酒も旨い季節ということがあるのかもしれない)、常々このことを歎いていたのだが、この日の夢は当地に移って二年半分の鬱積を一挙に解消するほど、鮮やかな紅葉に全山が彩られていた。「紅葉」と記せば赤一色のように聞こえるが、そんなものではなかった。吉田健一が『英国の文学』で懐かしんだ英国の秋と同じほど豪奢なものだった。英国には行ったことがないけれど。


   木が紅葉すると言つても、その色は赤と黄に限られてゐるのではなくて、紫、茶、黄、赤などの色がまだ紅葉してゐない木の緑と混じつて秋の空の下に輝くのであり、それは満目紅葉といふやうな寂びれた印象を伴ふものではない。又、夏の緑も、それに劣らず何か現実とは思へない光沢を帯びてゐて、我々にはかういふ事実に基づいて次のやうに考へることが許される。(以下略)


こんな感じ。夢なのだから「現実とは思へない光沢を帯びてゐ」るのは当然ともいえるが。ともかく輝く山を見ながら友人と散歩してゐる。友人は「いい具合だから酒を呑みませう」と言ふ(吉田健一が移つて来た)。

で、夢の常で次は唐突に我が家のベランダにて二人して酒を呑む場面に切り替わっている。友人は小鍋をつついている。こちらはカンテキのようなものでなにやら焼いている。煙までがなにやら香ばしい。

ここで目が覚めた。いちばんに思ったのは「火事でなくて良かった」ということですが、それはともかくこういう夢で目覚めるのはじつに気分がいい。

加藤楸邨の名吟(「まぼろしの鹿はしぐるゝばかりかな」)になぞらえて一句。「まぼろしの紅葉燃え立つばかりかな」。

朝 から念入りに食事をこしらえて、大方お察しのとおり、缶ビールを空けてしまう。先週、赤ん坊の頭ほどもあるザーサイの塊を衝動買いしてしまったので、それをみじん切りにしたものと豚ミンチを炒めて、炒まったら長葱を繊に切ったものと卵を投入。味付けは鶏ガラスープと塩・胡椒・山椒・酒。浅蜊と春雨のスープ。ポテトサラダ(これは前日の残り。ハムの代わりにツナとパセリを入れる。人参・胡瓜は入れない)。丼が大成功。お茶漬けも汁かけ飯も好きなのだが(「江戸料理の粋」をご覧下さい)、牛丼や親子丼のいわゆるツユダクは嫌い。ぽろぽろした挽肉からじわっとにじみでるあぶらを飯にまぶして食べるほうが断然ウマイ、とひとりごつ。

気分のいいまま、洗い物を済ませると続いて掃除。一人暮らしは休みの日にこそ奮闘しなければなりませぬ。フローリングを洗剤で拭き、水拭きをして、ワックスをかける。全面フローリングなので、これだけをやってのけると、かなり涼しい風が入ってくるのに、もう汗だくである。

シャワーを浴びて読書。
*『Chalo india 2011 : インド即興料理旅行』=東京スパイス番長という、インド料理のコック四人組(インド系も混じる)がインドまで羊の脳みそを使ったカレーを作りに行ったときの紀行文。なんだかやけにテンションが高いのだが、こちらはインド料理をまったく知らないので、香辛料や料理名を出されても「?」「?」 の連続である。ま、「インドに行って人生観がかわった」式の臭みがないだけで充分。四人が全員、あまりの美味さに黙りこんでしまったというインド某ホテルのフィッシュカレーが食べたい。神戸にもインド料理店は数多いのだけどね。
*『世界で一番詳しいウナギの話』=塚本克己さんという、「世界で初めてウナギの卵を発見した」東大の先生の本。ウナギそのものについての本ではなく、ウナギの回遊と産卵に的を絞った、執念のルポルタージュ。「動物はなぜ回遊するか」というところから始まり、産卵場所の特定にいたる思考錯誤(と書きたくなる)が滅法興味深い。「研究はしょせん個人の趣味。社会に役立つものではない」という著者の一言は、ウナギの完全養殖という実用につながるかもしれない大発見をした人だけに、じつに奥行きがある。「江戸のレトリック思想」なるものを研究(というかそのまねごと)している人間が「個人の趣味」といったところで、余りに当たり前すぎるもんな。
*『古事談続古事談』=これは岩波の新体系の一巻。なんとなく拾い読み。そのまま小説に仕立てられそうな話がいくつも見つかる。長年の贔屓である大江匡房澁澤龍彦にいわせると「院政期の魔王のごとき人物」)の影が時折ちらりとさすのが面白い。面白いが、しかしこの本厚すぎ、重たすぎる。コーヒーカップ片手にはとても読めない。

昼食はカルボナーラ。いつ作ったんだか定かではない豚肉の塩漬けを、少しびくびくしながら入れてみたが、木の実のような発酵臭がいいアクセントになった。今日の時点でまだ死んでないから大丈夫なんだと思います。

午後いっぱいかかって数日前から取りついていたヴィンフリート・メニングハウス『吐き気 : ある強烈な感覚の理論と歴史』という強烈な題名の、これも分厚い研究書を読了。カントの『判断力批判』にも吐き気に関する叙述があったとは知らなんだ。カントの文体というか、カントの翻訳の日本語には、それこそ吐き気をおぼえて何度も挑戦しては失敗していたのだが(長谷川宏さんがカントの三批判も訳してくれたらいいのに)、ちょっと読んでみようかな、という気にさせる。カール・ローゼンクランツの『醜の美学』(師匠も読売の書評で褒めていたが、これは面白いです。翻訳もいい)といい、ウンベルト・エーコ『醜の歴史』といい、本書といいこういう翻訳がどんどん出て来るというのは、やはりホッケが『絶望と確信』で描いたような《危機の美学》の時代なのかな。それとも高山宏のいう《ネオ・マニエリスム》なのか。

夕方からはジム。カラダ測定というやつで、両肩の高さの不揃いが指摘された。トレーナーにバランスを戻すためのウェイトトレーニングの仕方をアドバイスしてもらう。

一時間力んだ後はプールで二時間泳ぐ。コーチに「ちょっとだけ(バタフライの)キックが打てるようになりました」と言われる。

それで調子に乗ったわけではないけれど、晩はローヌの赤ワインを一本空ける。肴はポテサラの残りに鶏手羽元の煮込み。各種茸のバター炒め(あわび茸、平茸、エリンギ、大黒しめじ)。柿とチーズのサラダ(両方とも角切りにしたのを和えただけ。仕上げにライチのリキュールをちと垂らす)。

日曜日はやや寝過ごす、といっても九時には起きて洗濯・掃除。録画しておいた『雲の上団五郎一座』を観ながら朝飯。八波むと志が面白い。献立は納豆、ひじき、卵焼き、ちりめんおろし、豆腐の味噌汁といういたってふつうのもの。

日曜日のスイミングのレッスンは十二時からなので、昼は抜き。終わってからスーパー「KOYO」で晩飯の買い物をする。日中はまだ暑いくらいである。

帰宅して下ごしらえまで済ますと、かりんとうをつまみながら読書再開。吐き気だの羊の脳みそだのというえずくろしい本ばかり読んでいたから、少しは典雅な気分にひたりましょうというわけで、高木重俊『岡本花亭』とF.L.LucasのThe Art of Living。前者は幕末の幕吏でもあった漢詩人の評伝。花亭の詩作すべてに目を通してみたわけではないが、この詩人、どうももひとつ詩魂に欠けるような気がする。ま、それでもこのような地味な人にスポットライトを当ててくれるのは、江戸漢詩好きとしては有難い限り。
ルーカスは吉田健一の師匠。この本は何度も読み返している(一度書いたことがあるかもしれない)。いわば列伝体による十八世紀論。文章が流暢にして優雅なのがよい。ヒュームを扱った章の冒頭ちかい一節だけを引いてみます。


Hume,in particular,is a very suitable philosopher for the Age of Reason. For both in theory and in practice he seems, for a philosopher, exceptionally reasonable. He belongs to the line of that Socrates whose chief claim to wisdom was the full knowledge of his own ignorace; not to the line of Plato, who put into the mouth of this same Socrates so many confident conclusions that to some appear highly questinable.


いうまでもなく、ルーカス先生自身もこのsomeの中に入る口だったのだろう。十八世紀流の理性信奉と、それ故の懐疑をこの書き手も共有していたに違いない。

さて晩飯。鶏砂ずりの唐揚げと、たこ酢(茗荷、胡瓜、若布)でまずビールを呑み、その後は鯛の潮。といっても鯛は養殖。きつめの塩をあてて生臭みを抜いてから霜降りにして丹念に掃除する。酒も多めに入れる。吸い口は、一杯めはへぎ柚子。二杯目は木の芽(冷凍してある)。だいぶん冷え込んできたので、酒は黒松剣菱をぬる燗で。だいぶ過ごしてしまいました。

でも翌朝(今日)も早起き。平日休みは気分がいいな。勤めビトたちをベランダから見下ろしながら水槽の掃除にいそしむ。

一汗かいて、シャワーを浴びてから朝飯。昨日の潮の汁をつかった煮麺。生姜の絞り汁をたっぷり入れて。

だらだら長くなってしまいました。ここまでおつきあいくださったみなさま、感謝します。


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