文楽の日

 水曜日 明け方近くまで呑む。

 木曜日 友人と待ち合わせてそごう『やぶそば』の「新蕎麦を囲む会」に行く。昨年の連れが大食漢・湘泉子だったためか、なんだか今年は全然量がいかなかったような気がする。友人と別れてからはLのパーティーに少しだけ顔を出す。さすがにしんどい。

 金曜日 休み。

 だが七時には起きて、九時前に花隈駅で特急に乗る。文楽・『仮名手本忠臣蔵』通し狂言を見に行くのである。開演は十時半。客の入りは上々のよう。橋下徹の一連の発言がかえって宣伝効果になったのか。そこまで市長が見越しているとすればそれこそ近松半二なみの作劇術だが。判官切腹のところがよかった。絶命した後も舞台中央にしばらく置きっぱなしにされる判官の遺体の白無垢がむごたらしい。

 それにしてもこういう残酷な死は、切腹の一連の儀式(ほとんど茶の湯の点前のごとくである)によってその非人間性が強調される一方で、《宥め》《鎮め》という機能も発揮してるんだなあ、と思う。それは昼夜を通して観た印象として、登場人物が衣紋を繕う仕草がやけに目に付いたことともつながってくる。封建制度の実質は(表向きは身分とか世襲とかいうことになるのかもしれないが)こういう儀式性にあるのではないか。『忠臣蔵』のドラマの本筋とは離れた感想だけど。

 ドラマ性を言うなら「花水橋引き上げの段」がやたらと省略されているのは物足りない。昼の部でもあんなけ受けていた鷺坂伴内(と薬師寺)をギャクサツするところが最後にこないと結構がつかないように思う。師直の殺害場面を出さない以上(これは出さないのがいいのである)、道化が道化らしく殺されることで戯曲の論理が一貫する、いいかえればカタルシスはそこに出てくるはずなのだが。

 道化の死、と言ってしまうと、『ハムレット』の墓掘りや『リア王』(いずれも代表的な道化)とは違うやんけ、といわれるかもしれないが、主役級の人物たちが作る世界に《ひび》をいれる、つまりは批評的な視線を投げかけるのが道化の役どころ。『忠臣蔵』ではおそらく唐突という印象で登場する伴内があっさり殺されることで、「忠義の仇討ち」が「集団テロ」でもあるという重層性がくっきりするのである。

 これも誤解のないようにことわっておくならば、作者や当時の観客が討ち入りを批判的に見ていた(というより、この芝居で批判的な見方を示そうとした)と言いたいのではない。「忠義の仇討ち」はそれを是とする世界観の前提ひとつさえ受け入れてしまえば実に明晰な行為だが、少しでもそれがズレてしまえば、単に「無茶苦茶な殺人」になるのであり、そして「大都市で殺人集団が《何だか悪いらしい》(ここが重要)老人の邸宅を夜襲して虐殺する」という状況が、その都市に住む《町の人》にとってオモシロくないわけがないのである。ま、由良之助も本蔵も判官の喧嘩が単なる「短慮」、少なくとも不可解な行為であることは再三口にしているのだが。

 素人ですから、演出がどう、とは分かりませんが(それにしても山科閑居の段はもう少しスピーディーに出来まいか)、いつ来ても休憩時間が短すぎるのでイライラする。この日も着物をきたおばはんが、休憩時間になるや、ものすごい勢いでロビーに飛び出していくのを見た(トイレに駆け込むのであろう)。あれは危険なだけでなく、いちじるしく観劇の興を殺ぐものである。

 食事も同じ。劇場の周囲には何もないんだから(というよりうろつきたくないような雰囲気の街並み)、もう少し食堂なり弁当なりに気を配ったらどうか。

 こーゆーところがいかにも「官製」という感じ。劇中、アドリブで橋本市長をからかう場面の泥臭い演出もNHKのだじゃれ偏愛に通じる。

 ともあれ夜の九時までほぼ半日ぶっ続けで見たあと、ぶらぶら歩いて、湘泉子と待ち合わせている心斎橋のほうへ向かう。この辺り(道頓堀・戎橋・鰻谷付近)を歩くのは、さあ二十年ぶりくらいか。感想は・・・神戸に越してよかった。

 この日の食事は焼き肉。なんと朝まで延々食べ放題呑み放題という店。こんなところに湘泉子を誘うのもお気の毒だが、この時間でメシを食って神戸に帰るのは面倒なので付き合って頂くことにする。

(中略)

 土曜日 うーん、意外と酔わないものだな。しかしだいぶ顔にアブラも浮いたことだし、湘泉子と別れたあと、近くに見つけた銭湯「清水湯」に入る(五時半)。いわゆるスーパー銭湯ではなく、普通のこしらえの風呂屋がこんな繁華街の真ん中に残っているのは驚き。朝からなかなか繁盛しておりますな。場所が場所だけに、柄の悪い若者が多いかと懸念していたが、いや、それはいたのだが、それ以上にどう見ても地元住民という雰囲気のおっさん・じいさん連中が多くて、ピアス組はむしろちょこちょことおとなしい。

 なつかしかったのは、「振る舞い湯」の習慣が残っていたこと。これは、顔見知りの人を見つけると、手桶にお湯を汲んで背中を流してあげる(ざーっとかけるだけだが)風習のこと。湯をやたら消費するのでこちらが通っていた銭湯でも「ご遠慮願う」という張り紙がしてあったはずである。

 むろんこちらに知り合いは無いので、かけることもかけられることもなくゆっくり湯船に浸かっている。一時間ほど経つと、誰もいなくなったので、昨日来の肩こりを癒すべく、悠々と水風呂・気泡風呂とに交互に入る。

 風呂屋を出て、人気のない心斎橋筋を梅田まで歩くことにする。この日は土曜日なので、本町・淀屋橋のオフィス街も森閑としているのが気に入ったのである。

 上方落語になじんでいる人間としては、「備後町」「瓦屋町」と町名を見ながら歩くだけでも愉しい。中尾松泉堂や吉野寿司といったなつかしい看板も目に入る。

 めちゃくちゃ久々に食べたハンバーガーが、やけに旨かった。


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