三重苦

 最近インターネットで情報入力するたびに、自分の年齢がプルダウンのちょうど真ん中くらいにあることを意識させられる。まさしくNel mezzo del cammin di nostra vitaという状態。相変わらず三宮界隈の「暗く恐ろしい森」をさまよってます。

 先週末が当方誕生日。自分一人ならSかHかKのような小料理屋の、気の利いたアテでとぐろを巻くところだけど、今年はふわとろ卵のオムライスと牡蠣・菜の花のチャウダー、それに苺のロールケーキという祝い膳だった。なんだか大学生のデートみたいだが、相方の趣味故是非もなし。食後は向こうはジョニー・デップの『エド・ウッド』を観ながら、こちらは久々に『信長の野望』で上杉・毛利同時攻略に熱中しながらだらだらと過ごす。人の世の旅路の半ばなれば、幸せも中くらいというとこかね、と思っていたところ、BSからモーツァルトピアノ三重奏曲ホ長調(K542)が流れてきたので大喜び。モーさんの厖大な作品のなかでも、偏愛する曲の一つなのである。ことに第一楽章の、《憧れ》というものが形をとったらこうもあろうかという、優雅と諦念に満ちた第二主題がやわらかに響いていくのを聴いていると、躯の芯まで愉悦にひたされる。ぜひ葬儀のときにはこれを流してもらいたいものだ。誕生日に思うことではないかもしれないが(いや、ふさわしいのか)。

 しばらく更新していなかった分、読んだ本もたまっております。面白かったものだけ、駆け足で書き付けておきます。


*『ウィーンとウィーン人』(中央大学人文科学研究所翻訳叢書):題名通りで、要は都市生活のスケッチなのだが、書き手があのシュティフターはじめ十九世紀のウィーン人であるのが興味深い。「半ばはヨーロッパ、半ばは東方」のこういう街、いいな。ヴェネツィアやトレドに惹かれるのも同じ理由からだろう。逆にパリやフィレンツェにはあまり興味がわかない。この叢書、いかにも売れなさそうだが渋く光る選択が多い。最近では名古屋大の出版局とならぶ、大学出版会の贔屓筋であります。

*徳盛誠『海保青陵 江戸の自由を生きた儒者』(朝日新聞出版):江戸後期の、今の用語でいえば経済思想家兼コンサルタントにあたる儒者の伝記。都市生活をいかにも楽しそうに享受している風情がいい。が、こちらの興味は青陵のあらわした『文法披雲』という、作文の指南書にある。江戸期の類書では文体批評に属するものが多い中、青陵のこの著作は、珍しく文章を支える発想の構成から説き起こしていて、ある意味キケロとかクィンティリアヌスにも通じるところがある。こちらの興味は、この文章構成論が文人としての儒者の生活スタイルと・・・いやいやこれは課題としておきましょう。『韓非子』など法家思想とのつながりはもう少し踏み込んで分析してほしかった。

*ロベルト・ボラーニョ『2666』(白水社):これは前項でも書きました。ようやく読了。全篇の影の主人公である謎の作家・アルチンボルディの「謎」は思ってたよりは薄味だったが、彼が兵士として占領したロシアの田舎家で、先住者の残した原稿に読みふける(その中でこの先住者=作家の滑稽かつあわれ深い一生がたどられる)場面や、もう名前は忘れたけれど(外国人の名前はかくも覚えにくい)メキシコの名門一族に生まれた、精力的な下院議員たる女性の独り語りなど、魅力的な脇筋がたくさんある。しかし圧巻は、やはり第四部で語られる凄惨な女性連続強姦・殺人事件だろう。登場人物の一人が事件を評して、「ここには世界の秘密がある」という。結局「秘密」の全貌は姿を現さないのだが、作者ボラーニョ自身の映画好き(日本の『リング』を思わせる映画のストーリー紹介も出てくる)ともあいまって、『ツイン・ピークス』のような後味もある。

*カート・マイケル・フリーズ, クレイグ・クラフト, ゲイリー・ポール・ナバーン『トウガラシの叫び 「食の危機」最前線をゆく』(春秋社):たまたま手に取ったところ、『2666』の舞台となったソノラ州が出て来たので、これも何かの縁と読み始めた。トウガラシという一種を「定点」として、地球規模の気候変動や農業の変質・解体を見渡そうという趣向。なんでコムギやコメでなくてトウガラシ?と思うが、要は著者たちが好きなのね。

*ステーィブン:グリーンブラット『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』(柏書房):トンデモ本的なタイトルだが、内容はエピクロスを賛美するルクレティウスの哲学詩(?)写本の発見という、いたってシブいもの。とはいえ才人・グリーンブラットの叙述は生き生きして退屈させません。

*岸本慳貪『絵解き謎解き江戸のそば猪口』(ブックハウス・エイチディ):蕎麦猪口の模様にこめられた意味を探偵よろしく説き明かす。一例・「蘆に蟹」の構図から、「蟹の鋏では蘆を刈れない」=悪しからず。唸らざるえない解釈もあるし、時にはいかがなものか、といいたくなるものもあるけど、事の真偽は甚だしくは求めず。著者の、よだれを垂らさんばかり(失礼)の口調をこちらがうらやましがればそれでいいのである。当方などは文様の洒落に合わせて、どんな料理を盛り込めばいいか、しきりに考えたので、ずいぶん愉しめた一冊ということになる。一例・先ほどの「悪しからず」猪口に、栗と柿の白和え。答えはいうまでもなく猿蟹合戦。

ロバート・クーヴァー『老ピノッキオ、ヴェネツィアに帰る』(作品社):ようやく人間になり、あまつさえノーベル賞も二度も(!)授賞することになったピノッキオ(あのピノッキオです)が久々に故郷に戻ってみると・・・という趣向の、典型的なポスト・モダン小説。存分に楽しんでページを繰りつつ、こうしたポストモダン物にはしかし、もう食傷してるよなあ、いかにも十九世紀小説、というような、鈍重にして濃厚、単調にして強靱な小説が読みたい!とひしひし感じる。そんなことをしている時間はないと知りつつ『ブッデンブローグ』をネットで取り寄せ、しかし案の定時間がないので机には積んだままになっている。

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