野薔薇は見たり

 士大夫たる者、三日書を読まねば、顔貌悪(にく)むべし。(たしか)黄山谷の厳しい断言を引いて、中国文人のエピキュリアン的生活と我が国、といっても石川淳のことだから、江戸の戯作者のそれとの距離を明晰に測定してみせたのが、『夷齋筆談』冒頭の一篇「面貌について」。

 およそ近代日本語による散文のなかで、絶巓の一つをなすこの無類のエセーの強烈な磁力に初読以来捉えられっぱなしでいるせいか、朝の洗顔の折、鏡をのぞきこむと、どうも「悪むべき」相貌になっている気がする。

 それくらい本を読んでなかった、となれば話の筋道は明快なのだけれど、読書メモを繰ればそういう訳でもない。かといって毎晩大酩酊のうちに日数が積もったというのでもなし、仕事がふだんより忙しい時期であったのは確かとしても、仕事と生活は別と割り切っているので、それが影響したというのでもなし、ともかく何やら自分の頭を花の雲かはたまた杉花粉の雲が取り巻いたように呆としたまま打ち過ごした四月だった。ロバート・バートンが語るmelancholy、とはつまり現代医学の投薬治療の対象ならざるところの「憂鬱」とはこうでもあるか。

 こういう状態では食指のぴくぴくすることも期待できない(実際二週間ほど、朝はトースト一枚、夜は湯豆腐かうどんという感じの我が食卓)、と思いつつスーパーに行く。

 まず手に取ったのは青海苔(「新物大サービス」)のパック。深い緑色が目に沁みるようである。にわかにスイッチが入ったかの如く食材をあれこれと買う。鬱期が済んで躁状態に入ったのだろうか。ともかく、こういう心の変化を半ばは雲が形状を変える様を眺めるように、外から眺めているのはなかなかに愉快なのである。

 で、この日の夕餉は、

◎新青海苔と叩き芋の三杯酢:丹波のつくね芋が理想だけど、この日はなかったので、長芋で代用。おろしたのではどうしようもない芋なので(祖母は確かハナタレ芋と言っていた)、すりこぎで叩いたものと、さっと湯通しして刻んだ青海苔とを和える。青海苔から海の匂いがたちのぼるのを、胸一杯に吸い込むと、俄然腹が減る。ちなみに、青海苔(もちろん生のやつですよ)のいちばん旨い食べ方をご存じでしょうか。上等のベーコンを炒めて出た脂で、青海苔を刻み込んだオムレツを作り、トースト(このときはぜひイギリス風に薄い薄いパンをかりかりに焼いていただきたい)にのっけて頬張るのです。
◎蜆のアヒージョ風:ニンニクで香りをつけた胡麻油で、よく洗った蜆を「揚げる」。口が開きかけたら網杓子ですくって、醤油(普通の濃口)をかけまわし、粉山椒をふる。残った油にはむろん蜆の美味しいエキスが出ているので(油が白く濁る)、後の炒めものに使う。醤油を吸い込んだ蜆のあるかなきかの身を楊子でせせって食べる。この料理、どの本で読んだのだか、桜色または黄色の雲に取り囲まれた頭では判然としない。いずれはこうして記憶のけじめがどんどん霞んでゆくのだろうが、行き着く果てに、いまわの際という状態になったら、どこに根拠があるやもしれない料理について、矢田津世子『茶粥の記』の主人公みたいに、さも子細らしい表情で語って逝きたいものですねえ。「胡桃と蜂蜜だけで育てた豚の脂身で、酒糟に漬けた雲雀の舌を巻いた逸品、たしか長崎で饗応された蜀山人が絶賛してたと思うんだが、最後にあれを食べて死にたいものじゃ」とかなんとか。
◎はまちのかぴたん漬:はまちのあらを食べよい大きさに切って、片栗粉を薄くまぶして揚げたあと、生姜と葱で香りをつけた酢醤油に浸ける。
◎独活と鶏皮の胡麻酢和え:たしか当ブログで一回書いた。
◎海老とクレソンのサラダ・大好物の苺をつぶして、アーモンドオイルと混ぜたものをドレッシングにする。活けの車海老の殻を剥いて、中華風にさっと油通ししておく。
◎家常豆腐(風?):揚げ出し豆腐程度に軽く焦げ目をつけた豆腐と、しめじ・百合根・豚バラを鶏ガラスープで煮込んでからとろみをつけ、火を止めてからニラを投入。

 中華風の料理が多いのは、先日退官された教授の研究室にあった大量の紹興酒およびマオタイ酒を呑む心づもりがあったから。前半は紹興酒をちびりちびりと、後半はシェリーグラスに注いだマオタイを(ストレートです)ぐいぐいやる。

 酒の対手は、前半は中井久夫『私の「本の世界」』(ちくま学芸文庫)。失礼な言い方ながら、存命している日本語の書き手の中で、中井先生はこちらが一番か二番かに尊敬している方である。前半のヴァレリーに関する瀟洒な批評文もさることながら、後半に収められた「今年の三冊」アンケート(みすず書房のPR誌に載ったものの集成)には、久々に知的刺戟と(一冊一冊へのコメントの背後にあるとてつもない読書体験が否応無しに伝わってくる)と官能の愉悦(みずから素晴らしい訳詩を何冊も出されている中井先生は、訳詩集を多く取り上げている。訳文の日本語を簡潔だけど精細に評する、その表現そのものがじつに見事)とを同時に堪能し、購書リストに何点も何点も追加する。

 後半は嶽本野ばらの『米朝快談』。途中なんどか声をあげて笑ったのはあながちマオタイの酔いによるわけでもない。大麻所持による逮捕→拘置所収監やらAKBへの萌えっぷり(のあまりの極貧生活)の自虐ネタも織り込んでいるが、この人の眼は結構信用できそう。立川談志島田紳助の芸風に対するコメントは、まさに我が意を得たり、という感じ。

 雲はいつのまにか、文字通り雲が散るように、消えていた。

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