阿波と泡〜徳島一泊旅行(2)〜

 翌日は鳴門に遊ぶことにしていた。「園」ファンとしてはとくしま動物園もすてがたかったけれど、免許を持たない身としては一日で鳴門・動物園を電車で回るのは強行スケジュールに過ぎる。

 鳴門行きのバスは十時に駅前から出る。この日鳴門のほうで大きな競技大会があったらしく、大勢の大学生がうろちょろしていたのは仕方ないとしても(彼・彼女たちは概して礼儀正しい)、こちらが乗るバス待合場所の正面に「自民党総裁」と大書したワゴンが止めてあり、黒服・襟バッジの見るだにむさき賤の男どもが監視まがいの視線をあちこちに放っているのには閉口した。

 出先で音楽は滅多に聴かないことにしている。この時はやむを得ずイヤフォンを付けてシューマンに没頭しようとしたところに、「交響的練習曲」の和音を圧し割るほどの音量で「あと20分で総裁の演説が始まります」とのアナウンス。

 蠻聲とはこれを言ふ。

 幸いにしてバスの出発時刻が演説開始時間より速かったため、語彙・論理・レトリック、その上発声・イントネーションともに「障害」ありとしか思えない現首相の声を聞かずには済んだ。「国家の再生」と言うほどの大事こそ、なぜ拡声器なしの肉声で語ろうとしないのか、理解に苦しむ。出来合いの言い回し以外を求められて腹が痛くなるのを防ぐ為というのならすこぶる分かりやすいのだが。

 こんな薄汚い話をする場ではなかった(まさかこのブログの読者が誤解するとも思えないけど、念のために注しておけば、政治の話柄自体が必ずしも薄汚いというのではない)。

 鳴門までは一時間強。この日は前日と違って快晴。冷房の効いた車内から眺めていると、鳴門市内は茎の根元を黒ビニールで覆った畑がたいへんに多い。これが鳴門金時の産地をいうことなのでしょう。それから、これは鳴門に限らないけれど、酢橘の木。低さにびっくりした。たしかに酢橘の可憐な風味には、亭々たる樹容は似合わない。

 と考えている間に駅を過ぎて、鳴門公園前。渦潮の観光船にも乗りたかったが、とりあえず橋から見下ろしてみることにする。

 漱石風にいえば、「余は此時既に常態を失つて居る」。なんでまた高所恐怖症の人間が、よりによって吹きさらしの橋梁下の展望台から渦巻く海流を眺めようとしたのか。わが内なるタナトスへの衝動か。

 で、このマゾヒズム乃至死への欲動乃至快楽衝動乃至・・・あとなんでしたっけ?ともかくそのヤヤコシイような、単純なような心理の屈折を逐一報告しても、皆様も御退屈様でしょうし、何より書き手が面白くない。結論だけ申し上げますと、面白かった。

 怖くなかった、というのではない。遊歩道の何カ所にもうけられたガラスの覗き板(つまり四十メートルあまり下の海面まで素通し)の上を、おそるおそる通る瞬間には十何年ぶりかに「膝が笑う」という体験をしたものの、それを圧倒したのは淡路・四国の二つの陸と、瀬戸内・太平洋という二つの海とが作り成した光景の壮大さだった。狭まった陸の狭間を、どうどうと音をたてて一方に流れていく、その潮の流れがいわば一望のもとに収まっている。そこに動くエネルギーの大きさに思いをいたすと、これは恐怖感とはまったく別の意味で気がふっと遠くなる気がする。うつくしい音、うつくしい紋様。この日は大潮ではなかったから、それほど大きな渦は観察できなかったが、歩道のあちこちに写真で展示してあるようなメール・シュトレーム、眩暈の形象化そのものといってもいいような大渦を真上から見た時の戦慄(恍惚)はどれほどか、と想像するだけでも充分に愉しめる。
出来れば、潮目が逆に向くその時刻までずっと見惚れていたかった。

 ちなみに、前記のガラス板の上では、紛う方無きアメリカ訛りの白人二人が、何のためらいもなく、逆立ちをしたり車椅子をウィリーさせたりしてキャアキャア喜んでいたのであった。

 おまーらに神経というものはないんか!

 昼飯は公園内のいかにも観光地内という作りの食堂。失礼ながらまったく期待せずに入ったが、思いの外食べられた。若布の酢の物とハマチの刺身でビールを呑んだ後、「鯛飯と若布うどんの定食」を頼む。全体にぞんざいな感じがしなかったのは、昼時にも関わらず客が当方一組しか無かったせいかもしれない。おばさんは「最近はみなインターネットを見て市内の綺麗な店に行くから、客が減ってしまった」と言う。気温は高く、おまけにビールを呑んでいるとはいえ、絶えず吹き通る潮風が実に気持ちいい。夏でも冷房が要らないくらいなのだそうな。

 昼食後は、徳島行きのバスが来るまでを、鳴門大橋下の千畳敷なる海岸で遊んで過ごした。砂浜でなく、大きめの石がごろごろする浜だったせいか、観光客は他に誰もいない。

 喜んで波打ち際まで行ってみると、嫌いな人は卒倒しそうな密度で、岩にフナムシが蝟集している。こちらは水棲(または水系)生物には無条件に親愛の情を覚える質なので(カエルを除く)、いっこう気色悪いとも思わず、フナムシの大群を追い払いながら潮だまりのちょうどよい格好の岩を探して腰を下ろす。

 岩と岩の間にはカメノテがへばりついている。最近ちょっと気の利いた居酒屋で、塩茹でで出してるアレである。何の気なしに、岩からこそぎとり、根元のハカマに当たる部分をもいで中の身を吸うと、潮の香りだけでなく、海老の刺身のような甘味も感じられてすこぶる美味。

 また潮に浸かった岩肌には、さすがにそれとわかる姿態で若布が生えている。ごく近くで養殖しているから、大方はその胞子が漂着したものであろう、と勝手に推測してこれも少しちぎって口に入れる。もちろん湯通ししていないから緑でなく褐色だが、根気よく噛んでいるといい若布のあのぬめりがにじみ出てくる(ような気がする)。

 実はこの海岸に降りる道の横には、楊桃の木がたくさん植わっていた。これは当方の幼少時分でも馴染みの実なので、見つけた時にはほとんど反射的に暗紫色の果実をもいで口に入れていた。ほのかにほこり臭い味が懐かしい。

 ・・・・と拾い(?)食いの話ばかり書き続けると自分が万年欠食児童のように見えてきて気がさすからやめるが、二時間近くはこの海岸で遊びくらした。蟹もいるし、魚(ハコフグ)もいる。イソギンチャクもいる。浜を歩いているとイカの甲羅やら鳴門鯛(と思いたい)の曝れた背骨やら、面白い形の漂流物がいくらでも見つかって、夢中になって拾っていたけれど、全部持って帰れる訳でも無し、ヒザラガイの綺麗な貝殻一つで辛抱することにした。

 徳島に戻ったあとはお城の博物館などをのんびり見て回ったあと、市内中心部(ひょうたん型の島にすっぽり収まっている)を一周する遊覧船というものを発見したので、確認しておいた出発時刻に桟橋へ行ってみるとここでもまた観光客は当方一人だけ。やわらかい徳島弁を話す船頭さんは気さくに「いーですよー、そろそろ出ましょー」と言ってくれる。午後の陽光はぐったりするほど眩しいが、それでも走るボートに向かって川風は絶えず吹き送られてくる。「贅沢してますな」と独りごちつつ、川岸の風景を楽しむ。ひょうたん島のぐるりはすべて例の青石で組んだ石垣となっている。この石垣の諧調がよい。

 おじさんがエンジンを止めて岸の方に船を静かに寄せていく。示された指の先を見てみると、座布団ほどの大きさのアカエイがひらひらと何尾も優美に泳いでいる。何でも満潮時と干潮時とでは一メートル半以上の水位の差があるのだそうで、それだけ潮が入ってくれば海水魚もたしかに泳いでいて不思議ではない。チヌやスズキ、それにマサバやカタクチイワシまで釣れるのだそうな。鳴門の渦潮とはもちろん規模において比較するべくもないけれど、同じ潮の満ち干による恵みが阿波国一帯にゆきわたっていることは体感できた。

 「クルーズ」の所要時間は十五分。これで二百円(保険料として)なのだから、かなりオトクな観光だと思います。夏はビールを呑みながらだともっとありがたいのですが。

 昼間ずっと潮風になぶられつづけていたせいで、肌がねたねたしている。船を上がったあと、スマホの地図で銭湯を探して入る。「新町温泉」なるその実に古典的な、しかしなぜかハイドンピアノソナタをBGMに流している銭湯では打たせ湯やら水風呂やらを出たり入ったりで体を充分に解きほぐした。風呂のあと、駅前でお土産を買うとちょうど夕飯の時刻。土産は、自分用には鳴門若布や和三盆糖、友人にはラーメンのパックなど。

 昨日は魚尽くしだったから、徳島最後の食事は焼き鳥と決めていた。これも昨日のあいだに町を歩きながらチェックを入れていた店をもう一回りした上で、ここと決めた『徳次郎』に入る。もっと焼き鳥そのものの品揃えを充実させてほしかったし、店の造作はやや混乱気味だったけれど、全体に若い店主が勉強熱心なのは好もしい。

 焼き鳥屋で野菜の出来をほめるのも気が差すが、蓮根の天ぷらが旨かった! 市場の揚げ物屋で売ってるような、見た目は変哲もない薄切りの天ぷらをかじると、実にもちもちほっくりして素晴らしい。酢橘と塩で食べるのがいっとう旨い!

 『徳次郎』ではビール、冷酒、焼酎をそれぞれ義理堅く二杯づつ。七時は回っていたが、暖簾越しの町にはまだ夕暮れの光が残っている。では徳島の最後は県内随一だというバー『鴻の』に向かう。さすがに少し時間が速いと見えて客は(またしても!)当方のみ。

 絨毯も、壁紙の色も、倚子の背もたれもいい古びを見せている。こういう店は期待できるに決まっている。ゆえにあれこれ注文はせず、まだ若そうなバーテンダー(店主は遅めに来るとのこと。結局会えず)に「三杯で構成してください」と注文した。

 一杯目=ジンリッキー(「少し召し上がって、喉が渇いているようにお見受けしたので」)。炭酸のなめらかさがここちいい。
 二杯目=ブラックベルベット
 そして三杯目が「徳島ハイボール」である。とは何々ぞ。レモンの代わりにもちろん酢橘、そして和三盆を入れるのだそうな。酢橘はともかくウイスキーに砂糖とは、と抵抗を覚えたけれど、これが良かったのでした。和三盆だから甘味がすっと抜けていく、その風情が涼やかでいい。夏の飲み物としては最高ですね、と誉めると「某大手メーカーが夏向きのカクテルのアイデアを聞きに来た時に提案したが、そこでは採用されず、でもいつの間にかおおっぴらに使われていた」とのこと。鳥居さんもケチなことするなあ、という感じ。

 ハイボールを飲み終える頃には店は満員。後ろ髪を引かれる思いで店を出ると昼間の炎暑はかなり収まっている。高速バスの最終まであと十五分。商店街の果物やでバス内のおやつ用に楊桃を買っていると、どこかで実演しているらしい阿波踊りの囃子が響いてきた。

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