言語時評2013/読書日録

 職場のすぐ近くに消防署があって、救急車や消防車のサイレンを耳にすることは割合多い。ある日のこと、消防署の側を歩いていると、消防車が例の音をはりあげて出動しかけていた。こちらの前を歩いていた、どう見てもその筋の人間という中年男二人組の一人がぼそっと、「この暑いさなかにわざわざ火事おこさいでもええねん」。

 なんだか落語のような味わい。滅茶苦茶のようでいて、微妙に論理的というところが面白い。ヤクザとオカマはユーモアの感覚が鋭いというが。

 それにしても噴き出していなくてよかった。

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○ポール・ホフマン/金原瑞人訳『神の左手』『悪魔の右手』(講談社)=初編にくらべて『右手』はやや冗長ながら、やっぱりすごい迫力。カトリック教会の組織・教義や世界の地名の思わせぶりな用語の露出が少しく安易に見えるのが気になるなあ。まだ作者執筆中という第三巻(最終巻?)では《世界像》がクリアーになることを期待していいんだろうか。

○サンディ・ネアン『美術品はなぜ盗まれるのか ターナーを取り戻した学芸員の静かな闘い』(白水社)=説明調のタイトルだから、内容は改めて言うまでも無し。保険会社の存在がブキミである。盗む=悪、取り戻す=善という構図で割り切れない、別の論理があるのだ。ミステリのいい材料になると思うのだが。

○山形和美訳『なぜ書くか :エリザベス・ボウエン/グレアム・グリーン/V・S・プリチェットの往復書簡集』(彩流館)=題名に惹かれたのだが、訳文に難渋して投げ出した。ここに載せるのはおかしいけれど、こういう本もありますという告知のみ。

田川建三書物としての新約聖書』(勁草書房)=面白かった。「双魚書房通信」で佐藤研『最後のイエス』取り上げる前に、読んどけばよかった。

出久根達郎『七つの顔の漱石』(晶文社)=出久根さん、漱石がお好きだったんですね(愛読者として恥ずかしいけど、知らなかった)。新しい研究書の紹介もあり。漱石は好みの小説家ではないが、研究書は面白そうなので書名はメモしておく。

○下田淳『ヨーロッパ文明の正体 何が資本主義を駆動させたか』(筑摩選書)=題名の謎に対して「棲み分けの論理」一本で答えきってやろうという、気宇壮大(粗大?)なる一冊。面白く読んだものの、林達夫谷川徹三の新著を批判して「レディ・メイドの結論で史実を割り切る、または同じことだがいくつかの事実から一般則を抽き出す」といったことばが絶えず頭に響いてもいた。

永井均『哲学の密かな闘い』(ぷねうま舎)=論文というよりは少しくだけた文章も収める。日本人哲学者の所説に対する批判が二つ入っている、野矢茂樹の「私的言語論」に対するものが圧巻。哲学者同士の論争(にはなっていないようだが)は必ず批判したほうの論理が正しく見えるのはなぜか(文学研究者同士では必ずしもそうはならない)。

○田中眞澄『本読みの獣道』(みすず書房)=正直つかれた。『毎日』で本書の書評をした富山太佳夫さんの評言にいわく、「その軌跡をたどっているうちに、わたしたち読者には、田中眞澄が巨大な獣のように見えてくる」。体臭の強烈さにたじろぐのと感銘を受けるのとは、だから、本当は一つことであるのだろう。

草森紳一『李賀 垂翅の客』(芸術新聞社)=にも前著同様のしんどさがある。おそらくはある世代特有の熱気によるのだろうが、本書の場合は原田憲雄(李賀研究の泰斗)が解説で指摘するとおり、「若書き」ゆえの文章の粗さにもよるのだろう。特に初めの二・三章はことばづかいのいちいちが騒々しくて閉口させられる。させられるが、しかし大の李賀びいきたる人間としてはどうしても頁を繰る手が止まらない。これも林達夫久野収との対談で言ってたが、中国文学の研究者でレトリックの分析が出来る人がもっと出てほしいと思う。久野収によれば、それが出来たのは(その当時としては)吉川幸次郎の見るところ「高橋和巳ただ一人」だけだったそうな。その高橋は岩波「中国詩人選集」で李商隠の巻を担当していて、その「解説」はきびしい林の称揚にも関わらず、レトリック分析という点ではまったく食い足りないものだった。原田氏の一連の李賀論考はまことにすぐれたもの。その精髄である『李賀歌詩編』(東洋文庫)は推薦に値する本ですが、それにしても若い世代でレトリック論が出来る人を待望する気持ちが消えてくれるというわけではない。

○ルイ=クロード・サン=マルタン『クロコディル 一八世紀パリを襲った鰐の怪物』(国書刊行会)=一八世紀フランスの神秘主義者による哲学的コント(長いけど)。同じ一八世紀だから、というわけはないが、こういうジャンルの本を読んでるといつも洒落本(たとえば『聖遊郭』)や黄表紙(たとえば『文武二道万石通』)が連想される。文明の爛熟と濛々たるニヒリズムとが同居する不思議な味という点で。

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