鎮めの山 怒る島〜さつま旅の記(1)〜

 八月の「鯨飲馬読」は旅行の記事からお届けします。一回書いたような出だしだけど。

 今回の行き先は鹿児島。暑いだろうが、どうせ猛暑なんでしょという気持ちがあった。つまり失礼ながら半分はやけのやんぱち。暑さを満喫し、暑さに額づき、暑さにヤラれる、というもくろみがある。

 行きは神戸空港から。LCCを使うと一万円もかからないんですね。大阪で呑んでタクシーで神戸まで帰るのよりよっぽど安いではないか。なんでやねん。と意味なくぷりぷりしているとあっという間に鹿児島空港着。この日はまだ雨空。空港周囲の山々が残らず霧に巻かれていて、非常に美しい。

 降り立ってみるにさほど暑くなく、肩すかしにあった気分。もっともまだ朝の八時半ではある。

 今回、城山のてっぺんに建っているホテルに宿をとった。温泉に入れて連泊可能ということで選んだ時、あまりロケーションを確認してなかった。空港リムジンバスを降りたところで「城山観光ホテルまで歩いて何分ですか」と訊ねると、おじさんはびっくりしたようにハゲシク首を振って「無理なのでバスに乗って行きな」という意味のことをゆったりした鹿児島弁で答える。

 市内の観光バスなら城山にのぼる、ホテルの正面玄関はそこからすぐ、ということらしい。礼をいってバス停はどこかと探す間もなくそれらしき車が来るので乗ってしまう。といってもまだ九時半なので客は自分一人きり。勢い運転手さんと「どこからですか」「お仕事ですか」という、例によって例の如き会話を交わしながら市内の名所をのんびり回る。

 下関・山口の旅行記事でも書いたが、当方隠れもなき佐幕派。ということは明治藩閥政府の中でも屋台骨にあたる薩摩っぽうに好感情を持っていたはずもないので、だから当然薩摩閥一方の雄である西郷隆盛に対しては冷淡そのもの・・・と思っていたけれど、城山を上る途中で見た西郷隆盛の洞窟(死の直前、五日間を過ごしたという)を見て、ファンにはならないまでも、すこぶる印象は改善された。

 なんというか、小さくて哀れなんですね、洞窟の見た目が。維新の英雄でありかつ最大の士族叛乱の首魁最後の住まいというよりは、田舎の強盗犯が山狩りにあって這いこんでいたというほうが似つかわしい。

 同じ窟でも島根の名高い加賀の潜戸や、恨みをのんで死んだ人々という連想でいうなら高時はじめ北条一族が一斉自害した鎌倉東勝寺の墳墓の禍々しさがない。一つには南国の植生の影響もあるのだろうか。びっしりと蔦葛の類に覆われた岩肌は、死者の亡骸が文字通りに土に還ったことをごく自然に連想させ、その魂もまたゲニウス・ロキとなって郷土を祝福しているように感じられる。西郷がたどった無惨な末路に寄せる地元の人たちの哀悼の深さもむろん、この印象を鮮明にするのを手伝っているだろう。つまりありふれた「郷土の偉人」自慢の白々しさがない。

 しかし、そう言うならば薩摩藩自体の藩閥政府における性格づけも微妙に揺らいでくるような気がする。大久保利通にしても黒田清隆にしても山本権兵衛にしても、山県有朋桂太郎の臆面もない国家主義路線・強権的手法とは異なり、どこか一点間が抜けているような印象がある(これは称賛していうのです)。もう少し精密にいえば、ヴィジョンの明晰と放胆さが表裏一体となった感じ。

 島津重豪という殿様がいた。当時「蘭癖」と言われたほどのヨーロッパ好きで、幕末の賢侯として有名な斉彬も曾祖父にあたる重豪のことを敬慕していたという。集成館事業を初めとする斉彬の数々の開明的政策がじつは薩摩藩の伝統に根ざしたものであるとすれば、明治の薩閥全体を「早すぎた=流産した近代」として捉え直すことも可能なのかもしれない。

 旅先でふと目をとめただけの光景からつむぐにしてはあまりにもこちたい思弁に陥ってしまったような気がする。しかし異境に遊んで愉しむのに、その土地との「和解」があるかどうかはたいへん大事な要素である。バス内でとりとめのない話をしながら、こちらが考えていたのは「これで心置きなく呑めるぞ」ということであった。

 さてホテルに到着すると、全面ガラス張りのフロントの後ろ正面には桜島が全景を見せている・・・はずなのだが、まだこの時も雲は厚くたれこめており、山容の半分も確認できない。とりあえず荷物だけ預けて「下山」する。

 着いたのが月曜とあって、施設の多くは休み。しかしこちらには年中無休(年末年始のぞく)の『鹿児島水族館・いおワールド』てえ強え味方がある。さっそく市電に乗って水族館に向かう。

 さすがに水族館は夏休みだけあって、家族連れが多い(中国人もむやみに多い)。誰も魚を見ずにデジカメかスマホでぱしゃぱしゃやってるのは余所と変わらず。

 どこの土地の水族館でもそうだが、ここでもやはり「錦江湾の魚」(つまりは地魚である)のコーナーが一番面白かった。キビナゴなんて魚、飼育するのは大変なんだろうな。ここの海は太平洋・東シナ海、そして内海と色んな性格を持っている。説明を見てはじめてそのことに気がついた。唐津でも思ったことだが、九州はやはり大陸および南方と地続きならぬ「海続き」でつながっているのだ(それをいえば日本列島はどこだってそうなのだろうけど、こちらは体感したところのみを話している)。

 多少は手を抜いて見物していたつもりでも一周するともう昼過ぎ。昼飯を食うために、バスに乗ってもう一度天文館へ戻る。

 遠方の知らない土地に来たとき、一度は洗礼のように、いかにもという感じの「郷土料理屋」になるべくは昼食時に入っておくと、それ以降はこだわりなく店を選べる。ただし店側がすすめるものは注文しない。

 という行動基準に今回も則ってこってこての「正調さつま料理」の店で食べた。地鶏刺し・キビナゴ刺し・トンコツ・さつま汁・黒豚生ハム・酒ずしという、見事な「さつま料理」の品々。味は予想通りで、格別旨くもまずくもなし。見た目の黒さに反してトンコツがあっさりしていたのと、さつま汁の麦味噌に意外と抵抗がないことに気づいたのが収穫。トンコツは家でやってみよう。黒砂糖を使わないと単なる煮込みになってしまうだろうが、甘さを控えれば赤ワインにも合うかも知れない。

 残念なのは酒ずし。予想はしていたがやっぱりこれは春や秋に食うべきものなんだろう。ただし甘い地酒(ベルモットのよう)をびしゃびしゃに振りかけた後、半日押して熟らすというやり方は古風かつ豪快。筍などの山菜と各種魚介の酢締めを散らせば、おもてなし料理として最高なんではないか。拙宅での酒宴用にこの地酒を買ってみることにした。 

 焼酎が安いとは聞いていたけど、こういうところで呑めば神戸より格段に安いわけではない。その上こちらは酒(清酒)を一等好む質だが、旅先では地元が呑むものをおとなしく呑んでるにこしたことはない。アルコールこそ風土の精華なのでありますから。

 というわけで、酒盗やにがごり(ゴーヤ)、茹で落花生といったつまみで焼酎の水割りを何度かお代わりする。あの、氷は入れないで、べつにお冷やをくださいな。

 腰掛けだけの小さな、そして古びているが小綺麗に手入れされた店で、もちろん古式ゆかしく黒ヂョカで前日から割っておいた水割りを人肌に温めて、昼過ぎからちびちびやっていたら至福というものであろう。次はあちこち回らずにひたすらそれでいこう。

 しかし今回はそれでいかない。再び市電に乗って水族館方面に向かい、桜島フェリーに乗り換える。いったいにバスや市電などの交通手段の発達していることは驚くべきほどで、たとえば天文館の乗り場で待っていると、ほとんどひっきりなしにという感じでバスがやってくる。これが市内を外れるとそうはいかないのだろうが(翌日思い知らされた)、運転免許を持たない旅行者としてはずいぶん助かる。

 波静かな錦江湾を横切って桜島へ。時間は十五分ほど。知り合いにフェリー内のうどんが旨いときいていた。焼酎の酔いざましにざっとかきこむ。かけ四百円では上出来というところか。この時でもまだ空は暗く、雲が一面に淀んでいる。

 展望デッキからお宮が見えていたので、上陸後まずそこへお詣り。主祭神月読命であるというのが珍しい。しかしいずれ桜島の霊を祀ったものだろうと、挨拶代わりのつもり。どこに出かけても同じことをするから、格別殊勝な心がけとも感じてはいなかったけれど、お詣りを終えて石段もなにもない坂道の参道を降りる途中から、にわかに真っ暗な雲が湧いたと思うかまさしくバケツをひっくり返したような雨が降ってきたのには「それはないでしょう」といささか鼻白む思いだった。最近の都市型集中豪雨もひどいが、湾の向かい側にある街も、そして火山全体もすっぽりしぶきに包まれて見えなくなるような降り方はさすがに九州でも最南端という他ない。あまりの雨音に天空から大声で怒鳴りつけられているような気がして、「酒臭いままお詣りしたのが無礼に当たったか」と肩を竦めていた。(つづく)