今年は久々に仲秋の名月と満月とが重なったんだそうで。満月は多少欠けていても、このところの爽やかな大気を通してなら綺麗な月が見られるだろう、月見には酒じゃ酒、という論理でいそいそと買い出しに走った。
といっても昔から月見のお供えは決まり切ったものである。こちらはそれに多少工夫を加えるという形で献立を作ることになる。
○枝豆=最近の枝豆ってなんでああも味気ないのだろう。もっと豆臭い豆を昔は食べていたような気がする。もっとも枝豆を冷やしに冷やして出す所が多いせいで匂いがしないのかもしれない。今日はせっかくだから黒豆の大ぶりを驕り、当方の好みに合わせてゆでたてのほかほかを出す。めんどくさいが、ゆがく前に鋏で莢の両端をちょんと落として塩もみをしておくと豆にうまく塩気がまわる。ま、これくらいの時間を惜しむような人間が暢気に月見の宴でござると構えているはずはないだろうが。
○子芋=これも蒸し上げたばかりのものを衣かつぎにして。塩だけでも充分旨いが、酒の肴にすることを考えて、今回は、前書いた海胆味噌に加え、こんがりあぶった唐墨をおろしたものを味付けとする。
○団子=なんぼなんでもこれはアテになりませんから、白玉(小指の先ほどに小さくする)に海老の叩き身を射込んだものと粒しめじとの吸い物にあつらえる。
○茄子塩もみ=練り辛子をほんのりきかせる。
○蛸のぶつぎり=名月になんで蛸?と思われるかもしれませんが、これは井伏鱒二の流儀。
逸題
今宵は仲秋名月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあわせ
よしの屋で独り酒をのむ
春さん蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿
ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ
われら先づ腰かけに坐りなほし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ
今宵は仲秋名月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあわせ
よしの屋で独り酒をのむ(『井伏鱒二詩集』。講談社文芸文庫に入りました)
ね、熱燗を、それも蛸のぶつ切りで(それも塩で)やりたくなるような名品でしょう。こちらは茗荷・胡瓜の細打ちをどっさり入れて酢の物にしたのだけど。それに初恋を偲んでいたわけでもないけれど。
○甘鯛の若狭焼き=これは開いたヤツを買ってきた。日本酒を塗りながら焼き上げる。むろん鱗がぱりぱりになった皮と頭の部分が一等旨い。
酒は、ここは吟醸の冷酒ではいけないんで、古風に『黒松剣菱』のぬる燗でいく。対手は江戸の漢詩人・館柳湾が編んだアンソロジー『林園月令』。これはてっとりばやくいえば漢文による歳時記。折折の草花を詠んだ名作(もちろん漢詩)も含まれる。しづかに酒を呑む時には、ことに季節の変わり目を感じながら呑む時には絶好のもの。食卓には、萩・すすき。手づから摘んだものではなく、近くの花屋で買ったというのが艶消しだが。
銚子を何度か空にしたところで、肝腎の月を見ていないことに気付いた。卓上を片付け、濃く淹れたコーヒーのカップを手にバルコニーへ。それらしい明るさはあるものの、ご本体はマンションの上階に隠れて見えない。
ちょうど風も涼しく吹いていることではあるし、とカップを持ったまま外に出た。坂を上がって近くの五宮神社の境内に向かう。予想どおり、なに遮るもののない空に、冷え冷えというほどではなく、どことなくぽたぽた滴のたれそうな柔媚さで輝いている。お社にちょっと断りを入れて腰を下ろして月を眺めた。
万障は杯に浮かべてけふの月
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