闘争する神々

 『アメリカン・ゴッズ』上下、面白かったなあ。なに、今頃ニール・ゲイマンにハマってんの、と莫迦にされても仕方がないか。まあ、他ならぬ金原瑞人さんが手がけた翻訳ならば、と手に取ったところ、結局一日で上下巻を読み上げてしまった。アメリカに巣食う(という表現でいいのか)古き神々と、インターネットなどの新しい神々との闘争というとんでもない枠組みをきちんと破綻なく書き抜けたのはすごい力業。それも楽しんだが、ローラという主人公の死んだ妻が登場する場面がブキミなんだけど、なんだかやけにユーモラスでいい。それに主人公初めとする登場人(神)物がやたらに物を食べるところ、そしてそれをきちんと叙述しているところもこちらの好みにあう。

 いったん思い立つとすぐに欲しく(食べたく・行きたく…)なるのが我が性根の度し難いところ。『アメリカン・ゴッズ』に引き続いて『グッド・オーメンズ』も読了してしまった。妙に人間くさい悪魔と天使の凸凹コンビによるスラップスティック仕立て、というのは格別目新しい趣向ではないが、やはり読ませる。

 残りの『アナシンの血脈』その他も一気にAMAZONで注文してしまった・・・。居酒屋で三杯目のあとはもう止まらなくなるのと同じパターンであります。。。

 その他、最近読んだ本。

阿川弘之『鮨その他』
○『やっぱりふしぎなキリスト教』(大澤真幸シンキング「0」)…無神論の扱いが気にくわないが、まあ刺戟をもらったということでよしとしよう。
○リリィ・フランキー/澤口智之『架空の食卓 空想の食卓』…こういう趣旨の料理本のレシピはたいがい不味そうなのだが、不思議に食欲がそそられる。料理人のパワーが行間ににじんでるのか。
○ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』…増補版が出たのをきっかけに再読。資料を悠々と使いこなしているので読みやすい(内容は重厚長大だけど)。
酒井健『魂の思想史 近代の異端者とともに』…竜頭蛇尾のように感じた。
サミュエル・ジョンソン『イギリス詩人伝』…こんな本が日本語で読めるとは!早速気になっていたドライデンとポウプのところを拾い読み。悠然たる口調で足取りくずさず断定を連ねてゆく文体、かっこいいなー。真似したらアホみたいになるだろうけど。ともかくこんな重要だけど地味な企画に参じた英文学者のみなさんにエールを送りたい。
○ウィリアム・J・バウズマ『ルネサンスの秋』…著者はルネサンス史の大家だそうであるが、そして贔屓のロバート・バートンについてかなり詳しい記述があるのだが、もひとつ頭に入らない。翻訳のせいだろうか。これはまた時間をかけて読み直し。
○加藤文元『数学の想像力 正しさの深層に何があるのか』…「数学的正しさ」が歴史的に形成されたものであることを論証。根底には「信じる」という飛躍があるのだそうな。ナルホド。
許光俊『クラシック知性主義』…案の定、『野獣主義』に面白さは数段譲る。
○深沢真二『連句の教室 ことばを付けて遊ぶ』…著者の深沢さんは和光大学の教員。学生と一緒に連句を作りながらその作法をわかりやすく解き示した講義がそのまま本になった。近世文学(俳諧)の専家としてふだんから芭蕉や宗因の句を読み込んでるだけあって、こちらがはっ。とするような指摘も多い。たとえば俳句・和歌は音節で一七音、三一音と数えるが、あれは実は拍節なのだ、という見解とか。一方文語的な言い回しを耳遠いということでかなり神経質に(と思える)排除しているのは、こちらにしては不満である。芭蕉の時代にもどることはむろん出来ないにしても、歌仙という形式を借りて芭蕉や蕪村の心根にやつしてみることが連句の愉しみの、大きな部分を占める、と考えているからである。佐藤春夫いうところの、「古心を得たら古語を語りませう」である。とかいって、自分の付け句がつい古典調に傾きがちなことの言い訳としている。
吉田昌志編『鏡花随筆集』…岩波文庫。たしか出口裕弘さんだったと思うが、「江戸ッ子」を気取ったときの鏡花の行文はほとんど読むに堪えない(鏡花の愛読書だった『膝栗毛』を、こちらは苦手としていることと関係ありや)、前栽の草花や家具調度といった身辺を語る小品には印象的なものがいくつもある。まあ、でも荷風には及ばない(当たり前か)。鏡花は小説を読むに如かず(逆に荷風は小説ではなく随筆を読むに如かず)。というわけで秋の夜長を最近は『龍膽と撫子』の再読で過ごしています。
○ミヒャエル・ニーダーマイヤー『エロスの庭 愛の園の文化史』…庭の原型はパラダイス(語源は「閉ざされた庭」)だからな、庭=快楽のトポスというのは理にかなった切り口である。もっともこれは西洋・イスラム文化圏に限る。中国の、そして日本の庭園はどうなるんでしょうな、スクリーチさん。
ウンベルト・エーコ『歴史が後ずさりするとき 熱い戦争とメディア』…エーコ先生熱いっ!
ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー』…最後にずどんと大物。『ロマン主義のレトリック』がいわば演習とするならこちらは原論。一行読んでは考え込んで、という調子なので、実はまだ読み終えてません、ハイ。
○塚本学『生類をめぐる政治 元禄のフォークロア』…これも文庫化を機に再読。大学生の時は切り口の斬新にやたらと昂奮したものであった。不惑直前での読後感。個性の陰翳に乏しい徳川歴代将軍の中で、綱吉だけがむやみに元気(良くも悪くも)。おそらく、好きな表現ではないが「日本人離れ」していたんだろうな、このヒト。とは逆に言うと、日本の(日本近世の?)権力のありようが綱吉的「悪政」から照らし返すことではっきりしてくるということでもある。そういう元禄論、誰か書いてくれませんかね?あと思うのは、養老先生言うところの「脳化社会」ははっきり元禄を境目に形成されたんだなという実感。江戸の町々に溢れる「お犬様」とはつまり、文化のただ中に噴出した「身体=無意識」そのものではないか。
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