上出来のコンソメのような・・・

 イザベラ・バードの名前はどれくらい知られているだろう。渡辺京二さんの『逝きし世の面影』はよく売れたから、『日本奥地紀行』の明敏な観察者として覚えている人は多そうだ。多和田葉子さんの『球形時間』にも登場していたけど、あれは幽霊(?)だったからポイントも半分ということか。

 こちらにしても例の本以外には朝鮮紀行があるということをなんとなく知っていたぐらい、つまりずっと関心を持っていたわけでもなかったのだが、『チベット人の中で』という新訳が出たので読んでみた(中央公論事業出版発売)。なにせチベットだからねえ。よーやる、という感じ。十九世紀のヨーロッパ人にとっては日本もチベットもそう変わらなかったかもしれないけど。

 薄手の本だから、これでもかこれでもかという叙述ではないにせよ、いやその分いっそう旅程のすさまじさが迫ってくる。ばたばた人が死んでゆく。バード自身も極寒の河で溺れて死にかける。読みながら久生十蘭の『新西遊記』をつい連想してしまった。

 気候地形の凄絶が一方にあるからこそ、時折恵まれる天上的光景(だって地球上でいちばん「天国に近い」土地なんですから)の至福が際立つともいえるわけで、こちらも読んでいてうっとりした。これが崇高の美学というやつなのではあるまいか。あと兇暴きわまりない(すぐにかみつく、振り落とす)バードの馬がいい味を出している。

 しかし風景描写よりも興味深いのは、バードの現地民とその文化に対する評言である。はっきりと「醜い」「不潔」と言い切り、同時に彼らこそ我が友とも書くのである。

 バードだけではない。チベットの奥地で診療所などを開き、現地民から無上の敬意と友情を寄せられている西欧人の肖像もまた読みどころの一つである。ある立場からすれば彼らもまた「帝国主義の先兵」「オリエンタリズムの使徒」ということになるのだろうが、それと綯い交ぜになった誠実と教養を無視することは出来ないはずである。おやなんだか渡辺京二風になってしまった。

 このイギリス人の二枚腰、というかしたたかさというか、これが吉田健一いうところの十九世紀の「豊富」ということだろうか。

 訳文の質は高くない。なんだか受験英語の和訳練習を見ている感じ。


 とこれだけで終われば新刊紹介の双魚書房通信なのですが、バードと同時に読んでいた本(こちらは旧刊)がたまたま同じような感興を引き出したので、枠を外れてその本について少しふれておきます。

 色川武大『なつかしい芸人たち』(新潮社)。芸人といっても、相撲取りや野球選手までを含む。

 どこがバードの本に似ているかというと、本が出来るまでにかけられた元手の大きさである。別に色川武大が浅草の劇場で命を落としかけたというのではないが、どの章、いやどの一文・一語も切れば鮮血淋漓とほとばしるくらいに表現が生きている。

 もちろんこちらは取り上げた芸人の一人として実見したことはない。それでもビリビリ伝わるのであるから、これは凄い名著、というよりじつにおそろしい本である。こんなコワイ本(著者)を評するには、当方あまりに役者の格が落ちる。関心ある向きはどうぞ、種村季弘書物漫遊記』所収の『怪しい来客簿』書評をご一読ください。評者の側にこれくらいの気迫(すごみ)がないと立ち向かえない、という好取組となっています。

 上すべりした文章で、軽くはたくだけでヘナヘナとつぶれてしまうような本、反対にいくら元手をかけても安居酒屋のごった煮的寄せ鍋〆雑炊風の濁ってえげつない後味の本、それらはいくらもありましょうし、何冊かをあげてワルクチいうのもまた一つの愉しみではありますが、そしてそれを期待している方もいらっしゃいましょうが、それはまたの機会に。


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