大愚に似たり

 学者馬鹿ということばはもちろん悪口だけれど、「人非人っ」とか「悪魔っ」とか「フセインっ(ブッシュっ、かな?)」とかいったののしりと違ってほのかに愛情が込められている。動物園で珍獣を見るような気分なんでしょうなあ。

 丸谷才一がなんども紹介しているエピソードに、賀茂真淵が宮廷で『源氏物語』を講義した時、お女中、ではなくて女官か、がくすくす笑ったというのがある。いうまでもなく、国学者が男女の機微に通じていないことをからかった話。『源氏』みたいな一大色恋文学を語るごちごちの朴念仁、という構図は出来すぎくらいにぴったりと型にはまっている。

 さて、ブログ子は晩酌しながらもっぱら肩の凝らない本を読むのが習いとなっている、これは何度も書いた。正確には頁を繰りながらがんがん呑んで家でも酔っ払ってしまうというところだが、まあそれはどうでもよろしい。ともかく「晩酌の本」は、なにせ(ほぼ)毎日のことだけに、品がすぐ払底しまうので困る。

 むろん本はすべからく未読のものを読まなければならないものであるどころか、何度読み返しても興趣あふれる一冊をどれくらいもっているかが、ことに中年を過ぎてからの読書好きの幸福に大きく関わってくるのではないかとさえ考えている。鯨馬なら『顎十郎捕物帳』とかオーブリ『名士小伝』とか、杉浦日向子『百物語』とか、ロレンス・ダレルギリシャ紀行文とか(弟のジェラルドのほうでもいいな)。

 それはそれとして、やはり新しい本を広げるときの喜びは格別なもので、だから川上行蔵『つれづれ日本食物史』第一巻もそういう気持ちで読み始めたのである。扱う主題が日本の食材で、それを歴史的に解明していこうというのだから、こちらにとっってはまさしく下地は好きなり、というやつ。寒夜独酌の下物としては最適なのだ。

 ・・・のはずだった。厳密にいえば、当初の期待とは異なる意味で最適ではあったのだけれど。これもまた丸谷才一のエッセイで見た文章で、そして当ブログ「食べ物を語る難しさについて」で既に引いている。自己引用はみっともないけれど、めんどくさいのでその下りを次に引く。


  もちろんむつかしさにも様々な水準があり、種類がある。たとえば碩学・川上行蔵(日本食物史)は、文献に出ていないから江戸時代以前の日本人はさんまを食べたいたとは断言できない、と書いた。そのくだりを、たしか丸谷才一さんのエッセーで、「学問とは厳しいものだ」とからかい半分のコメントを付けて引いていた記憶がある。


 こう書いたときは、小説家というのは意地わるな連中だなあ、と面白がっていただけなのだが、自分で川上行蔵の本を読んでゆくりなくも思い出したのが、この丸谷エッセーだったのである。

 ともかく、ゴリゴリの実証主義なんてレベルではなく、ゴリゴリを油で揚げて甘辛く煮込んだのを発酵させて蒸しにかけたような徹底ぶりである。方法論として、文献以外に信ずるに足る史料は無いと腹をくくるのは(そうではないと思うが)、一つの見識だろうけれど、この方ひょっとして、

  ① 昔の日本人は、重要だと考えた対象は(今の場合、食材ということ)すべて文献に記すものであり、
② なおかつ残った文献はすべて価値がある

とお考えになっているのではないか。だいたい論理的に考えて、ある年代の文献にある食材の名前が載っているという事実から確実にいえるのは、《少なくとも》その時代にはその食材が食材として認識されていた、いやもっと厳密にいうならば「少なくともその時代にそう認識している人間が一人は存在していた」ということしか断定出来ないはずである。

 リゴリズムのそしりは甘んじて受けるつもりだが、いやしくも歴史的研究にたずさわる者なら、それくらいの覚悟(というか諦念)があってしかるべきではないか。

 とこう書いていくと、なんだか川上さんの本に激怒しているみたいだけど、実はさにあらず。先に最適と評したのは、そのあまりの厳格さ、というか文献、それも料理に関連する文献だけで世界を組み立てていく荒唐無稽さ(とあえて言う)は、読んでてものすごく面白いのである。たぶん実生活でも謹直きわまりない方なんだろうと想像すると、その朴念仁ぶりがいとおしくさえ思えてくる。ひょっとしたらこんな気分で、宮廷の女たちも真淵の講義を聴いていたのかもしれない。

 また愉快なのは、文献実証を篤く信奉する一方、ご自身の幼少時代の風景をしきりに思い出しては、そこから「○○という蔬菜は日本人にとって親しいものだったのであろう」と結論づけてしまう性向があるところ(この飛躍!)。

 いまふと思いついた。かたや石部金吉鉄兜的実証主義信仰、かたや「生活の実感」尊重、これはひょっとすると日本自然主義の掉尾をかざるにふさわしい怪物的著作ではないのか。

 もっと具体的な食材の扱いをいろいろ挙げてじゅうぶんにあげつらいたいのは山々ながら、まだ何せ一巻しか読んでないし(三巻まで出ている)、あまりに面白いので、読者(食べ物と本が好物の方)それぞれにツッコミどころをさがして頂きたく、あえて筆を省いた次第。

 もちろんこれは食物史に限った話ではない。


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