狐、馬にのる

 「日本の行事食年間」、第二弾は初午(二月初めの午の日)。

 その前に節分があるのでは、と言われそうだが、炒り豆(かじるだけ)に塩鰯(焼くだけ)では料理にならない。巻き寿司、あれなら干瓢と高野豆腐と干し椎茸を炊いて、卵と穴子を焼いて、三つ葉をゆがいて、ああその前に寿司飯を作って、とたしかに腕のふるいがいはあるけれど、

 ①巻き寿司の「丸かぶり」(巻き寿司を美味しく食べる食べ方とは思えない)は(少なくとも江戸期以来の)伝統を持たない。
 ②店の巻き寿司のほうがウマイ。

という理由により却下。で、かわりにおなじみ阪急六甲『彦六鮓』に出かけた。しかし・・・呑んでるうちに毎年「お巻き」を食べるの忘れてしまうのである。この日も山かけやらナマコやらで熱燗をちびちび、いやぐいぐい呑んでおりますと、横のお客さん(十年来の知り合い)が見かねて、ご自分の巻き寿司を切ってすすめてくださる。厚さは、ふつうに切った巻き寿司の、そう二つから三つ分くらい。一口で食べるならこれが限界ですな、と御礼をいっていただく。言っておきますが、ここの巻き寿司は逸品です。マズくて食べないのではない。

 その後は三宮に出て「いたぎ家」とあと二軒回ったよう。というのはやや記憶がおぼろ。

 で翌日の四日が来てようやく本題(?)に入る。初午の起源や本来的性格はいろんな文献に当たってももひとつはっきりしない。『今昔物語』にも記事があるので相当に古いものであることは確かなのだが。まあしかしそれをいうなら、稲荷信仰自体が正体の分からないものである。ここはお狐様に鼻面とって引き回されたるつもりで料理にとりかかりましょう。

 といっても、いかにも昔の行事食らしく、さほど豪勢なものではない。献立は以下の如し。

○小豆飯・・・赤飯ではないから糯米は使わない。
○若菜の辛子和え・・・大好物の芹を用いた。江戸では当然名物の小松菜で作っていたのだろう。
○油揚げ(上方の言い方ではふつうは「薄揚げ」または「お揚げ」)と芋の煮染め・・・芋は海老芋。昔風の感じを出すために味醂濃口醤油でやや黒めに煮上げる。これはこれで旨かったけど、海老芋でなく子芋を使った方がより鄙びた感じが出ていたように思う。

 今回の品揃えは大阪・船場の旧家である水落家の「行事帳」に記載のものを参考にさせてもらいました。

 初午は子どもが主体の行事であったらしく、全体に酒より飯(とそのおかず)という構成になっている。こういうのもたまには目先が変わってよろしい。もちろん飯のオカズにて酒を呑む。

 今週は色々と《当たり》の本があった。それも学者の書いた(ただし一般向けの)本に面白く読めたものが多い。前々回では某大家の著述を取り上げてさんざんにふざけたけど、やっぱり学問のある人はエライ、という感想。あ、蛇足とは思いますが、物を書く際に学問は十分条件ではないし、必要条件でもありません。

○工藤庸子『いま読むペロー』(羽鳥書店)・・・工藤先生(と勝手にお呼びする)がペロー童話を新たに訳した上で(詳細な注も付く)、巻末に一話ごとの解説を付したという造りの本。「赤頭巾」や「サンドリヨン」(つまりシンデレラ)は誰でも知っているが、ペローのヴァージョンで馴染んでいる読者は少ないのではないか。たとえば「サンドリヨン」の結末(意地悪な姉たちを大貴族と結婚させてやってめでたしめでたし)一つをとっても、当今のすれっからし読者がいかにも好みそうな、いわゆる「民話らしい」残酷でエロティックでむくつけき結構に仕立てられてはいない(だからおそらく民族の叙事詩を志向して編まれたグリム版のほうが賞賛されやすい)。こちらにしても「ル・グラン・シエクル」の宮廷人たるペローにはどことなく気疎いものを感じていたのだが、この本の「解説」を読んで、典雅で優美なペロー風の文体の魅力が分かってきた気がする。といっても訳者が性急な解釈や価値付けをしてるわけではない。どころか、「赤頭巾」に経血の象徴を見て取り、それを普遍的なモチーフにまで拡大してしまう(エーリッヒ・フロム)精神分析的解釈にいらだつ民話研究者やロバート・ダーントン(『猫の大虐殺』)の立場に寄り添う形で(赤い頭巾は民話の中には出て来ない小道具なのである)本文を読み直す姿勢に工藤先生ご自身の立場もまた明瞭にあらわれている。何より興味深かったのは、ペローの文体に十七世紀黄金時代のサロンの「声」のあり方を発見して、そこにプルーストが大ブルジョワや貴族を恐るべきグロテスクさ(と綯い交ぜの優雅さ)でもって描き出した時のモデルを推定したところ(「訳者あとがき」)。もっともこの推論そのものは、工藤先生の本筋の研究をまとめた『近代ヨーロッパ宗教文化論』のほうに出ているのだが、瀟洒な一冊からもこれだけの射程が生み出せるのだと感歎しきり。当ブログでも一度紹介しましたが、『近代ヨーロッパ宗教文化論』、十九世紀小説好きは必読ともいえる好著です。

○山中弘・藤原聖子編『世界は宗教とこうしてつきあっている』(弘文堂)・・・編者の藤原聖子さんは『教科書の中の宗教』の著者。そちらの本でも学者、というか研究者にふさわしく穏当に分析をすすめながら、ダジャレめいた言い方をすれば微温湯的煮え切らなさとは無縁の具体的で着実な提言をしていることに好感をもちながら読んだ覚えがある。その美質は今度の本にも明らか。ともすれば論者の個人的体験と一般的性質とを混同しがちな本質論は注意深く避けながら、現実の社会生活でいかに宗教と接していくかが、クイズ仕立てで紹介されていく。副題は「社会人の宗教リテラシー入門」。たとえば職場ではブラウスをスカートの中に入れるように指導するのは宗教ハラスメントに当たるのか?豚肉を不浄とするイスラームの同僚と、職場の冷蔵庫をどう共用するか?など非常に具体的な視点での問題設定で分かり易い(ちなみにブログ子の正答率は65%。これは高いのか、低いのか?)。なんと面倒な、と感じる人は(特に現代の日本人には)少なくないはずなのである。正直いうと、この本を好感をもって紹介している本人からしてその感はぬぐえない。しかし思う。この面倒さに耐えつつ、とはつまり起こるべき文化摩擦を、《本質》や《文明論》の抽象に安閑とすることなく、すべてこれ実際的技術に還元して使いこなしつつ生きていくのが、すなわち最近政治学で注目されている「共和政治」のあり方ではないかと。そういえば工藤先生の『近代ヨーロッパ宗教文化論』の副題にも「政教分離」とあった(フランスの政教分離、つまりライシテは多文化共生の一つの側面である)

 話が堅くなりました。一つトリビア的知識をご紹介。イングランドウェールズで、キリスト教イスラームなど以外の「その他の宗教」と答えた二十四万人(0.4%)のうち十八万人は何を信仰していると答えたでしょう?(解答はブログ末尾に)

 ここで鳥居脇の白狐がくっくっと笑う。名前さえ胡乱な鯨馬、ゆめゆめ彼の妄言な信じたまひそ。
























※解答 「スター・ウォーズ」の「ジェダイの騎士」と回答したそうな(ホントに載っているのです!)


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