水の恵み 金沢、食べ・歩き(1)

 ブログを見返してみたら、去年は金沢に行ってなかったのだった。あってはならないことだから、早速出かけた。

 初日はしかし、金沢駅は素通り。着いたらそのまま西金沢駅に戻り、北陸鉄道新西金沢駅に歩いて、工事の音のみが響くしずかな中を、二両編成の列車(汽車と言いたい)を待つ。まずは鶴来の『和田(わた)屋』で昼食、という予定なのである。

 前回鶴来に来たのは去年どころではない。八月の真昼、油照りということばがぴったりな、閑雅かつ炎熱甚だしい町をとぼとぼ歩いて白山比竎神社に参詣した。そこここにゆたかに手取川からの水が流れ、これならば『菊姫』『萬歳楽』など、加賀と言わず日本を代表するような酒蔵がこの小さい町に集まるのも当然だと考え、酒が旨い所で料理の味が磨かれないはずが無いなと思い至り、『和田屋』を訪ねたところ、予約をしていないと無理だということで、その時は諦めたのだが、静謐な玄関のたたずまいが記憶にしみついていた。で、今回は早めに予約。

 なるほど本業は旅館だけあって、中はじつに豪壮なつくり。通された部屋もそのまま居室になるとのこと。十畳の座敷に、庭に向かって三畳ほどの板の間が付いて、そこには囲炉裏が切ってある。軸は千代女で「茶に酔うて寝られぬ夜半や時鳥」。庭は池に向かって崖が迫る造りになっていて、池にもまた水がたぎり落ちている。

 これだけの舞台装置ではじっくり腰を据えて呑む他ない。むろんビールなんぞは頼まず、はじめは『菊姫』山廃純米。これは拙宅でもよく用いている銘柄だが、やはり酒はその土地で戴くのが一等旨い。ガラスの徳利を傾けるとと、まさしく黄金色をした液体がとろりと流れ出る。色と荘重な香りを軽やかに裏切る軽い飲み口で、この宿を愛したさる小説家の形容を借りれば「水のようだ」ということになる。

 さて料理は山菜に川魚。献立は以下の如し。

◎前菜
・浅葱と蕨の酢味噌和え
・銭奈お浸し
・片栗胡麻酢かけ
・もみじたけお浸し
・屈(こごみ)胡麻和え
◎椀
・うすい豆すり流し
・筍真薯
・嫁菜、木の芽
◎お造り
・鮴洗い
・岩魚洗い
◎焼き物
・岩魚塩焼き、三杯酢
◎蒸し物
・鰻湯葉蒸し、わさびあん
◎合肴
・鴨と山菜のさらだ(屈、筍、こしあぶら、空豆)
◎揚げ物
・若鮎と山菜の天麩羅
◎食事
・春山にぎり(蕗、蕨、茗荷、菜の花)
◎留椀
・赤だし
◎水菓子

 なかんづく素晴らしかったのは片栗(まるで水、それも仙郷の清流みたいに澄んだ味)、鮴洗い(ただただ瀟洒)、岩魚塩焼き(これは炭を豪勢にいけた囲炉裏で板前が焼いてくれる、身の脆さと内臓の香ばしさが素敵)それに空豆(色だけでなく、ものすごく味も濃厚。一粒ずつ吟味してるんだろうな)。

 杯をふくみながらぼんやり庭を眺めていると、上の建物で結婚式をあげた新郎新婦と参加者がゆっくり坂を下っていった。ますます気分はゆったり、響くのは池に落ちる小滝の音と、こちらが杯に注ぐ酒の音のみ・・・あっという間に酒が無くなってしまい、ますます座敷は閑寂。呼べども呼べども店の人が来ない。で、軸の千代女を借りて駄句一つ。

 酒乾して待てど暮らせどほとゝぎす  碧村

 なんども仲居さんに足を運ばせるのも気の毒だし、この静けさを愉しみたくもあり、『和田屋』のためだけに『萬歳楽』が作ったという「山ほろし」なる五百ミリの瓶を頼むと、女将が挨拶に出る。先ほどあげた小説家、つまり吉田健一の大ファンで、名作『金沢』は何度も読み返している、と言うと、「昨日、北國新聞の記者が、吉田様(と若女将はヨシケンさんを呼ぶ)が文中であげられた料理のレシピの取材に見えました」とのこと。また、女将の御母堂、つまり先代の女将の回想によれば、吉田健一はこの店に来ている間じゅう「ともかく杯を離されることはありませんでした」とも聞いた。

 うつくしい話である。

 こちらもあっという間に四合瓶を空にしてしまう。『菊姫』以上に、これこそ水の精髄(へんな表現だが)とも言いたくなる俊爽にして清冽きわまる酒であり、ほんとにすいすいと喉をとおるのだ。この時点でまだ鰻の湯葉蒸しのあたりだったから、当然次を頼むことになる。結局は都合一リットルほど呑んだ計算となった。

 まったく酔ってないといえば嘘になるが、トイレに立って手を洗うたび、水の冷たさですぐに頭がすっきり晴れ上がるのである。ま、これだって酔った上の錯覚かもしれませんが。

 『和田屋』を出たのは三時過ぎ。四時間近く呑みかつ食べ続けていたことになる。勘定はだから、決して高いとは思えない。白山比竎神社に参ったあと、敬意を表して小堀甚九郎商店、つまり『萬歳楽』の蔵に立ち寄る。試食でいただいた粕漬けが絶品だったので、土産とする。

 北鉄石川線の終点は野町。そこからぶらぶら片町まで歩いてホテルにチェックインする。本当は、いいホテルは金沢駅前に固まっているのだけれど、夜遊びにはいかにも不便だから、繁華街の中で宿を取ることにしているのである。シャワーでさっぱりした後は、広坂から兼六園を超えて橋場町まで歩く。途中の上り下りを考えると、決して近い距離ではないが、正直言えば昼間たらふく食べたために、まだ少し腹がくちかったのだ。

 土曜の夕方とあって、目的の店があるひがし茶屋街には観光客がたくさん歩いている。そのあいだをすりぬけるようにして、迷路のような路地の突き当たりに行き着いた。

 ここでは鰈や蛍烏賊が旨く、また客あしらいも丁寧で好もしい感じだったが、実は食べたものを細かくまで覚えていない。さすがに体も疲れ切っていたとおぼしくて(疲労もまだ底を打っていなかったことは翌日、そして翌々日に身を以て知ることになった)、それでも杯を重ねているうちに、なにやら朦朧としてきたのだった。これでは失礼にあたるから店名は掲げない。

 しかし店を出て、すっかり冷たくなった風に当たると、何たることかまたしても力がみなぎって参りまして、結局は片町まで歩いて戻り、木倉町の小料理屋で浅酌ののち、飲み屋を回ってついに深酒に及んだ・・・のは、まあ当ブログいつもどおりのしめくくりか。
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