姫神さまの御かんばせ 金沢、食べ・歩き(2)

 旅の二日目は、我ながらよく歩いた。ホテルのある竪町から片町まで出て、香林坊をまっすぐ北に、近江町市場まで。ここで朝食ををとろうと、宿では何も食べずに出たのだったが、のぞんでいたような、煮ざかなやお浸しなどで食べさせる定食を出してるところは見当たらず、いずれを見ても海鮮丼か鮨の店ばかり。海鮮丼というものを毛嫌いしている人間だし(あんな自堕落な食べ物はそうはない)、朝から鮨をつまむのもぞっとしない(というか、それならまたもやぐびぐび飲み始めてしまう)(いや、それはそれで良かったのだけれど)。いささかげんなりし、コンビニでカフェオレだけ立ち飲みして歩き始める。武蔵が辻では駅のほうに折れず、そのまままっすぐ北に向かい、彦三大橋を渡らにそのまま右に折れて浅野川の川べりを上流に歩く。日曜の朝、たまに犬を散歩させた老人かジョギング好きの人間とすれ違うのみで、それに浅野川もまだこのあたりでは水がとろりと青緑に凪いで、すこぶるのんびりした気分。

 それでもさすがに観光の町。泉鏡花が幼少の頃に遊び場にしたというより、最近では宮藤官九郎舞妓Haaaan!!!』のロケ地として覚えられているであろう主計町の茶屋街にさしかかるころにはぽつぽつと人の姿も増え始め、橋場町に到るころには、どこからこんなに(まあ、こちらもその一人ですが)という数の観光客が橋のたもとを彷徨している。梅の橋で川を渡り、徳田秋声記念館の傍から河原に下りて、さらに上流へ歩く。歩く。歩く。水も先ほどに比べて格段に綺麗になり、なにより流れる音が絶えず聞こえてくるのが快い。それにしても暑い。サングラスを持ってくれば良かったと思うほどの陽光の眩しさである。

 天神橋で道に戻り、そこから卯辰山に登る。ここまで来ると、いわゆる観光客はいなくなっている。途中鏡花の句碑(「母恋し夕山櫻峯の松」)を見たり、花菖蒲園の池で(もちろんまだ咲いていない)胡乱げにこちらをガン見する青鷺と睨み合ったり、あちこちでふらふらと足を止めつつくねる坂道を上っていった。驚かされたのは、いわゆる公園と思っていた山のかなり上の方まで人家が点在していたこと。それが景観の邪魔をするわけではなく、むしろ自然と人為とがごく当たり前のように結びついている風情なのが好もしい。ただし、それこそ鏡花の小説のそこここに出てくる妖魅に近い登場人物がそうであるように、自然とのあまりな親和性を示す人工とは、その定義からしてすこぶる不気味乃至いかがわしいものなのである。当ブログ「幻としての都市」をお読みいただいた方は誤解されないと思うが、そのいかがわしさ(陰翳、といってもよい)を併せ持つからこそ、金沢は惹きつけてやまないのである。

 さて花菖蒲園から、一気に木下闇という古風な語を想起させる山道を折れ曲がってさらに登ると豊国神社・愛宕神社天満宮の三祠に行き着く。格別趣のある建築・社域ではないが、何せ有数の観光都市のしかも日曜日にあって、ここまで静かなのは、それだけでも価値がある(しかも市中をそう離れてはいない)。天満宮の社殿の下に、「当社の中で採れました。お持ち帰り下さい」と書いた山椒のビニール・ポットが並べてあるのも感じが良い。

 神社のあとは展望台に行くつもり。大型バスが通れるような道路を縫うようにして、徒歩で登る道がある。民家の軒先をくぐったかと思うと、突如猛々しい面構えの日蓮像が出てきたりして、けったいな道ではある。もっとも草花の姿は目を楽しませるのに充分で、山中至る所に若い葉を交えた枝垂れ桜が枝垂れており、そして射干(しゃが)があちこちに群れて咲いている。

 と、突如という感じで平らに開けた公園に出る。人影はどこにも見ない。特異な反戦・プロレタリア川柳作家(というのがあるらしいことを、田辺聖子さんの著書で知った)鶴彬の句碑(柳碑?)がある。思えば金沢は中野重治のような左翼の大詩人・小説家をも生んでいるのだ。と思えば明治ナショナリズムの論客・三宅雪嶺室生犀星などもいるわけで、それに「お化け」鏡花を加えると、多士済々というよりは百鬼夜行というほうがふさわしい。むろんこれも絶賛しているのである。

 公園から少し下がったところに展望台があるらしい。悪趣味な建造物がなければいいけど、と危惧しながら歩いて行くと、ただ綺麗に整えられた芝生の一角にベンチが数脚据えてあるのみ。つまりたいへん気持ちがいい。公園から入っていちばん近いところにあるベンチに座って市内を見下ろすと、なるほど名前の通りの「燕台」、これだけ川と台地とが密な間隔で立ち並ぶ町は他に無いなと納得した(東京は台地の町といってもいいだろうが、近代以降川を代表とする水のエレメントを扼殺しすぎた)。やはり土地の精髄は地図やネット情報では分かるものではない。

 と振り向いた瞬間息を呑んだ。というといかにも劇的な瞬間を演出してるようで我ながら気が差すが(嫌いな小林秀雄の口吻を知らずたどってるようでもあり)、それを求めて(朝食も食わず)日差しの中を歩きづめに来た人間にとって、あまりにもあっけなく求めるものが与えられたら、まず驚きがくるのは生理の自然というものである。

 たたなわる山並みの向こうに、見まがうべくもなく、「それ」、つまり白山の姿があった。晴れているとはいえ、北国の水蒸気多い大気を通して見えるのだから、稜線は夢のように(と言いたい)ぼやけ、雪の輝きも冷たさや清らかさよりも先に、幻のような(と言いたい)とりとめなさをまず印象づける。

 そう、これこそ鏡花が繰り返し作中に呼び出し、そして鏡花を鍾愛してやまなかった批評家川村二郎が、見える白山はいうまでもなく、鏡花世界のそこここに揺曳する白山の影のくまぐまを心を込めてなぞり返し、賞翫した(『白山の水 鏡花をめぐる』)女神の山に他ならないのだ、と思わず書いていても力み返ってしまう。

 しかし女神の山という日本語は、精細に見れば正しい形容とは言えないので、どこかで幽かに響いている旋律のような(と言いたいのです)縹渺とした山容を見つめていると、山そのものが女神であり、また女神はこの山という形においてこそ顕現するのだ、と実感させられる。先にあげた『白山の水』で、川村さんは白山の神である菊理媛(くくりひめ)の「両義性」、生と死とを往還し、また死者を優しく慰撫する性格を見て取っている。この観察は正しいと思うが、同時に畏怖すべき霊威を備えた祟る神であることもまた同様に確かだろうと思われる。鏡花論をする場所ではないから簡単に言うが、『山海評判記』の結末にあらわれる「白山のお使者」である女たちの非人間的に美しく冷酷な形象を見よ。ギリシア神話で強いてたとえるなら処女にして怒れる女神アルテミスが相当するのかもしれないが、しかし、あれほど残忍ではなく、やはり旨酒を醸す水を恵む優しさを強調したい。

 そして他ならぬ金沢という町自体もまた白山の恵み、それだけでなく白山の「影」によって出来た町なのだという認識を人は否応無しに抱かされてしまう。都市の輪郭を二筋の川が(それもたおやかな浅野川と荒々しい犀川との対照が)特徴付け、しかもその川は女神である山そのものの恵みなのだ。これだけの規模の都会で、ここまでゆたかに水が流れ(長町や柿木畠の疎水の勢いはすごい)、しかもここまで霊妙な姿の山を日常座臥仰ぐことができるところが他にあるだろうか。

 卯辰山を下りた後も、半ば夢見心地の目つき足取りで(つまり客観的にはかなりアブナイ様子で)町を日暮れまでさまよって、夜にはいい料理屋に出会えたのですが、思い出しながら書いていても、ふっとあの光景にひたって文字を並べていくのがいかにも億劫になる。旅行記なんぞくだくだ書くものではないが、いったんここで擱いて、次回続きを報告することにする。
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