老妓競艶 金沢、食べ・歩き(3)

 陶然としたまま卯辰山を下って、東茶屋街近くの宇多須神社、菅原神社にお参り。さてなんぼなんでも腹が減ってきたが、茶屋街の中の店はどこも大混雑だろうし、さあどうしましょ。と思っているところに、「手打ち蕎麦」の看板を見つけて、案内通りに坂道を登ってゆく。周囲の風景はのんびりしてて気持ちがいいものの(ちょっとした谷(やつ)のようなところに民家が点在している)、坂はえらく急だし、大体こんなところに店があるのか・・・と不安になったころ、「ここからあと130歩で着きます」という標示が出てきた。こんな風に不安に駆られた客が多かったんでしょうな、きっと。

 カモシカの如き吾輩の足だときっかり118歩のところに蕎麦屋があった。民家のような造りで、玄関に当たるところで靴を脱ぐようになっている。席は和室にテーブル。猛烈に空腹だったので、お昼のコースを注文。光が溢れる庭の敷石をぼんやり眺めながらビールを飲んでようやく人心地に戻る。コースは一品(治部煮)に小ぶりの天丼が出たあと蕎麦、最後に甘味が付いてくるというもの。治部煮はいかにも観光客向けという品だけど、丁寧に作ってあって感じがいい。甘味で選んだぜんざいもくどくなくてよい。よいがしかし、たいへんなカロリーである。昼からまた歩かねば。あ、店の名前はたしか『卯蕎』でした。

 ごった返す茶屋街を抜けて、浅野川大橋を渡り、大手町から兼六園・・には入らず広坂をぶらぶら。若い作家さんの展示をしていたので入ってみる。粉引の輪花鉢が可愛らしかったので一つ求める。レジで気になってたことを聞いてみる。「ここは昔古本屋だったと思うんですが」。その店は閉め、後をリノベーションしてギャラリーに造ったのだそうな。綺麗な店で、それは結構だが古本屋が無くなったのはいささか残念。というのは、金沢ほどの古い町にして、意外なくらい少ないのが古本屋なのである。そういえば『諸國畸人傳』で石川淳が松江の町に古本屋が無いことをいぶかってたな。諸家の倉に、本屋に売られない尤物がまだまだ残ってるということなのか。骨董屋はどちらの都市にも山ほどあるのだが。

 ギャラリーのすぐ先にある、その骨董屋の一軒をのぞいてみる。無論こちら如き、ホンモノの骨董に手が出る訳は無いので、今出来の翡翠色の小皿二つ。本当はウィンドウにあった明治の椀(黒地に金で海老が描いてある)が欲しかったのだが、一客ではつまらないと思ってやめにしておいた。でも本当は今でも少し気にかかっている。次行くときまで海老は待っていてくれるだろうか。

 柿木畠から香林坊、そこから片町をぶらぶらしていったんホテルへ。陽気のせいで少し汗をかいたのでシャワーを浴びる。そこから二時間ほど、昼寝もせずに持ってきた岩波文庫『徳川制度』を読んでいたのだから我ながら元気なものだ。この本、前に褒めたけど(いい企画であるのは確かだが)、注の付け方が気に喰わずいらいらする。『広辞苑』をちょっと引けばわかるようなことばにいちいち注が付いていて煩い。しかも注の本文そのものがそれこそ『広辞苑』的な説明だけなのだ。どうせこんな本、よほどの物好きしか買わないんだから、もっとレファレンスに役立つような注でなければ意味が無いではないか。もっともこれは校注者というより編集部の見識の問題であろう。

 四時過ぎ、今度は片町から長町に抜けて歩き回る。この辺り、いわゆる長町屋敷群の土塀がうつくしいのはもちろんだが、疎水がことにゆたかで、散歩しているとまことに気分がいい。ここらで、水とあまり変わらない高さに窓があるような小座敷にゆっくり杯をふくんでたら最高だろうな。

 長町には、ここぞ金沢で今いちばん気を吐いている古書肆「オヨヨ書林」の支店(それとも本店?)がある。店名が示すとおり、小林信彦などエンターテインメントや幻想文学を得意にしている店だが、海外の小説などにも時おり面白いものが見つかる。今回は高橋睦郎の詩論や英国ルネサンスの研究書他二冊を買った。ドイツ人の親子が時間をかけて選んだあげくに、ドイツ語で書かれた刺繍の本を買っている。あれはどういうつもりなのだろうか。本国では入手できないような珍品を掘り出したのだろうか。

疎水の水に夕暮れの色が濃くなったころ、武蔵町にあるフランス料理『ベルナール』のドアを押す。さすがに和食ばかりでも・・・飽きることはないけれど、これだけ料亭・割烹が多い(また質が高い)町の洋食とはどんなものかとかねて関心があったのである。まったく不案内の方面なので、節を折って食べ丸太で調べました。記事を読んでると、なんだかオーナーシェフはずいぶん偏屈そうだが、ヘンクツぶりで負けてはおらぬ。これも一興、とばかり選んだ。その勘が当たったのかどうかしらないが、いい店だった。料理は以下の如し。

アミューズ
・白魚とじゃがいものガレット(実に軽い仕上がり)
穴子、熊本の赤茄子のエスカベッシュ、マンゴビネガー(穴子とマンゴの組み合わせがいい)
・いか墨のスナック、蛍烏賊入り(小洒落た一品)
◎前菜
・オランダ産ホワイトアスパラとフォアグラのアスピック、木苺ソース、白エビ添え(アスパラとフォアグラの塔に、木苺の溶岩流から逃れてきた白エビどもが必死によじのぼってる、という恰好。アスパラガスをもっと食べたかったな)
◎スープ
・鬼おこぜカサゴのフュメ、サフラン仕立て。天使の海老と新じゃが(強烈な旨味である。パンでぬぐって一滴も余さず)
◎魚
・鮎並ソテー、赤ワインソース。空豆、二種の香草と(ここも空豆がよかった)
◎肉
・フランス産地鶏の胸・もも肉ソテーコンソメソース、うすい豆(これはまあ普通だった)
◎でセール
・プリン
・苺のマリネとルバーブのコンポート、ルバーブのタピオカをルバーブのジェリーに浮かせて

 これにコーヒーとお茶菓子で終わり。ワインは用心してボトルは開けず(呑めないとふんだ訳ではない。呑んでるうちに調子が出ちゃうのを惧れたのだ)。グラスで白三杯、赤二杯。

 食べ終わってから挨拶に出たシェフは誠実な感じ。またソムリエールの奥様は深津絵里似の美人で、大の深津ファンとしては申し分ない。

 すっかり気に入ったのだが(勘定も驚くほど安かった)、ここで特筆すべきは、当方を入れて三組だった客のうちの一組である。ばあさん二人に中年女性とそれより少し若めの男性という組み合わせでまず目を引いたのだが、関係が分からない。親戚筋かそれとも名門女子校の大先輩をお招きか、などとモーソーふくらませておりますと、どうも会話の具合がおかしい(聞き耳を立てているのではなく、小体な店で辺り憚らぬ音量だから自然と耳に入ってくるのである)。中年女性がばあさんを「ねえさん」と呼び、ばあさんたちは「おかみさん」と言う。また「ダンナ」や「稽古」といった単語も聞こえてくる。これはつまり、芸妓あがりの二人(今は置屋でもしてるのだろうか)と、茶屋の女将とその愛人(これは想像)、という四人組であった。

 それにしてもばあさん二人のまたよく呑んでよくしゃべること。伝法のようなおっとりしているような土地の訛で、元芸妓がにぎやかに、しかもフランス料理の店で話に花を咲かせている光景、これは京都ではどうがんばっても見ることが出来まい。すなわちこれもまた金沢にいるんだという実感をかきたてて、ワインのいい相手となってくれたのだった。

 「最近の子はほんとに芸が出来ない」(芸者は知らないが、ホステス見てるとうなずける)
 「いつ呼び出しがかかってもいいように髪を結っておかなくちゃ」(ナルホド)。
 「客も食事や映画に誘い出したらきちんと花代出さないと」(それもそうだ)
 「自分を綺麗に見せても意味が無い。接待の席の正客をどこまで気分よくさせるかに、生活がかかってんだから」(そのとおり!)
 「○○ねえさんの、上半身裸での『炭坑節』は今でも語りぐさ」(になるでしょうな)

 というあたりは、ま、良かったのだが、こういう方々の話はいつか下の方に落ちていくもので、最後にこちらが聞いたのは、「△△ねえさんのオッパイが今でもあんなに大きいのはなぜか」という話であった。

 なんでも、その頃、背を伸ばすために牛の脳下垂体を注射するという療法が流行っていたらしい(しかし、大丈夫かいな、そんなもん打って)。ところが△△ねえさんは、流行のあまり牛の脳下垂体が足りなくなって、「豚の脳下垂体を打っちゃったから、そりゃ、ああもなるわけよ」という次第らしい。

 長生きするといろんな事を聞くものである。

 店を出ると、暗い。武蔵町は香林坊、つまりオフィス街の裏手に当たるところだから、夜になるとぱったり人通りが無くなるのは当然なのだが(大阪でも船場の夜は暗い)、目に染みつくほどに闇が、濃い。「多少の不潔さと夜の暗さと冬の寒さ」が風流の大事な成分と喝破したのは杉本秀太郎さん。その名言をふと思い出した。

 まだしつこく、あと一回旅行記が続きます。
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