神なる鯨

 なんでも新作のゴジラ映画が作られたそうで、それに合せて旧作9本を衛星放送で流すのだという。じつは第一作を見てないが、今更TSUTAYAで借りるのもばかばかしいなあと思っていたので、これは都合のよい企画である。早速晩酌をやりながら鑑賞。この日の肴はオカヒジキの辛子醤油和えと胡麻豆腐(悔しいが市販のもの)、蛸と大蒜とトマトのサラダ、浅漬けである。ビールから焼酎に切り替え。そんな細々と晩酌のアテを記してどーする、と言われそうだが、どの道「本題」の無いブログですから、急(せ)いても仕方がない。

 さて初作『ゴジラ』だが、面白かった。作を重ねるにつれ怪物が人間化し、あまつさえ愛嬌なんぞを覚えてしまった結果、本来の迫力を失って飽きられたというのが通説のようである。後の作品を見てない以上、判定は出来ないけど、最初のゴジラに神話的といってもいいような、圧倒的な暴力の形象が色濃いことは確かなようである。

 もっとも、水爆実験の結果怪物が目覚めるという設定と、元々(ゴジラが初めに姿を現す)島の言い伝えにゴジラなる怪物が出てくるという点はあらずもがなの気がしたけれど。理由もなんにもなく出現して暴虐と破壊の限りを尽くす、という風に描いたほうが、かえって核競争や行き過ぎた文明化への警鐘というメッセージが強烈に印象づけられたのではないか。

 その点、やはりメルヴィルは天才。モビー・ディックは、人間性をすべて否定するという意味で純粋な「悪」である自然の完璧な象徴になっていた。実を言うと、『白鯨』よりは『バートルビー』や『タイピー』のほうを好むのだが。

 などと(心で)つぶやきつつ、焼酎の杯を重ねる。

 最近読んだ本。

○巌谷国士『幻想植物園 花と木の話』…澁澤龍彦の『フローラ逍遥』(いちばん好きな澁澤の著作)よりももっとさらさらした書きぶりのエッセイ。宇野亜喜良のイラストがうつくしい。
○村井康彦編集『京の歴史と文化』シリーズ…中世から近世初頭にかけての時期がやはり圧倒的に面白い。石川淳がいうところの、唯一近代都市になる可能性を持っていたのが京であるということがよく分かる。
佐藤優宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源』…かねがね世界史教科書の記述ではウィクリフ、フスとルターとの関係がよく分からず困惑していたのだが、この本を読んでなるほどやっぱりフスこそが「宗教改革」のスターなんだと納得。ルターのような芝居がかった身振りが無く、もっぱら神学の教説に関わるところで戦った人だから、「物語」にはしにくいのは分かるけど、そして佐藤氏の著述は力あるものだけれど、キリスト教会史学者の著述引用はもう少し控えて、叙述の形式をもう少し工夫したらよかったのに、と思う。いい素材なんだけどな。自慢は聞き苦しいが、これくらいの神学論議は個人的には別にシンドイとも思わない。もっと一般読者に売れていい本だけに、こう言いたくなるのである。
○小林ふみ子『大田南畝 江戸に狂歌の花咲かす』…南畝は大の贔屓役者であるから、狂歌・狂詩、ことに狂文の妙味を舌なめずりせんばかりの慈しみをこめて玩賞してくれているのは嬉しいのだが、「個」の扱いに関しては食い足りない感じが残る。著者は近世という、「型」の尊重を基盤に置いた時代を生きた人間に、近代的自我を求めても無駄である、と言う。アーメン。しかし、アメーバでない以上、なんらかの自我はあるわけで、その近世的自我が近代的自我とどう異なるのか、そして近世文学の優秀な学者みながかなり等閑に付していることだが、前代つまり中世的自我とはどう異なる(もしくは連続するのか)、さらに言えば同じ近世でも元禄の自我と天明の自我では存在様式は移り変わっているはずだろう。また、狂歌・狂詩・狂文・漢詩を作る(南畝は終生漢詩を作り続けた)時の自我のあり方がどう違うのか。そこらの考えを聞かせて欲しかった。これは決して木によって魚を求める類の無体にはあらず。それこそが、著者も参照している中村幸彦の名論文「型の文章」の本旨をつまびらかにする研究だと思うのですが・・・。それとあとは文体。学問の成果を一般にどう開いていくか、これはとくに人文学には強く求められている仕事だろうが(それを諾っているには非ず)、筆者が照れて見せているカタカナ語の多用よりも、カッコ付きのやたらに多いこういう文章で精華を示すのがいいやり方とは正直思えない。そーゆーしどけない書き方はブログでやってれば充分なのである。
カーミット・リンチ『最高のワインを買い付ける』…この、何の含みも感じられないアメリカンなタイトル!イーグルトンに見せたいくらいだぜ。一冊読んで、呑みたいと心から感じたワインが一つも無かったのが、ある意味すばらしい。皮肉ではなく、こういうアプローチもいい、と思う。
仲正昌樹『精神論ぬきの保守主義』…よっ、待ってました!という感じの本。今の日本くらい、「保守」が尻軽で、左翼が守旧的という妙な社会もないものである。自分の主義主張に都合良く憲法を変えようとする考え方に、強烈にうさんくさい、あえていえばマルクス主義ユートピアニズムの匂いを感じて警戒していた人間としては(蛇足も蛇足だろうが、自衛権の行使自体を否認するのではなく、環境を作り替えたら良い、もっといえば環境を作り替えることが出来るという思い込みが胡散臭いのだ)、まさしく溜飲が下がる本。思えば「保守」と称する連中が嫌忌する一八世紀啓蒙主義の人間が「諦念」と「忍従」を生活の基本感覚としていたのはなんとも皮肉な話。それにしても挑発的な書名だなあ。この伝で、『具体策ばかりの急進主義』とか『当たり前の教訓は一切抜きの経営セミナー』とか『ひたすら抽象的なご託宣に終始する家庭料理マニュアル』とかあれば面白いのに。

 あ、最後の手の本はもういっぱい出てるか。

精神論ぬきの保守主義 (新潮選書)

精神論ぬきの保守主義 (新潮選書)

大田南畝 江戸に狂歌の花咲かす

大田南畝 江戸に狂歌の花咲かす

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