月山をあおいでイタリア料理〜酒田・鶴岡旅日記(二)〜

 ホテルの朝食バイキングというのは、どうも難民キャンプや強制収容所めいた雰囲気がして苦手なのだが、今回は悪くなかった。味付け海苔(私は深く味付け海苔を憎む)やかちかちのアジの干物(アジだってこんな扱いを受けたら死んでも死にきれないであろう)は姿を見せず、地元名産の玉こんにゃくの煮付け、小芋・葱・揚げ・豚肉の炊いたの、これまた名産の小茄子の塩漬けや「しょいの実」(もろみのようなもの)、「だし」(野菜を細かく刻んで醤油につけたもの)といった「ご飯の友」も充実。味噌汁には『舌鼓ところどころ』が称揚したいげしという香ばしい海草が入っていて、これがまた旨い。スクランブルド・エッグス(これに醤油をたらしてごはんにまぶすのが好き)やビーフシチューまであって、やや酔いの残る体調であったにも関わらず、というかその分喜々として大盛り飯をおかわりしてのけたものである。これは二日酔いにぴったりの味噌汁もおかわり。「馬鹿の三杯汁」ということばが頭をよぎらなかったら、もう一杯いってたかもしれない。食後コーヒーを飲みながらスマートフォンで電車・バスの時刻表を確認する。二日目は鶴岡を訪れるつもりなのである。

 鶴岡までは電車、ならぬ汽車にて三十分ほど。神戸と明石くらいの距離というところか。車窓の風景には特に奇なるものを見ない。それよりも日差しが強いのと、何より朝食を食べ過ぎたのが災いして気持ちが悪い(やはりバカ、である)。よろめきながら鶴岡駅に降りたってみると、酒田よりはずいぶん大きな町という印象。ただ、失礼ながらその分うら寂れた感も濃い。ともあれここで加茂水族館行きのバスを待たねばならぬ。

 なんとかというノーベル賞受賞者が研究していたのと同じクラゲの展示に力を入れているアクアリウムとして、比較的名が知られていると思う。拝火教ならぬ拝「水」教徒としてはむろん「巡拝」せざるべからず。一時間あまりの待ち時間は、駅前物産館のベンチに座り昨日買った『ハワイイ紀行』を読んで過ごす。名前の通り、ハワイイ(と池澤さんは書く)の島々を巡りながら歴史・文化の深層に分け入っていくという書き方で、だから単なる紀行文ではない。池澤さんの旅のすごいところはどんどんいろんな人に会いに出かけ、話を聞き、自分でも進んで体験してみるという点(水利をめぐる公聴会に参加したり、ヨットに乗って島から島に渡ったり)。そしてよく考える。その考察の過程を(結論が得られるわけではないのが肝腎)、いつものような明晰で行き届いた行文で叙していく。

 それに引き替え我が旅は、と比較する必要などないのだけれど、「経験」との出会いが無い、というより求めようとしないわなあ。と反省してるうちにバスの時刻となる。周りには同じく水族館に向かうとおぼしき観光客がわらわらと集まっていた。

 さて加茂水族館。昨年末で閉館したという旧館の向かいにこれはまた立派な建物が出来ている。「クラネタリウム」と称するらしい。館内はすでに客でいっぱい。夏休みとあって、高校生や大学生らしい集団が目立つ。その間を縫うように見物して歩く。なるほどクラゲクラゲクラゲだらけ。展示対象の性質上、巨大水槽は無くて、ガラスに顔をくっつけるようにして眺めるというスタイルがよい。クラゲを食うクラゲだとか、不老不死(!)のクラゲだとか(クラゲとしての寿命が終わるとポリプに変態して再生するのだそうな)、いろいろ面白いものが見物できた。ヴァレリーのたしか「ドガ、ダンス、デッサン」というエッセイに、ひっくり返ったクラゲの形と踊り子のスカートがめくりあがった姿態との類比を喚起している、相当にスケベなくだりがあったと思うが、それをふと連想したくらい、半透明の生きたグラスが群れなして揺れている光景は優雅かつ猥褻なるものであった。わけても、プラヌラ、ストラビラ、エフィラというまことに面妖な形態を経て誕生したばかりの赤ちゃんクラゲが、コップの中で蠢動している様子(拡大鏡で見る)には、なにか背筋がちりちりするような感覚をかき立てるものがある。ま、頭の中にセックスのことしかないような高校生や大学生には、かえってこのエロティシズムは分からんだろうな。

 それにしても、不人気で入館者数が激減し、存続の危機に追い込まれたところからクラゲ一本にしぼりこんで見事再生を果たした(まるでクラゲの生態を見るようだ)経緯を説明したパネルを見るに、なんというかこの自虐調または自己言及的な「語り」がいよいよ公立の施設にまで及んでいるのにはやや鼻白む。ポストモダン水族館というべきか。と慨嘆久しうしているうちに、クラゲのフィギュアを買いそびれてしまった。

 バスに乗って鶴岡市内に戻る。酒田よりは大きいので、徒歩であちこちを見て回るのはちとしんどいかと思い、駅前で自転車(無料)を借りる。

 鶴岡といえば藤沢周平丸谷才一。いずれも敬愛する文学者である。とはいえ海坂藩シリーズを持つ藤沢周平はともかく丸谷才一はほとんど故郷の町については書いていないし、その藤沢さんにしても文学記念館の類には興味を持てないので、結局はいつもどおり無計画に町を走り回ることとなる。

 酒田・鶴岡と回っているのに、そして書き手は大学で江戸時代の文学思想を学んでいたのに、ここで松尾芭蕉の名前が出てこないのを不思議に思う方もいるかもしれない。つまり『奥の細道』の舞台としての二つの町。実は、昔からあの国民的(といってもいいだろう)紀行文学の文章がどうにも肌に合わなくて、こっそり打ち明けると、これまで一度も通して読んだことがないのである。連句を作る人間として、岩波文庫の『芭蕉七部集』『芭蕉連句集』は文字通り座右の書である。すなわち連句宗匠としての芭蕉は非常に尊敬しているのだけど。

 自転車で最初に行ったのは明治創業といういい感じの古本屋さんである。水族館から帰る時、バスの外を眺めていて見つけてしまったのである。これもまた一つの縁、と諦めて立ち寄ることにした。それこそ藤沢周平丸谷才一石原莞爾といった郷土関係の資料も丁寧に集めており、靴を脱いであがる二階はやや雑本も多いが、面白そうなものもいくつか見つけた。田辺聖子さんが『奥の細道』の道をたどりなおしたエッセイ、テーヌの英国文学史、エリオットの詩人論など。しかしこの本屋でも値段が付いていない。昨日に続いておそるおそる聞いてみるとなんと昨日と同じで単行本300円、文庫は100円というのであった。「狡猾なる人間の蟠踞する城下町」どころか、実にいい所なのであった(単純すぎるか)。

 この古本屋があるのは日吉町。隣は山王町という。なるほど近くには宏壮な日枝神社が側にある。酒田にも上日枝・下日枝の両者があった。東北で比叡山(言うまでもなく日枝の根元は坂本にある日吉大社)とのゆかりが深いとはどういうことか、としばし自転車をとめて考える。

 つまりこれは、出羽三山という修験道の聖地を擁する土地だから、修験道を宰領する天台宗の影が濃い、ということなのだろう。上方に住む人間としては興味深い事実である。上方は全体に浄土・浄土真宗なる、いかにも「世俗的」―というのはこの二つの教団は、江戸時代という徹底して世俗化した文明の元で繁栄を極めた、その意味できわめて近世的=世俗的ということだが―な宗派の勢力が強い地域である。それと比較して、東北というのは要するに「近世」を欠いた、言いかえれば古代・中世からいきなり現代へと接続している国々の集まりではないか。東北=縄文という連想はいかにも紋切り型で、思考の怠惰を呼び込みかねない危険もあるけれど、次に東北に来るときはその視点であちこちを(むろん出羽三山鳥海山は外せない)回ってみるのは面白いかもしれない。少なくとも『奥の細道』紀行よりは興味が持てそうだ・・・と鶴岡公園の濠端に座って考え続けておりますと、どこでも湧いてくる、例の「あなたはシアワセですか?」と訊いてくる自転車に乗った外国人に話しかけられてしまった。たどたどしい英語で「旅先で愉しんでいる時間を邪魔された今がもっとも不幸と思っている」と答えると、苦笑して去っていった。ちなみに公園の桜は立派な太い幹の木が多い。花どきはさぞ美しいだろう。

 今日は節を折って、カトリック天主堂・致道博物館・旧風間家住宅などを丹念に見て回る。というのも、これらの名所はいずれも鶴岡公園の周囲に集中しており、少し自転車を走らせると自然と観光名所巡歴という恰好になってしまうのだ。

 この日昼食はなし。朝飯を食い過ぎたせいもあるが、晩に向けて腹をなるべく空かせておきたくもあった。予約していたのはイタリア料理の『アル・ケッチァーノ』。東北を代表する店といってもいいと思う。徹底して庄内の食材を使い抜くというオーナー奥田政行氏の姿勢が好ましく、一度は行ってみたかった。

 鶴岡からこの店に行くにはやはりバスで三十分ほどかかる。バス停の名前が「アル・ケッチァーノ前」というのもすごいが、正直いってとても風情ある立地とは言えない。店の裏側には水田が広がり、遠くに月山が仰げるのはいいとしても、車がばんばん通る国道沿いで、周囲には車のスクラップ工場や会社の倉庫ばかり。しかもバスの時間の都合で、開店には一時間近くもある。仕方なく十分ほど歩いたところのコンビニの駐車場に腰を下ろして、買ったばかりのテーヌの本を読む。しかし本ばかり読む旅ではあるな。

 開店(六時)直後から、予約客で店は一杯。一人客は当方のみ。もっともこれはいつものことだから、気にはならない。

 料理は以下の如し(宿に戻って必死に思い出した)。

・ワラサ(「月の雫」という塩で)
・温海蕪のポタージュ(賽の目に切った鮑入り)
・ワラサの中骨をこんがり焙ったもの(トマトと青唐辛子を添えて)
・冷製パスタ(トマトと桃(!)とバジルのカッペリーニ
岩牡蠣(トマトソース)
・稚鮎と茄子(半分に切った茄子の上に稚鮎をのせてオヴンでじっくり火を通す。鮎のあぶらは全部茄子に吸われる、という仕掛け)
・カスベのムニエルキャベツ包み(カスベとはエイのこと。ヒレの部分をこんがり焼いたあと、蒸したキャベツで包んでいる。エイだから骨まで柔らかい)
・粒々のパスタ(正式な名前は分からない。これが秀逸で、粒々と同じ大きさい揃えた蛸・烏賊・海老・栄螺・鮑が入り、そのダシがパスタに吸われて矢も楯もたまらず旨い)
・辛子のジェラート(ここから肉料理になるので口を替えようという趣向。胡瓜の塩漬けが一片のってある。じつに洒落た味)
・豚のロースト(なんとスイカと一緒に出てきた。スイカを薄く切ったのと豚肉とを重ねて食べる)
・羊のロースト(ラムとマトンのあいだくらい、という。茶豆を与えて大きくしているので臭みが出ないのだそうな。子羊ほどの甘みは無い代わりに肉質がしっかりして風味が高い)
・鳩(これはあらかじめ頼んで追加しておいたもの。好物なのだが、さすがにかなり満腹に近くなってきたので、どう出てくるかと思っていると、シコレやアンディーヴ、ナッツなどとのサラダ仕立てでの提供であった。レバーはもちろん肉にも血の味が濃い。訊いてみると案の定エトフェ(窒息)させた鳩だった)
・牛(ロースでなくすね肉という一ひねり。旨みは濃いけど、スジの部分が多いので、レーザー光線(ってギャルソンが言ってましたが)でスジの部分を丁寧に取り除いている)

ドルチェはメロンとフェンネルのソルベに続いて、パンナコッタと茶豆のジェラートに三年熟成の味醂をかけたもの。

 これで分かるように、なるべく食材の持ち味を生かして濃いソースを用いず、しかも食材の調理法や取り合わせには存分に創意をふるった、というスタイルの料理である。ワインは四杯飲んで勘定は驚くほど安い。ギャルソンがきびきびしているのも気分がいいし(イケメン揃いだったから女性のグループなどは大はしゃぎしておった)、かといって店の空気は気取らず崩れず、いい店だった。秋のキノコ、冬のジビエ、春の山菜の時分はどんな料理が出てくるのかな。魚・野菜も入れ替わってるわけだし。これで隣のテーブルにいた中年カップルの話し声がもう少し小さかったらもっと良かった。いかに自分たちいろんな有名店に行ってきたかという愚にも付かない内容を延々としゃべっているのだが、オバハンは足を組みながら食事しているし、オッサンは店内でも帽子をとっていない。

 これは要するにプロレタリアート(元々の意味は「劣悪階級」)である、と納得し、呼んでもらったタクシーで鶴岡駅に向かった。鄙に名店あり。(つづく)

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