実りの秋(とき)

 酒と本とは文明の華。古本屋で珍品稀本を掘り出すのは人生の快事のひとつ、それもかなり上位のほうに入る口だが、新しく出た書物に心おどらせることが出来るのはそれに劣らず嬉しい経験である。収穫の季節だからというわけでもないだろうけれど、ここしばらく、新刊に上質な本を多く見つけられたのは文明のためにも大慶至極。酒も旨くなる。

 ちなみに云う。上質な本の条件とは単に読んで面白いというだけでなく(そんなのは当たり前だ)、文明の維持に何かしらを付け足すだけの力をもっていること。なんだか大層な話になってきましたが、落語の本だって料理の解説書だって、本当に優れたものはそれだけのものを秘めているはずなのである。

杉本秀太郎『見る悦び 形の生態誌』(中央公論新社
 これが一番愉しめた。書き下ろしの新刊かと思ってアマゾンで予約注文していたところ、文章の半ばは旧著からの再収録。杉本秀太郎の文事を敬慕する人間はむろんそれらすべてを読んでいたが、一冊の本として通読してみれば部分はまた別の輝きを放ちはじめ、全体にあらたな文様が浮かび上がってくる。その文様の精髄―または生命―を一言にしていうならば、すなわち「見る悦び」であり「形の生態誌」ということになる。元々文学を読み解く時の杉本さんの手さばきには、あたかも色彩や線の布置結構を丹念になぞっては吟味している趣があったのだから、かかる本が出るのはまことに自然な筋道だといえる。こういう絵の「読解」を文学趣味(主義?)と批判するのは当たっていない。つとにメーテルランクやフィリップ・ジュリアンを訳し、またドビュッシー印象主義と分類する非について論じていたひとの文業を光源として見れば、ペイターが憧れた「音楽」こそがこの本の欣求するイデアであることは明白だろう。
 一冊を堪能した後でふと思う、あの気取り屋の批評家が形容したのとは異なる意味で、思想もまた「意匠」と見徹す立場からの本もまた可能であり有益なのではないか、と。

☆ブルース・チャトウィン『黒ヶ丘の上で』(栩木伸明訳、みすず書房
 あのチャトウィンの新訳がまだ出た!日本の出版文化というのも、なかなか捨てたものではない。

☆『詐欺師の勉強あるいは遊戯精神の綺想 種村季弘単行本未収録論集』(幻戯書房
 編者の執念が結実した大冊。「ヴァイキング式百冊の本」一篇だけでも、浅間しい言い方だが元が取れる(元は雑誌『リテレール』のアンケート)。題名が泥臭いのが惜しまれる。

見る悦び - 形の生態誌

見る悦び - 形の生態誌

黒ヶ丘の上で

黒ヶ丘の上で

【ランキングに参加しています。下記バナーをぽちっ。とクリックしていただけると嬉しう存じます!!】
にほんブログ村 料理ブログへ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村