彦根の城に雲かかる

 『いたぎ家』兄のお誘いをいただいて、台風近づく中、朝から彦根に向かった。順ちゃん(アニーの愛妻)も一緒。

 日本酒の会、それも昼・夜のダブルヘッダーという豪華版である。実は彦根ははじめて。勤め人時代に何年かこの町で過ごしたタギー・アニーの案内で、お昼の会前に町をぶらぶらする。すぐ近くの長浜が、大河ドラマや各種イヴェントによってかなり観光客を集めているのに対して、彦根は「しょぼい」とアニーは嘆く。たしかに台風は近いと言え、日曜日の昼どきに駅前からしていかにも閑散としている。まあしかし、それは俗化していないとも見られるので、このおっとりした風情がさすがに譜代随一、三十六万石(だったっけ・・・学生時分は師匠に言われて主要な藩の紋所と石高・家格を覚えたのだが、最近はすっかりダメになってしまった)大藩の貫禄と誉めてもよろしい。

 その貫禄は城のたたずまいにも見て取れる。あまり人工的に整備されすぎてもおらず(たとえば姫路城)、かといって植物が繁茂するに任せて半ば廃墟化してもおらず、侍がうろちょろしていたんだろうなあ、という雰囲気が濃い。着ぐるみの猫なんぞに興味はないが、気候の佳い時分に酒弁当を携えて半日ほどぼうっとしているのも悪くないな、と思う。

 いわゆる昔の目抜き通り商店街がさびれかえっているのは、いずこも同じ地方都市の光景で、それでもシャッター街のそこここに若い人がギャラリーなどを開いているのもまた最近よく見る現象。連れて行ってくれたのはそのうちの一つ。器を主にしたお店。民芸調というのはもひとつぴんと来ないので、ここでは何も買わず。それでも皿小鉢をにらみながら何を盛りつけたら映えるかと想像するのは楽しいものである。

 隣は、これも若い人が最近始めたばっかし、というなりの古本屋。ま、品揃え・値付けに関しては何も申しますまい。ご祝儀がわりに一冊購う。さらにそこから少し歩くと、最近はやりの、本屋・雑貨屋・それに食料品店(コンフィチュールや焼き菓子がならべてある)が一体となった、さあなんてんですかね、アートスペース?小洒落た店がある。アニー、順ちゃんとだらだらしゃべりながらこういう店を見て回っているうちに、お昼の会開始間際になっていた。結局昼食はそれぞれ地ビール一本と、土産物屋で売ってたコロッケを一つずつ。鮒寿司近江牛も無し。

 風流の極みである。

 さて先ほどからお昼の会と言っているのは、「酒鋪まえたに」なる酒屋で開かれる勉強会のこと。「日本酒入門編〜「とりあえず辛口くださいからの卒業」」という。じつは『いたぎ家』で前谷さんを講師に招いた同名の講座には参加していたんだけど、まあこういう「勉強」なら、運転免許の講習と違って何度受けてもよろしい。それに「酒鋪まえたに」は《滋賀の》《日本酒》に徹底したお店だけに、やはり現地で呑んでみたくもなろうではないか。やはり酒はその土地で呑むのが旨いに決まっているわけだし。

 日本酒に限らず、こういう集まりに「勉強会」という名称が付けられるようになったのは比較的最近のことだと思う。個人的には「楽しむ会」のほうが趣味に合うけれど、大メーカーの堕落・焼酎&ワインばやり・若年世代のアルコール離れなど強力な波状攻撃を受けて日本酒を好む層が極端に薄くなったあとだけに、まずはこういう啓蒙活動から再開しないとあかんのだろうなあ。

 それはさておき、住宅街の真ん中にある「まえたに」に集ったのは我々を含めて一五名ほど。パワーポイントを使っての「講義」と質疑応答のあと、六種類の酒を試飲する。紙コップをならべて見ると、やはりふだんは意識しない色つやの違いがよく分かる。最近薄手の磁器で酒を出す店が少なくなったのは、やはり一昔前の「オヤジ御用達の酒」のイメージを嫌ってのことだろうか。分からなくもないが、色はやはりこれが一等愉しめるし、すっきりした形の銚子から口当たりのやわらかな磁器(厚手の焼き物は往々にして自己主張が強すぎる)ですっと含む酒の味わいも棄てがたいと思うけれど。こういうのを保守反動、と呼ぶのでしょうか。

 興味深かったのは、まず水。近畿の水がめたる琵琶湖には当然四方八方から川が注いでおり、それは解説によると、伊吹山系・鈴鹿山系・比良山系と大別され、しかもそれぞれに味の個性が違っているという。有名な灘の宮水が、日本の風土では特異なくらいの硬水であるのは別格としても、一つの県でこれだけ水の味わいの違いがあるというのは、よく考えてみたらたいへんに贅沢な話である。

 昔、堅田の祐庵という茶人がいた(とガクのあるところをご披露申します)。門弟に琵琶湖の水を汲みに行かせたところ、弟子は無精して岸近くで汲んだ。それを一口飲んだ祐庵はたちどころに「これは湖の真ん中で汲んだ水ではないな」と喝破した、のだそうな。どこかで読んだ時はふーん、くらいにしか思わなかったが、今考えてみると祐庵は琵琶湖の場所ごとに水系で味が異なると知っていたのでは無いか。

 もうひとつ。前谷さんが酒の味わいを「ぼくなら○○という風に表現します」、と形容のお手本を示していたこと。仄聞するところ、前谷さんは元建築士で、途中からこの世界に入ったとのこと。その分客観的に日本酒の現状を見ることが出来ているからこそのやり方というところ。だからマニュアル世代は・・・と利いた風な批判をするのは間違っている。これだけ多様な個性をもった酒がどんどん出てきており、しかもさっき書いたように、飲み手の伝統がいったんとぎれた後では、「まず形から」入るのでいいのである。それに、文学に縁ある人間として強調しておきたいところだが、言葉を持たなければ人間は感じることさえ出来ないのだから。

 と力み返るような場ではないな。すぐに夜の部の準備にかからねばならない前谷さんの店を出て、三人はお茶で一服。順ちゃんとわたくしがおとなしくコーヒーなんぞを啜っていたのに対し、アニーは一人「きびもち入りぜんざい」で気を吐いておりました。

 夜の部の会場は、お城の堀端にあるキャッスルホテル。そこに、煩を厭わず列挙すれば、「萩乃露」「浪乃音」「北島」「七本槍」「薄櫻」「竹生嶋」「美福久」「神開」「湖風」「喜楽長」「笑四季」「初桜」とこれだけの蔵元が集まって、その上蔵元にさえ置いてないような希少な酒が多数出されるという、豪奢な趣向。前谷さんの凄腕を見せられた、という感じである。酒の仕込みから参加するというような人だけに、信頼も厚いのだろう。会が始まってからの各蔵元の挨拶のことばの端々にもその雰囲気は感じられた。

 料理は全体に特に奇とするほどのものではないが、唐墨や鮒寿司などアテにはもってこいの品がそっと混ぜられてあるのが嬉しい。当方としては鮒寿司だけでもよかった(その代わりけちけちせずに、どーんと盛って頂きたい)。刻苦勉励して、というか意地汚くというか、都合二七種類の酒はすべて賞味できた。こちらの好みに合うもの・そうでないものがあるのは当然だとして、全体に「これ一つではじめからしまいまでいけます」という造りの銘柄は無かったように思う。そういう呑み方は今はやらないのかしらん(やはりわたしは保守反動の輩なのであろうか)。ふと思ったが、昔風に「△△正宗」一本槍というのでもなく、かといってこの頃みたいに一杯ごとに銘柄を替えるのでもなく、一つの蔵元で少しずつ種類を移してゆくというのはどうか。土台となる味は一貫しているから落ち着いて呑めるし、そこに微妙な曲調の違いが展開されるわけだから、さながら弦楽四重奏を聴くように酒の時間を愉しむことが出来そう(拙宅でお客をした時にはぜひ試みたい)。

 大好きなアニー夫妻と美味しく呑めたのは良かったが、気の合う人同士だからこその大チョンボがひとつ。趣向で行われた利き酒クイズで、誰ともなく言い出した推理に、何となくその気になって三人同じ酒を書いて出したところが、大外れ。時流に屹立する孤高の保守反動論客どころか(あ、保守反動は今の流行か)、不見転・付和雷同を地で行く大衆そのものではないかいな。

  城を前に浅酌
 燗つけてさて石垣の古びかな 碧村

 三宮に戻り、餃子の『満園』にて「反省会」。しみじみビールが旨かった。帰り際、順ちゃんが、器のお店で買ったパウンドケーキを分けてくれた。

 ・・・とここで終わりそうな調子ですが、この日は家に帰ってもう一仕事。丹波から栗が届いていたのである。殺虫のための燻蒸処理をしていないので、すぐに温湯に浸けて処理をしないといけない。半分は保存し、半分はそのまま渋皮煮に作る。鬼皮を剥いた後、草木灰でアク抜きをし、そのあと灰の味を流すために茹でこぼし、さらに流水にさらしてから、薄めの蜜で煮て一晩おきます。明日は濃い目の蜜で煮直して瓶詰め。

 作業が済んだのは二時前。そろそろ台風の風がうなりを強め始めていた。

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