無月物語

 水曜日、みんな皆既月食のほうで盛り上がっていたけど、そもそもこの日は旧暦九月十五日、つまりお月見の日なのであった。それがすっかり隠れてしまうのだから、趣向としてはじつにひねりが効いている(趣向で満ち欠けしてるんではないだろうが)。観賞せざるべからず。出来たばっかりの渋皮煮と生栗を「いたぎ家」にお裾分けするついでもあったので、バスで三宮に向かった。待っている間も、すでに四分の一ほどが翳り始めている月を眺める。三宮に着くと、韓国領事館の前で警備しているおまわりさんがぽーっと(失礼!)お月さまを見ていたのが面白かった。その後は案の定、酒を呑むことに熱中して、盈虚の続きを見忘れてしまう。「播州地酒ひの」さんが一周年の御祝いにくれたという(なんたる豪儀さか)燗を付ける機械で呑んだ燗酒の具合がなかなかよろしかった為である。

 さて翌日。満月から一夜過ぎたとはいえ、まだ充分に名月を愉しめるはず、とせっかく枝豆・小芋(きぬかつぎにする)・栗(これは元々ある)・かますの干物(これはこちらの好みで付け足し)を用意したというのに、暮れてからかなりの激しさで降り出し始めた。まあ、「雨霽レ月朦朧ノ夜、窓下」(これは例の、「雨」月物語の序文)にまぼろしの月を思い描きながら浅酌するのもまた悪い趣向ではないわい、とひとり満足して飲み始めたのであった。これもまた案の如く、「浅」酌にはとどまらなかったけれど。

 酒の対手はなになにぞ。

○坂口昌弘『文人たちの俳句』…木下夕爾と山中智恵子の句が面白そう。でもアマゾンで見たら両句集ともやたらと高い・・・・・。誰かお持ちのかた、お貸し願えませんか。
渡辺保『煙管の芸談』…歌舞伎に出てくるたばこや酒などの場面にまつわる蘊蓄を、随一の見巧者が傾けてくれるという、楽しくもまた閑雅な本。
○『ラスネール回想録』…「十九世紀フランス詩人=犯罪者の手記」という副題が一冊の内容を過不足なく示している。いや、少し言い足りない憾みがあるか。「あるいは世紀病の研究」と付け加えても良かったかもね。つまり、言ってみれば十九世紀版フランソワ・ヴィヨンというわけだが、そこはそれ、やっぱり十九世紀の人間だけに、ヴィヨンには無かった暗さ・陰惨さが目立つのだ。
マルクスユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判』…何頁か見て、やはり酒を呑みながら読むのにふさわしい本ではないと投げ出す。マルクスは敬遠してきたが(曲がりなりにも通読できたのは『ルイ・ボナパルトブリュメール十八日』だけ)、光文社古典新訳文庫で、しかも訳しているのが中山元さんということで手に取ったのである。面白そうな選択ですね、この二篇。それにしても、『魔の山』(『魔法の山』でいいんでないかい)の新訳、光文社古典新訳文庫で出してくれないかなあ。新潮文庫高橋義孝訳には高校生の時からお世話になっているが、なんせ紙型が古くて老眼のすすんだ目には辛いのだ(後で、新潮文庫で新版が出た、と友人が教えてくれた)。
○『司馬さんの見た中国 お言葉ですが…別巻⑥』…相変わらずの高島節、冴えている。池澤夏樹森まゆみといった「スター」も遠慮会釈なく批判されている。かなり辛辣な物言いをだけど、からっとした豪放な文章だし、第一批判の内容がじつにもっとも至極なので、不快な気分になることがない。まあ、でもこんな調子で自分がやっつけられたら、やっぱり落ち込んじゃうだろうな。


【ランキングに参加しています。下記バナーをぽちっ。とクリックしていただけると嬉しう存じます!!】
にほんブログ村 料理ブログへ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村