バナナの復讐

 柿衞文庫の芭蕉展二回目。全面的に展示替えという太っ腹な方式・・・という形容は可笑しいか、ま、今回もたっぷり時間をかけて見て回りました。後期は手紙がたくさん出品されており、門人のほめ方や叱り方などは興味深いだけでなく、こういう言い方も出来るんだなという、いわば実用的な視点からも得るところ少なくなかったが(といって候文でメイルするわけではないけれど)、なにせ手紙というのは読むのにやたら時間がかかってくたびれるものだから、一通読んでは他のところにふらふらと漂っていって、翁の絵ごころに向き合ってみたり(繊月と菊がよい)、獅子門伝襲という文台を見ては、これくらいゆかりの品ことごとく珍蔵される日本の文学者は他にいないなあ、たとえば漱石は国民的と呼ぶにふさわしい(ほとんど唯一の)作家だけど、漱石が抜いた鼻毛を大事に保管するなんて考えられないし、やっぱり近代文学というのは漱石クラスであっても、江戸以前に比べてなんとなく品下るということか、まあいくら近代以前といっても沙翁ご幼少のみぎりのしゃりこうべを見に行くつもりにはならんが。などとぶつくさいってはまたたとえば曲水宛書簡に戻り、ためつすがめつとなるわけである。


 今回いちばんこちらの気に入ったのは、例の「荒海や」に詞書を添えて書いた自筆懐紙。隣には同じ内容・構成の懐紙が並んでいる。といっても詞書の行文は二点でかなり異なっている。じっくり読み比べ、どちらが上か、などと極めをつけて興じるのも文芸の醍醐味というものである。『風俗文選』所収(に近い)の形でないほうが優れている。そもそも『風俗文選』の俳文は好まない。なんだか修飾過多でぞっとしないのだ。懸命に美文を綴っているという調子が泥臭い。これは、たとえば也有の俳文の瀟洒な趣と比べてみれば明らかである。連句はともかくも、文に関しては後世のもののほうが劣るとは言えない。

 それはさておき、『風俗文選』系ではないテクストのほうは、行文簡浄にしてよく旅中の愁いをうつし、また詩腸の有り様を伝えて余すところがない。なかんづく詞書から発句へ移る呼吸が素晴らしく、儀式性と叙情性がうまく刺戟し合って、聞き飽き果てたはずの句が面目新たにそそり立つ。

 とまあ、ここまで大仰に褒めちぎったのですから、やはり原文を引かないわけにはいかないでしょうね。もちろんめんどくさい方は飛ばしてください。人生に文学が無かったとてどうと言うことはない。元のままだと読みづらいので適宜表記には手を入れています。



 ゑちごの驛出雲崎といふ処より、佐渡が嶋は海上十八里とかや。谷嶺の嶮ぞ隈なく、東西三十余里に横折れ伏して、まだ初秋の薄霧立ちもあへず、波の音さすがにたかゝらず、たゞ手のとゞくばかりになむ見わたさる。げにや此嶋は黄金あまたわき出て、世にめでたき嶋になむ侍るを、むかし今に到りて、大罪朝敵の人ゝ遠流の境にして、物憂き嶋の名に立侍れば、いと冷(すさま)じき心地せらるゝに、宵の月入りかゝるころ、海のおもてほのぐらく、山のかたち雲透にみえて、波の音いとゞかなしく聞こえ侍るに  芭蕉

     荒海や佐渡によこたふ天河



 すっかり翁の風雅を堪能して展示室を出ると、美術館の名前通りに、閑雅な中庭に柿の実が色づいている。背景の空はどんよりと曇り。途端に俳諧疲れがどっと出た。もっとも「牡丹切つて気のおとろひし夕べかな」(蕪村)のように優雅なものではなくて、単に酒が呑みたくなったというだけのことなのだが。

  柿ひとつ世界の重み斂まりぬ  碧



 文庫を出る。伊丹に遊んでいつも困るのは具合のいい飲み屋が無いこと。大阪に出たり三宮に戻ったりして呑むのも、居ずまいを正したようでつまらないから、どこかに拠点を見つけねば・・・と思っていた矢先、田辺聖子さんの随筆(だったか小説だったか)で、某焼き鳥屋の名前にぶつかった。田辺さんの本は愛読している、ことに食べたり飲んだりの場面の絶妙な呼吸にはいつもしたたか酔わされているので、むろんご本人にはお目にかかったことも無いけれど、だいたいどういう雰囲気の店がお好みかも、勝手に呑み込んだ気でいてる(これだから愛読者というやつは困るのだ)。ひょっとしてあそこがそうなのではないか、と推理し、その駅近くの古びたお店の暖簾をくぐる。

 これで愛読者の推理というやつもなかなか莫迦には出来ないもので、ひとしきり呑んでからぽつりと田辺さんのお名前を上げると、魚屋のおっさんみたいな塩辛声のおかみさんが、「その通り」と言ってくれた。なんでも当方の座っている席に、「カモカの先生」、聖子先生はその左隣というのが定番だったとか。ドスの効いた声で色々とエピソードを語ってくれた。

 あ、ちなみにこの店、鴨やら鹿やら鳩やらが置いてあって、豆腐や枝豆も吟味してあり、なかなかイケました。
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