豊葦原瑞穂の国で

 黒豆の枝豆を食い尽くした頃、今度は新米が届く。コメツブはなるべく控えるようにしている分、多少奢ってもいいと思ってそう安くはないのを買うようにしているけれど、今回はいつも頼んでいる秋田ではなく、新潟は魚沼のコシヒカリ・・・いかにも俗な選択のようではあるが、魚沼でも標高が高くて水が冷たい地区(この、水温が低いほど旨い米が出来るというのは『山荷葉』の主人に教えてもらった知識)で、真鴨を放すことにより無農薬有機栽培を実践できている農家から取り寄せたもの。農薬の量がどこまで味に影響するのかは知らない。ただ化学肥料をどしことぶちこんだのよりも、鴨の糞やら堆肥やらで育った稲のほうが確かに旨いようである。そして、乾燥ははざかけ、つまり天日干しで。粘りと甘みが増すという。これを玄米で送ってもらい、精米したてのやつを炊く。嬉しかったのはこのコシヒカリを育てた水がサービスとして、ペットボトル4本分付いてきたこと。佳い水である。酒だってあれだけ仕込み水を大切にするのだから、水がいい土地で米が美味しく育たないはずがない。もちろん一回目は、ペットボトルの水をじゃあじゃあと使って(これが贅沢ですよね)白米を研ぎ、同じ水で炊いた。

 米の相手は何々ぞ。味噌汁は辛めに仙台味噌で汁の実はしじみ。焼き物は三面川の鮭、と来たら最高の贅沢なんでしょうが、ま、それは諦めてカマスの一夜干しに明石の魚醤を塗りながらむっちりと焼き上げたのを丁寧にほぐしたの。ちびっとだけ酢橘をかける。漬け物は茄子・胡瓜のぬか漬け。最近めっきり気温が下がってきたおかげで、ウチのぬか床も時間はかかるがしんみりした漬かり加減になってきた。それに茗荷を塩漬けしてからいったん塩出しし、あらためて梅酢と少々の薄口醤油・味醂で漬け直したもの。ま、手っ取り早くいえば即席の柴漬けですな。

 久々の「夕餉に白飯」解禁であるからして、オカズはこれにとどまらない。筋子をほぐすとこから作ったイクラの粕漬けに、卵黄の醤油漬け。新蓮根と鴨(の皮)の炒め煮。

 これだけを食卓に並べてから、まずは炊きたてのピカピカしてるやつをほおばる。香ばしい、そして甘い。眼を閉じてかき込んでいる自分の滑稽な姿を想像しても、この勢いやわか止まるものかは。またたくまに食べ終えてしまう。

 といってもメシは少し冷えたところが一等旨みが強くなる。二膳目は落ち着いて噛みしめながら食う。精米しきる一歩手前でわざと精米器を止めているので、わずかに胚芽の部分が残り、余計にもちもちした食感が出る。

 今日の料理(というほど手の込んだものは一つもないけど)を肴に呑んだら一升は軽くいけそうだけど、さすがに米の飯ではそこまで入らず。それでも無いことに、あと二度おかわりした後(自分でお給仕するのだが)、最後は自家製梅干しとおろし山葵と大根おろしと鰹節をねったの(何か気の利いた名前があったはず。失念)をさすがに軽くよそった飯の上にうっすらと塗り、その上から服部の焼き海苔をもんでふりかけ、濃い目の煎茶でお茶漬けまでこなしてしまった。

 当たり前だが、これだけ食べたら文字通りに動けなくなる。誰かが、米の飯も酒のアテになると話していたが、そんな天をも恐れぬ所行を続けてたら、あっという間に糖尿になってしまう。いや、しかしそう云えば高橋義孝先生(ドイツ文学者。新潮文庫魔の山』訳者。横綱審議会の委員もつとめた)はたしか飯粒ひとつを爪楊枝にさしたのにおもむろに醤油を付けて、それを肴に飲むとどこかで書いていたような。

 張り切った腹をさすりながら、早速試みてみた(アホである)。酒は『玉川』。うーん絶妙の味らしきものが舌に触れた気がする、とだけ申しておきましょうか。だいたい満腹で酒を呑むものではないわな。

 酒も過ごした時はかえって目が冴えてしまうものだが、この日はそれと同様の状態。輾転反側しながら―というのは誇張で、実際は寝返りもしんどくてうてない―、それでも懲りずに弁当の菜なら何が合うだろうか、明日の朝は朝食らしく辛子をきかせた納豆でやってみべいか、などと妄想はやまぬのであった。

 不思議なことに、この日ベッドに持ち込んだ「蕪村七部集」はちっとも読めず。貧乏たらしいのはイヤだけど、人間あまりに口腹の欲で満たされた状態でも風雅の道には入り難いと見える。
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